第53話 理不尽(★)
「なにがご機嫌なものか! 即刻フィンを解放して投降しろ!」
挑発のようなアマンダのセリフに、ギルバートは怒りを込めて返答する。しかし彼女は小鳥の囀りでも聞いているかのようにうっとりと微笑むと、黒髪を靡かせて首を横に振った。
「残念ですが、その命令には従えませんわ。だってこの子は大切な催し物の道具なのですもの」
「道具、だと?」
フィンを道具だと言われ、ギルバートの怒りは更に増した。剣の柄を持つ手が震え、奥歯がギリリと音を立てる。
「え~え、そうですわ。こんな出来損ないでみっともない子供でも、とっても役に立ちますの。それにもうすぐお客様も……あら、到着したようですわ」
話の途中でアマンダは顔を上げ、ギルバートの後方を見つめた。
それに倣いギルバートやグイードも後ろを振り向くと、そこには大きな光の円陣が浮かんでおり、描かれた文様の一つ一つから光が迸り、一直線に空へと延びて———すぐに搔き消えた。
「まあ! まあまあまあ!」
徐々に薄くなってゆく魔法陣の中心には、並び立つ一組の男女。その男の方の顔をを認めた途端、アマンダは歓声を上げて大喜びした。
「ご招待したのはその阿婆擦れだけでしたのに、わざわざゼオン様までいらしてくださるなんて!」
その際フィンの首に回している腕に力が入ったらしく、彼女は苦しそうに藻掻いた。
「アマンダ様…。フィリア…?」
屋根の上を見上げ、二人の名を呟いたのは、波打つプラチナブロンドが美しい年増の女性。彼女は瞬きも忘れ、淡い紫の瞳で真っすぐにアマンダとフィンを見つめている。
一歩、一歩、と足を踏み出した彼女の肩を、隣から支えるように抱いたのは夫のゼオンだ。彼もまた屋根の上の二人に視線を向けたまま、何も語らずその場に立ち尽くしている。
「またお会いできて嬉しいですわ! こんな素晴らしい日に、すべてを終えることができるなんて、最高の気分です!」
頬を染めてゼオンを、ゼオンだけを見つめるアマンダ。もはや彼女の視界にはゼオンしか映らず、彼女の世界にはゼオンしか存在していないのだろう。
そんなアマンダの熱い視線を受けたゼオンは、青褪めて今にも倒れそうな妻をぎゅっと引き寄せ、そして息苦しさに藻掻くフィンに目をやった。
「アマンダ・ウィンチェスター、これはどういうことだろうか?」
低く深みのあるゼオンの声がその場に響く。決して感情を顕わにしない、冷静で落ち着いたその声に問われ、アマンダは小首を傾げて答えた。
「どういう? …ふふふ。もちろんあなた様のためですわ」
「私のため?」
自分のためだと告げられたゼオンは、微かに眉間にシワを寄せた。
「ええ! すべてはゼオン様のため! そのような阿婆擦れに誑かされ、こんな出来損ないで醜い子どもの父親になってしまわれたあなた様が、あまりにも不憫で御可哀そうで…。わたくし、放ってはおけなかったのです」
本当であれば自身が妻となるはずだった男。彼が不幸にならないよう、アマンダは手助けをしたのだと続けた。
「ゼオン様の素晴らしい経歴に汚点など残してはいけませんでしょう? ですからわたくし、この醜く不出来な子供を消してしまおうと思ったのですわ。ああ、当時公爵家の家人を多く傷つけてしまったのはわたくしのせいではありません。ケーマス子爵から借りた傭兵の質が悪かったのですわ。子供もあの場で殺してしまうはずだったのに、たかだか男爵家の小娘がわたくしの計画を台無しにして、この子供を生き長らえさせてしまったのです」
確実に殺したと報告を受けていたのに、生きていたと知ったときのショックはとても大きかったという。生存していることを隠すために刻印を焼き潰し、常に見張って過ごしてきたと。
「孤児院で六年も見ておりましたが、本当にこの子供はなにをさせても満足にできず、怠惰で無様な出来損ないでしたわ。あまりにもみっともないから生きる資格はないと何度も諭しましたのに、ドブネズミのようにしぶとくて…」
アマンダの不条理なセリフに一同は唖然とした。そして次第に怒りが込み上げてきた。
彼女の言い分は実に身勝手で、結局はゼオンの妻に選ばれなかったことに対する八つ当たりに他ならない。
憎かったのだろう。妬ましかったのだろう。だが、
「そんな理由で…?」
ギルバートの声は微かに震えた。
そんな理由にもならない理由で、アデルオルト家の家人が大勢死傷し、赤ん坊だったフィンは両親から引き離され、苦痛と飢餓に耐えながらフィンは今日まで必死に…必死に……っ!
「そんなくだらない妄想で、お前はどれだけの人間を不幸に引き摺り込んだと思う⁈ 死んだ家人たちにも家族はいたし、叔父う…公爵夫妻も絶望して酷く嘆いていた!」
「あら、それは仕方がありませんわ。大義に犠牲はつきものですもの」
ね、そうでしょう? と首を傾げたアマンダに、何を言っても伝わらないのだと理解した。
「とにかくその娘だけは返せ。お前がすべてを終えるというのなら止めはしないが、フィンを巻き込むのはやめてもらおう」
さもなくば、と指輪を嵌めた左手を掲げると、アマンダはわかっていたらしく、フィンの首にナイフを押し当て盾にした。
「ぐ…ギ、ル……っ」
「フィン!」
苦し気に顔を顰めるフィンの後ろに隠れたアマンダは、くすくすと笑いながら聞き分けのない子供を諭すような優しい口調で、ギルバートを窘めた。
「ふふふ。殿下、魔法を使ってはいけませんよ。でないとあなたの大切なフィンに切っ先が当たってしまうではありませんか」
「くそっ」
そうこうしている間にも賊の残りを片付けてきた騎士たちが戻り、邸の周囲は人が多くなった。
つい先ほどまで髪を乱す程度だった風は、陽が傾くにつれだんだんと強まり、屋根の上の二人のドレスを大きくはためかせているし、透き通るような澄んだ青空は、いつの間にか燃え盛る炎のような橙色に変わっていた。
「一人だけ観客が揃いませんでしたけれど、そろそろフィナーレですわね」
遠くに聞こえる鐘の音を聞きながら、寂しそうに呟いた声はギルバートたちには届いていない。けれど一人だけその言葉を拾った人物が肩で息をしながら現れた。
「残念ながらアンタが待っている相手は来ねーぜ」
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