第59話 バイト先の彼女は念を押す

「はぁ……」


 バイトの最中、机を拭いていると思わずため息が漏れ出た。

 

 昼間の出来事を思い出す。手が触れた瞬間、避けるように手を引っ込められたあの光景。ああ、まったく、なんであんな強引に手を繋ごうとしてしまったんだろう。

 確かに柊さんに教えてもらったけれど、よくよく考えてみればまだ時期尚早だったのではないか?もっとゆっくり時間をかけて信頼関係を築いてからにしたらよかったのではないか?少なくともあんなに焦って突然繋ごうとする必要はなかった。考えれば考えるほど後悔しか出てこない。


 自分だけで悩んでいても変わらないし、一番の相談相手の柊さんに聞くのが1番だ。そう思い、バイトをしながらバイトが終わるのを今か今かと待ち続けていた。

 

「柊さん、バイトが終わったら少し話をしたいのですが、いいですか?」


「……はい」


 少しだけ沈んだ声が返ってくる。珍しく気落ちした雰囲気に違和感を覚えながら、バイトの締め作業を進めていった。


 バイトが終わり、いつものように相談を始める。


「今日、帰る時に手を繋ごうとしたんです。でも、彼女の手に触れた瞬間、避けられてしまって……。これって嫌がられているってことですよね?」


「ち、違います!」


「……え?」


 今日あったことを話すと、柊さんらしくない強い物言いが返ってきた。焦ったように声を上擦らせて否定してくるので、思わず驚いて変な声が出てしまう。

 そんな俺の戸惑いが伝わったのか、コホンッと咳をして冷静さを取り戻した。


「あ……いえ……その、取り乱してすみません。多分違うと思いますよ?」


「そうなんですか?」


「そうです。女の子というのは好きな人に触れられるのはとっても緊張することなんです。まして手を繋ぐなんて……すると分かっていても緊張してしまいますし、ドキドキして恥ずかしい気持ちになるんです」


 ほんのりと頬を染めて語る柊さんは妙に色っぽい。想いを優しく吐露する姿につい目を惹かれる。もちろん、男に乙女心を語るのが恥ずかしいのは分かるが、そう照れられるとこっちまで恥ずかしくなる。赤裸々な柊さんの想いに少しだけドキリとする。


「そ、そうですか……」


「好きな人に触れられるってのはそれだけ意識することなんです。だから不意打ちだったり、突然だったりしたら余計にびっくりするんです。嫌というよりはドキドキするという意味で」


 頰を朱に染めたまま恥ずかしげに少しだけ俯き、ちらりと上目遣いにこっちを見てくる。そのまま右手で左手を包み込むようにして微かな声でそう呟いた。


「な、なるほど。確かに今回は突然手を繋ごうとしていました。だからですか……」

 

 柊さんの意見は確かに納得できるだけの理由があった。ドキドキするのは女子に限らず男子だって同じだ。繋ごうと思っただけであれだけ緊張したのだ。手を繋いだらどれだけ焦って平静を装えるかは分からない。それは彼女も同じだったということか。


 柊さんは少しだけ考えるように腕を組んだ後、おずおずと新しいアドバイスをしてきた。


「……今度は、ちゃんと聞いてからにしたらどうですか?そしたら繋いでくれると思いますよ?」


「でも、もし本当に嫌がっていたら、余計に嫌われませんか?」


 柊さんの意見は納得出来るが、万が一ということがある。彼女は元々異性を苦手としている人だ。例え好意を寄せている相手だからといっても、触れるのは嫌がった可能性は否定できない。

 もし、そうだったとしたら聞いて頼んでみるというのは悪手になってしまう。そう思うとどうしても気が引けてしまう。


「違うと思いますけど……。だったらなおさら聞いた方がいいと思います。考えたところで相手がどう考えてるかなんて分からないんですから。聞いたら確実に相手の考えていることを確かめられますよね?」


「ま、まあ……」


 確かに自分で考えたところでそれは自分が想像したものに過ぎない。実際彼女がどう思っているかは聞かなければ分からないのだから。

 あれこれ悩んだところで本人に確かめない限り、この不安は無くならないだろう。仮に手を繋ぐのが嫌だったからといって、それで彼女との関係がなくなるわけではないのだ。ここはきちんと聞くべきなのかもしれない。


「もちろん、私がその彼女さんは嫌がってないと断言できますので、絶対聞いてください。絶対ですよ?いいですね?」


「わ、分かりました」


 どこか真剣な表情で見つめ、彼女の必死さが伝わってくる。余程ちゃんと聞いて欲しいのか、念押しが凄い。そう強く言われてしまえば、頷くしかなかった。

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