第51話 反撃
愕然とした。人々を助けたいと言っておきながら、その根底には自分のことしか考えていない醜い願望があることに。
(だからアマンダさんはあんなにわたしを嫌っていたのかな…)
いつもフィンを醜いと言っていたアマンダ。こんな心の内を知られていたのなら嫌われて当然だと自嘲し、こんな気持ちで薬師にならなくてよかったとほんの少しホッとした。
(ジューンさん…。ちゃんと会って謝りたかったな)
薬師に向いていると言い、弟子にしてくれると約束したジューン。彼女との約束を反故にしてしまうことが、とても心苦しい。
そしてジューンを思い出すと一緒に思い浮かぶのは、薬屋に泊まり込んでいた青年二人。ギルとイドもまた、フィンを否定しなかった。
もう泣かないと誓ったあの日。アマンダにも負けないと、ギルと約束した。
「そうだ。わたし、ギルと約束したんだ…」
たとえ生きて帰れなくても。もうジューンやギル、イドに会えなくても。
アマンダにだけは負けたくない!
そんな風にフィンが自分の内側を見返し、決意を新たにしているうちにも、アマンダは着実に近づいていたらしく、微かにコツン…コツン…と靴音が聞こえてきた。
「フィン? どうしてわたくしから逃げるのかしら? また鞭で叩かれたいの?」
コンコンと、少し離れた部屋のドアがノックされている。キィィっと蝶番の軋む音がした後、再びコツン…コツン…と靴音がし出した。
「それとも反省室の方がいいのかしら? 今出てこないと、今度は食事も抜きですよ?」
「…っ!」
次第に近づいてくる靴音とノックの音。優し気なアマンダの自分を呼ぶ声と相まって、フィンの恐怖はこれ以上ないほどに膨れ上がった。
「フィン? ここね? ここにいるんでしょう?」
とうとう隠れている物置部屋の前に到達したアマンダは、何度も何度もノックを繰り返し、フィンに話し掛ける。
「駄目じゃないの、フィン。言ったでしょう? もうじきお招きしたお客様がチャペルに来るのに。ふふふ。ねえ、誰だか知りたくない?」
ノブをガチャガチャと回し、ドアを開けようと試みるアマンダ。フィンは慌てて死角になるドアの脇の壁に、息を殺して張り付いた。
「本当にいけない子。言うことが聞けないのなら、耳を削いでしまおうかしら?」
思わず悲鳴を上げてしまいそうになったのは、正面にある窓が目に入ったから。カーテンの隙間に見える窓ガラスには、僅かに開いたドアの間から、氷のように冷たい瞳が覗き、右へ左へとフィンの姿を探していた。
もう捕まるのは時間の問題だ。フィンはなんとか逃げ場はないかと部屋中をきょろきょろと見渡し、天井の一角に四角い切れ込みを発見した。
(あれってもしかして…)
確証はなかった。読みが外れていれば、間もなく部屋に入ってくるアマンダに殺されるだけ。
落ち着くために深呼吸を繰り返して機会を窺っていると、隙間からにゅっと白く細い指が伸びてきてドアの縁を掴んだ。その瞬間フィンは体当たりをするようにドアを閉め、一目散に切れ込みのある天井の下へ走った。
「ぎゃああああああ!」
部屋の外で悲鳴が聞こえる。きっとドアに指が挟まったのだ。あの勢いで挟んだのなら、もしかしたら骨が折れているかもしれない。
一瞬だけその痛みを想像して胸が痛んだが、すぐに気持ちを切り替え、
(どこかに…どこかに…、お願いお願い…あ! やっぱりあった!)
躊躇うことなく掴んだそれは、先端に
切れ目に沿ってパカッと天井が開き、現れたのはスライド式の収納梯子。再び鉤を掛けて梯子を下ろすと、フィンは躊躇いなくそれを登った。
「フィン! よくもぉ! よくもぉ! わたくしに歯向かうなど許しません!」
ガン! ガン! とバリケードとして置いた長持にドアがぶつかる音が響き、少しずつ隙間が広がってゆく。
それを見て慌てたフィンは急いで天井裏に登り切ると、すぐに梯子を回収し始めた。
「まあ、やっぱりここだったのね。さあ、フィン。降りていらっしゃい。特別に今だったら逃げたことを許してあげるわ」
とうとう室内に入り込んだアマンダは、血が流れる左手をそのままに、天井から顔を出すフィンに向かい、真っ赤に染まった両手を差し伸べた。
いつになく慈愛に満ちた微笑み。けれどフィンは力いっぱい首を振り、アマンダの言葉を拒絶した。
「わたしはもう、アマンダさんの言うことは聞けません!」
「なんですって⁈ 出来損ないの分際でわたくしに逆らおうというの⁈」
くわっと目を見開き激昂するアマンダを置き去りに、フィンは天板を元に戻した。
(ここまで来れば、少しは時間が稼げるかな?)
雑多に物が置かれた、薄暗く狭い天井裏を歩き回り、フィンは懸命に逃げ道を探す。やがて埃がキラキラと瞬く細い光の線を見つけ、その先の鎧戸が閉められている天窓を発見した。
(あそこからなら外に出られそう)
天窓は小さく狭いけれど、いつも実年齢より幼く見られる小柄なフィンなら、易々と通り抜けられそうだ。
部屋の隅から足場になりそうな木箱と本の束を運んでくると、それらを積んで攀じ登った。
「うん…っ、しょ!」
不安定な本の束の上で、フィンは力を込めて鎧戸を持ち上げる。合わせ目からパラパラと落ちてきた埃が目に入って痛かったが、彼女は手を止めずに頑張った。
ほどなくして鎧戸はバタンと音を立てて開き、ギルの瞳のような澄んだ青空が目の前に広がる。そよぐ風が少し長くなった髪を揺らし、額に滲んだ汗を冷やして通り過ぎた。
「外だ…」
残る力を振り絞って、屋根の上にのぼる。これまで経験したことのない高さに少し足が竦んだが、やり遂げたという気持ちの方が強かった。
(違う違う! まだ終わってない! ここから降りて逃げきらなきゃ、やり遂げたことにならない!)
震える足を叱咤し、屋根の上を歩いて降りられそうな場所を探す。けれど背が高く枝が張った木は無く、飛び移れそうな建物もなかった。
「どうしよう。このままじゃまた捕まっちゃう」
きっとアマンダは諦めないだろう。しかも未だ邸の中ではならず者とケーマスの雇う傭兵や裏家業の者たちが交戦しているらしく、遠くで剣戟の音や人の叫ぶ声が聞こえている。
一体どうしたらいいのか。悩んでいたフィンは、考えるのに夢中になりすぎて気が付かなかった。
「さ~あ、捕まえたっ」
「!」
ナイフを持った血塗れの手が伸ばされ、フィンを背後から抱き締めた。
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