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『リラクゼーションアロマサロン Angeアンジュ


 二年ほど前から、白猫ハナの飼い主の葉子が経営する小さな店舗サロンだ。

 場所は倉敷駅前の雑居ビルの一室。美観地区とは倉敷中央通りを挟んで目と鼻の先にある。


 フランス語で天使を意味する店名。表には『CLOSE~本日臨時休業』の札が掛けられてある。

 時刻は深夜の午前二時。しかし扉の中では、ラベンダーアロマオイルの香りと、薄暗いオレンジの間接照明の光が漂っている。


 店の客層は主に、臨終を目前に控えた生霊たちだ。

 これから死にゆく魂がリラックスした状態で冥界へと旅立てるよう、アロママッサージやカウンセリングを行い、安らかな成仏へと導く。


 それが真夜中のリラクゼーションアロマサロン Angeのもうひとつの業務内容。数か月程前から倉敷駅前に新規オープンした、冥界への道先案内代理店なのである。


 白猫ハナ。彼女は、そこのオーナ兼店主だ。

 職業は冥界道先案内士。まほろば堂の黒猫マホと同様、最高神おかみからの使者なのである。


 受付奥の別室に設置された白いシングルサイズのベッド。少女の姿に化けた白猫ハナは、今宵も来客の肌に細い指先でマッサージを施している。


「ほんと可愛い天使さんだこと。大人になったら、うちの息子のお嫁さんに来てもらえんじゃろおか」


 来客のアラフィフ女性が、ほっこりとした笑みを浮かべる。


「それにマッサージもお上手。とっても気持ちがいいわ」


 天使と呼ばれる店主の少女が、ラベンダーオイルで丁寧にフットマッサージ。心身ともにほぐれてきたのか、生霊の女性は少女に家庭の悩みを打ち明け始めた。


「数年前に主人を亡くしちゃってね。それ以来、息子とふたり暮らしなの」


 どうやらその息子が無職のニートで、ずっと子供部屋に引きこもっているそうなのだ。


 そんな未練を残して、あの世にひとり先立てない。成仏なんてできっこない。

 母親である女性の悩みは、どうやらそういうことらしい。


「あの子のことが、もう心配で心配で。ねえ、天使のお嬢ちゃん。どうせなら冥土に行かずに幽霊になって、ずっとあの子の傍におれんものじゃろうか?」


 この世に未練があると、正しく成仏できずに魂だけが現世に留まり、幽霊と化す可能性が高まる。大切な人と離れたくないという思いから、古今東西あえてそれを望む者も多いのだが。


「では、ご子息が亡くなって成仏した後は、貴女はどうなされるおつもりですか?」


 少女は言う。一度、幽霊としてこの世に留まってしまうと、そこから冥土へと旅立つのは極めて困難になってしまうと。

 例えるならば、一日一便の長距離フェリーをうっかり乗り過ごした者が、荒波の大海原を救命具も付けずに自力で泳いで横断するようなもの。


 結果、直ぐに溺れて波にさらわれ、今まで居た場所からも遭難。孤独の海の奥底に身を沈めた挙句、醜い怨霊と化してしまうのだとハナは説明した。

 だからこそ、死亡の際は冷静かつ早急な決断が大切なのだとも。


「そうなんだ……」


少女は冷静な口調で「ご安心ください」と落胆する母親の足元に手を差し伸べる。


「当店にお任せ頂ければ、残されたご子息のメンタルケアは責任を持ってアフターサポート致しますので」

「でも。こんな、ちっちゃいお嬢ちゃんにお任せして。本当に大丈夫じゃろおか」と呟く母親。


「逆にこの機会を逃しますと。当店と致しましては、ご子息に一切の保証も干渉も行えなくなりますが」

「そ、そうなの? じゃ、じゃあ息子はどうなるのよ」


「当店の関与する事柄ではございません」

「そ、そんな」


 残された息子が逆境に負けじと、しっかり前を向いて生きていくのも。悲しみの果ての母恋しさに後追い自殺をし、怨霊として絶望の淵を未来永劫、彷徨い歩くのも。すべては本人次第。また自殺は、怨霊化する可能性が最も高まるのだとも少女は補足した。


「……あなた可愛い顔して、随分と厳しいこと言うのね」

「それが仕事ですから」


 使用済みのタオルを片付けながら、少女が無表情で業務を締めくくる。


「お疲れ様でした。どうぞ速やかにお引き取りくださいませ。本日のお題はサービスさせて頂きますので」

「そんな無責任な……」


「当店は責任を持って秘密厳守致します。ですので今後一切、お客様のご家庭のプライバシーには干渉致しません。どうかご安心して、残り僅かな余生をお過ごしくださいませ」


「そんなの、安心できるわけないでしょうが!」


「では、こちらにサインを」


【誓約書 私の魂と引き換えに、この世にひとり残される息子が、この先自分の足でしっかりと人生を歩んで行けますように。二〇XX年十月一日 武藤 君代】 


「ご契約、誠にありがとうございました」


 深々とお辞儀をしながら、少女は来客を見送った。その背後から、パチパチと乾いた拍手の音がする。


「お見事。随分とスピーディーな契約成立で」


 少女が振り返る。


「やあ」


 黒猫マホだ。いつの間にやら客と入れ替わりで、少年の姿をしたマホが来店をしたのだ。


「不法侵入よ」


 少女が、怪訝そうに眉をひそめる。


「ていうか、緩急の付け方が半端ないよね」 


 お構いなしに少年は続ける。見た目にふたりは同世代だ。


「天使な少女の姿とアロママッサージで、顧客の身も心も揉みほぐす。先ずはそうやって隙を与え必要な情報を聞き出し、次第に弱みに付け込み不安をあおる。そして痛い所を蜂のようにチクリと刺しては、待ったなしで有無を言わせず契約のサインへと畳みかける。いやはやクレバーっていうか、ほんっと、ずる賢くてお見事だわ」


 アルコール消毒で手を拭きながら、少女は無言で後片付けをする。


「その点、うちの雇われ店長ときたら。無駄に優しすぎるせいか、客に同情してばっかで仕事けいやくが遅くて困ってんだよね。事後アンケートの顧客満足度だけは、抜群に高いのは結構なことなんだけど」


「職場の愚痴や手前味噌なら他でやってくれるかしら。ここはスナックじゃないんだけど」


 少女の苦言を無視して少年が続ける。


「キミ、名前ハナちゃんだっけ? へえ、よく見るとなかなか可愛い顔してんじゃん。全然、ボクの好みじゃないけどさ」


「それはどうも」

「悪いんだけど、ちょっとハナしがあるんだよね」

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