お隣さんは渡来人

有部理生

第1話

『わぁー、すっごいかっこいいひとイケメン!』


彼女がわたしをみて発した第一声は、実はそんなものだったらしい。


長く長く船に揺られた。身体の重みさえ見失うような波ゆれに、父と必死に舵をとり。冷たい風に母姉とひしと抱き合い。馬の飼い葉はもつかと残りを指折り数え。生きた心地もなく過ごした。

ようやっとあふるるばかりの緑濃き島に降り立てば、このクニの長が東へ向かうよう差配。さらに馬を歩ませること幾日か。険しく深い山の道、恐ろしいほど流れ速く澄んだ川をいくつも渡り、珍しくも見事なかたちでただひとつそびえ立つ山の麓を過って、とうとうやってきた場所。


野営の支度は終わり、地元の有力者と話すため先行した父の帰りを待ちつつわたしはゆっくりと馬を歩ませる。馬のあゆみの度にたつ乾いたがさりという音、枯れ草の踏みしだかれる匂い。見上げれば、どこまでも広い空。雲が赤く染まりたなびいている。徐々に暗くなる周囲は、なんともいえず怪しげで寂しげ。


不意に視線を感じた。急いで振り向く。


背の高い枯草原と、冬なお青々と暗いくらい森の境目。そこから小柄な影がこちらを伺っていた。


ぽかんと口をあけ、薄暗闇の中でもなお目立つ大きく濃い色の目をキラキラと輝かせ。


「……誰だっ!?」


『あっ、わっ、怪しいものではないよっ』


幾分動揺しているのか手を掲げて振りながら人影は近づいてくる。わたしは思わず腰にはいたてつ剣に手をかけた。しかし丸腰であるのは手を挙げた時点でわかった上、あまりに小柄で華奢な姿、動きはどたどたと不器用。敵意は全く感じられない。おまけにこちらは馬上で、いざとなれば相手を蹄にかけられるということもあり、ふと力が抜けてしまう。


「……誰だ?」


『よ、ようこそムサシノへ!』


少女は満面の笑みを浮かべグイグイと近づいてくる。


「いや、その、君が何を言っているかわからないんだが……」


わたしのとまどいに気づいているのかいないのか、彼女は何ごとかをこちらにむかい話しかけ続けた。


『うわー、せっかくかっこいいひとイケメンなのに何言ってるかわからない……。ええっと私はヌイ。あなたは?』


改めて彼女の姿を見つめる。輝く瞳に日に焼けた顔。結い上げられた髪にくるりと丸まった細いおくれ毛。鮮やかな模様がついた一枚布、それに穴をあけたものを頭からかぶりまとい腰紐で締めている。身に付けている装飾品は多い。首には独特のかたちの玉を下げ、伸びやかな腕には何でできているものか、白い腕輪をはめている。わたしは彼女のもの珍しくも美しい姿に思わず見とれた。


「やっぱり何を言っているかわからない……ええと、君はいま自分の名前を言っていたのか?」


『あなたがとうさまが言っていた近くにこしてくる人ですか? なんだか大きくて強そうなのに乗ってますね! これからよろしくおねがいします』


早口でまくし立てられた内容はやはりわからない。


「すまない、本当に何を言っているんだ?」


『わ、私ばかりしゃべってすみません。あなたはどこから? ……って言われてもわからないんだったぁ!』


あっ、と彼女は突然打たれたような反応を示す。完全にあわあわと混乱したような彼女……とどうにか身振り手振りを通じて最小限の意思疎通が取れたのはそれからしばらくしてからだった。


「ええと、わたしはタツキという。わかるか?」


『タツキ、タツキ……合ってる?』


わたしの名前を繰り返す彼女に大きくうなずいて見せる。


「そう、タツキだ」


『タツキさん、わたしはヌイ』


「ヌイ、ヌイ、……ヌイ? それが君の名前?」


『うん、私はヌイ』


彼女も縦に大きく首を振ってみせた。


「ヌイ」


『タツキ』


二人で互いを指差しあい、なんだかおかしくなって笑ってしまう。


笑い転げていたところ、父がわたしたち家族を迎えに来た。そして彼女……ヌイがここいら一体における有力者の娘だと知る。父からそれを告げられた時は、それはもう驚いたものだった。

幸いなことにヌイの父はわたしたちの言葉がわかる人だったので、ここで初めて正式な自己紹介。


互いの家族を紹介するころには、ヌイとわたしはすっかり打ち解けた様子を皆にみせていた。


暖かな風が吹き始めるころ。ヌイはしゃがみ込んで何かを手元でいじっていた。……赤土の塊だ。



『なにつくってるの?』とわたしはヌイに尋ねる。細く癖のある、わたしのものより少し淡い色調の髪の毛が彼女の背中で踊っていた。


「土の人形」とヌイはわたしに返す。


冬の間わたしとヌイは互いの言葉をできる限り学ぼうと試みた。かつては私たちの故郷もそうであったらしいが、文字なく口で語り伝えることを主とするのヌイたちの言葉はなかなかに覚えるのが難しい。逆にヌイは漢字に興味津々しんしん。わたしが漢字を書いて見せると、彼女はお返しに『これと似ている?』とさまざまな模様が描かれた土の板をよく見せてくれた。しかし今回彼女が作っているのは、そうした模様や文様を刻むものではないらしい。


「うまくできたでしょ?」


彼女は胸を張って見せる。


『これは……一体……?』


「タツキだよ」


『あー、難しいから私の言葉で。あなたをかたどってヒトガタを作ってみたんだ。身代わりというかお守りにと思って』


『ありがとう……!』わたしは感激して感謝の言葉を彼女に告げた。


『できるかぎり似せてみたけどどうかな?』


「確かにこんな感じかもしれない……君にはわたしがこういう風に見えているのかい?」


鏡くらいは覗いたことがある。ゆえに自分の顔の造作はそれなりにはわかっているが、彼女の作った人形はいくらかの誇張や強調があるようだった。しかし特徴はよく捉えているように思える。前にわたしが適当に作ったものを技法の手本にしたらしい。そちらは筒に丸く目と口の穴をあけただけのものだったが。彼女はちゃんと頭と胴とを区別して作っている。彼女たちが普段作っているものほど文様過多の装飾過剰ではなく、かと言ってわたしの雑な人形ほど素っ気なくもない。顔の表面はなめらかで、内側までしっかりくりぬきあけられた穴が、黒い空洞として目をあらわしている。口も穴だがやはり横方向にすっと長めだ。眉から鼻はすっと細めに土を盛り上げて作り上げてある。


『そうそう、あなたは目のかたちが桃や杏のタネを横に引き伸ばしたみたいで珍しくてキレイだからどうにかしてうつしてみようと思ったの』


彼女はわたしの目のかたちをくうでなぞってみせた。


『そんなに変わってるかなぁ……』とわたしは呟く。


「あんまりわたしたちにはいない感じの顔だちだからね」とどこか嬉しげに彼女は言う。



暗い森は相変わらずだが、草原にはみずみずしい淡い緑が目立つようになった。


そして実は明るい森、あるいは林と呼称すべき場所も近所にある。


植えられたものか、クリの多い木立ち。黄色みをおびた淡い色の芽は小さくかわいらしい。茶色い枯れ葉の合間から、鮮やかな、少しだけ青みがかった淡紅色の大きな花が覗く。故郷でも春先にそれなりに見かけたものだが、こちらでも咲くとは知らなかった。


彼女は花を摘んではわたしに持たせる。たまに葉もとる。よく見ると葉も鮮やかな緑に赤みがかった斑点が映えてなかなかに美しい。


その晩は摘んだ花をゆがいたものをごちそうになった。



「ここはあんまり田んぼには向かないよ?」と彼女は真顔で言う。


『水はあるのに?』とわたしは疑問で返した。故郷に比べれば使い放題と言って良いほど。あちこちにある川の水量は豊か。どの崖からも水が染み出し滴り落ちている。しかも水はどこも清冽でそのまま掬って飲んでも構わないくらいだ。


『土があんまり肥えてないみたい。水も冷たすぎるのかも。日も当たらない』


谷だよ? と彼女は首を傾げる。


「といってもここ以外ではさすがに水をひくのが大変だしなぁ……」


「コメ食べたいし」とわたしは呟いた。『陸稲おかぼにすればいいのに、上の山の方に植えて』と彼女は言ったが、わたしは水田で育てたコメが食べたい。


そこそこ工夫してどうにか水田が完成した。排水を確保するために父とずいぶんと野山を駆けまわり土地の様子をはかったものだ。ヌイと彼女の兄も測量を手伝ってくれたが、二人とも意外にも非常にうまかった。うまいどころか改善案なんかもぽんぽん出す。ふだんそんなそぶりもみせないくせに計算も早い。なんだか色々と負けてしまいそうなのでもう一度学び直すことにする。


とれたコメは収量も味も思っていたほどではなかった。残念がっていたらヌイに背を叩いて慰められる。クリと混ぜて炊いたら結構いけた。栽培法は要改良だ。



『どうよこれ』


とヌイの兄が何か乾いたものを突き出してきた。わたしは受け取り匂いをかいでみる。パサパサとした感触。独特の潮のような香り。


『ノリか?』とわたしはその物体に思い当たるふしがある。


『そうだ。海の方からもらってきた』


ヌイの兄は時々川を下って海の方へ行く。腕のいい釣り人であり船を操るのも巧みで、帰ってくるたびにたくさんの海産物をおみやげにしていた。


『女の子はこれ結構好きだろう、どうかお前さんの姉ちゃんによろしく取り次いでくれないか?』


「えっ……ちょっとそれは……」


姉のリンヒは身内の贔屓目を抜きにしても、長い艶やかな黒髪が見事で、すらりとした長身の美人だ。母ともども馬を駆るのが大好きな女傑でもある。


『なんでい……』


ヌイが自分の兄はむさ苦しいと言っていたのを思い出す。たしかに髭ぼうぼうの見た目だけなら、あまり姉とは釣り合いそうにない。しかし肩を落としてしょぼくれた様子があまりにも哀れで、わたしは思わず


『話を取り次ぐだけなら……』


と言ってしまった。姉の了承を得て話す機会だけは用意したところ、なぜか二人は恐ろしいまでに意気投合(そばでこっそり聞き耳を立てていたので間違いない)。あれよあれよという間に結婚という運びにあいなった。


『次は私たちの番ね?』


と言いながらヌイは勾玉の首飾りをわたしにかけた。ちょっと待って欲しい。

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