3-11
生霊は桃矢ではなく薫だった。
半年前、薫は少年の姿をしたマホから突然、死期を告げられた。
その後、生霊として夜な夜なまほろば堂を訪れるようになった。
そこで事故により植物状態となったばかりの桃矢の意識が、いずれ回復することを知らされた。まるで薫と入れ替わるように。
薫は自分に訪れる死に対し、心底恐怖を覚えた。と同時に心底喜びもした。
彼の命が助かる。自分は死んでしまうけど、彼はこの世でまだまだ生きていける。
だから自分が死んだら、彼には自分との過去に縛られず自由に恋愛をして欲しい。身寄りのない自分なんかよりも、もっと彼にふさわしい良家のお嬢様を結婚相手に迎えて欲しい。
こうして死を目前に控えた薫は、婚約者である桃矢から自分の記憶を消すことを冥土の土産に望んだ。
その願いを叶える為に、真幌はマホの助力を得て忘れな草を処方した。
それが忘れな草の刺激による副作用で、目覚めるのが少し早まっただけなのだ。
真幌は桃矢の意識がもうすぐ戻るのを知っていた。だから「病気に効く薬草です」と嘘の説明で忘れな草を桃香に託したのだ。
薫が周囲に悪態を吐きまくった理由。
もし桃矢自身が薫の存在を忘れたとしても、桃矢の両親や妹や薫の親友は、ふたりを引き合わせようとする筈だ。
そう懸念した薫は、嫌われ者の悪女を演じることで自分の周囲への印象を悪くし予防線を張った。記憶を失った桃矢と自分、あるいは自分の墓標とを引き合わせないように。
それと同時に、もうすぐ家族になる筈だった桃矢の両親と妹の桃香に、心のしこりを残させない為の配慮でもあったのだ。
薫は事前に、マホや真幌から自分の死因や死亡予定日時を知らされていた。
死因は遺伝性不整脈。若年層の突然死が多い病気だ。薫の母親も薫を産んでしばらくして、同じ症状で他界した。うちは早死にの家系なのだと、どこか昔から諦めたところのある薫だった。
父も若くして亡くなった。父の記憶は、おぼろげながらある。父は自分が不慮の事故で亡くなるまで、再婚もせず男手ひとつで薫を育てた。
今回の件で父と同じ辛い思いを桃矢にはさせたくない。薫はそう思った。
両親の死後は、資産家の祖父母が何不自由なく育ててくれた。薫に両親がいない分、厳しくしっかりと愛情たっぷりに。大学にまで行かせてくれた。
そんな薫の死を悲しんでくれる親族は、もうこの世にはいない。自分が嫌われ者になっても、誰も心を痛めない。
失踪したのは、誰もいない場所で息を引き取りたかったから。昔、桃矢と桃香の三人で宿泊した、県北の管理釣り場傍の思い出のコテージ。そこで静かに、最期の時を迎えたかったのだ。
こうして薫は誰に看取られることなく、山奥の山荘でひとり息を引き取った。
「そんな……うち……うち……そんな……」
真幌の説明を聞き終えた桃香が、うつむき何度も口ごもる。
話の内容のあまりの衝撃に錯乱している様子だ。
「かおるさん……うち……ごめんなさい……うち……かおるさんのこと……ごめんなさい……」
大きな瞳から溢れ出る心の雫。白桃のような桃香の頬と和紙のテーブルクロスが、涙で湿ってぐしょぐしょになる。
「かおるさん……ごめんなさい……うち……かお…………」
「桃香ちゃん……」
望美が桃香の震える肩に、そっと掌を差し伸べる。
その瞬間、桃香の心の糸がぷつりと切れた。
「うわあああ、かおるさぁーん!」
ふたりの目もはばからず、桃香は大声を張り上げて泣き崩れた。
◇
「店長、どうして桃香ちゃんに教えたんですか!」
翌日の始業前のまほろば堂にて。
「真相を知ってしまった桃香ちゃんの、心にのしかかる重さを考えて見てもくださいよ」
望美が血相を変えて真幌に食って掛かる。
「それに今回の冥土の土産。全然、店長らしくないですよ。あたし納得できません」
昨日の桃香の件についての抗議。いつになく猛烈な勢いだ。
「いくら本人が望んだからといって、かおるさんひとりが泥をかぶって悪者になって。あれじゃあかおるさんが可哀そうすぎます、救いがなさすぎます」
真幌は黙って望美の言い分を聞いている。
「あんな儚く切なすぎる結末で、かおるさんは本当に成仏できるんでしょうか? 愛し合っていたふたりは、あの世で本当に幸せになれるんでしょうか?」
望美は思う。
「本当に、いつもの店長らしくないですよ」
真幌は以前、愛する女性に先立たれた。その時の彼はきっと、彼女のことを忘れてしまえれば、どれだけ苦しまずにすむだろうと悩んだ筈だ。
過去の自分と同じような境遇の桃矢に気持ちを重ねた真幌は、薫ではなく桃矢にばかり感情移入をしてしまった。
だから過剰な自己犠牲よる薫の献身的にも程がある願いをつい聞き入れ、いつものような冷静な判断ができなかったのだろうと望美は思った。
「店長。忘れな草をもう一度、あたしにください」
それまで黙って聞いていた真幌が「それを」とようやく口を開く。
「それを、どうなさるおつもりですか」
「あたし、それを桃香ちゃんに嗅がせます。桃香ちゃんの心からも、かおるさんの記憶を消してあげないと、彼女の心が――」
「その必要はありません」
真幌は首を横に振った。
「どうしてですか。あの子はまだ十六歳ですよ。真相をひとりで背負わせるには、話が重すぎます。心が壊れてしまいます」
「もう十六歳だから、背負わなければならないのです」
「え?」
「そしてもう十六歳だから、彼女は死者の魂を背負わなければならない。神の国へと旅立つ心の声に、しっかりと耳を傾けなければならないのです」
望美は首を傾げた。
真幌の相変わらずな回りくどくて理屈っぽい返しに困惑する。
「???」
真幌は頬を緩めて続けた。
「桃香さんなら、きっと大丈夫」
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