第22話  過酷な経歴

「彼女は…シスター・アマンダ改め、元アマンダ・ウィンチェスター伯爵令嬢は、十六年前にカーベリー侯爵家に嫁いだが、その前は現ザイザル国国王ヴォルター・ノクタール・ザイザル陛下や、現アデルオルト公爵である陛下の弟君の婚約者候補の一人だったらしい」


 誰から聞いたのか、ギルはこの短期間で貴族の、それもほんの一握りしか知らなそうな上層階の情報を得ていた。それによると、当時高位の貴族家はどこも適齢の娘がおらず、伯爵家の息女であるアマンダは幼い頃から当時はまだ王太子であったヴォルターや弟殿下の婚約者候補に名を連ね、父であるウィンチェスター伯爵の方針により厳しい教育を受けていた。

 しかしアマンダが十二歳の時、次期国王となるヴォルターは隣国の王女シェセリアーナ姫と婚姻を結び、それと同時にアマンダは弟殿下のみの候補になった。

 生来の勝気な性格の上、厳しい教育にもしっかりと応えられている自負が彼女の気位を増長させ、アマンダは成人前からすでに正式の婚約者のような態度でいたが、彼女が十七歳の時、弟殿下の二十一歳の誕生パーティーで発表された正式な婚約者の名は、アマンダではなかった。

 それを機に彼女の立てた将来設計はことごとく崩れ、婚約者候補から外れた娘を見限った父親により、あまり良い噂を聞かないカーベリー侯爵家へと嫁がされた。


「でもシスターとして孤児院にいるってことは、死別か離縁でもして、夫とは縁が切れたってことじゃないかい?」


 ジューンの問いにイドは頷いた。


「その通りです。元々結婚当初からカーベリー侯爵には愛人がいて、家人公認の婚外子も二人、愛人と共に敷地内の離れで暮らしていたそうです」

「まあ、当然夫婦仲は最悪。それでも正式な跡取りは必要なわけで、翌年の末に侯爵夫人アマンダは男児を出産している」


 子供が生まれても夫婦間の溝は埋まる様子はなく、妻を敬遠する夫に対し、妻アマンダは一人息子リチャードの教育にすべてを注いだ。

 だが神は彼女に更なる試練を齎した。

 リチャードが五歳の時、侯爵が突然亡くなった。乗った馬車ごと崖から落ちたのだ。

 本来であれば正当な跡取りであるリチャードが後継者となるはずだったのだが、愛人のダイアンは家人はもちろん、公正立会人やリチャードの出産に立ち会った産婆まで取り込み、アマンダの息子は侯爵の血を引いていないと言い出し、母子を侯爵家から放逐した。

 文無し同然で追い出された母子は、宝飾品やドレスを売るなどして路銀を作り、なんとか生家に戻ったが、そこでも実の両親や兄弟から恥さらし者と罵られ、かなりつらい生活を強いられたようだ。

 領地の外れの朽ちかけた別邸に住むよう命じられ、たった一人の年老いた召使いと共に暮らしていたが、生家から援助される資金は少なく、アマンダは外へ働きに行くしかなかった。

 高度な教育を受けて育った彼女は幸いにも家庭教師という職を得たけれど、昼間は長く家を空けなければならない。朝から日の入りまで懸命に働けば働くほど愛息子と接する時間は当然少なくなるわけで、異常に気が付いた時にはかなり手遅れだった。


「…なにが手遅れだったの?」


 まるで自分がアマンダになったみたいに真っ青な顔で訊いてきたフィンに、ギルは言うべきかどうか悩んだ挙句、とうとう続きを口にした。


「生まれつきリチャードは丈夫な方ではなかったらしい。もともと細身だった体つきは立ち上がれないほどガリガリに痩せ細り、体中には虐待の後が無数にあったそうだ」


 年老いた召使いはリチャードのための食費や生活費を横領し、満足な食事を与えていなかった。その上空腹やのどの渇きを訴えて騒ぎ出すと、おとなしくさせるために暴力で抑えつけていたらしい。

 服で隠れる場所は痣だらけで、ところどころ火傷の跡らしきものもあったという。


「ひどい話だねぇ…子供相手になんでそんなことを」


 やるせない思いでジューンがそう独り言ちると、ギルも同意見だと頷いた。


「調べによると、召使いにも離れて暮らす子供がいて、その子供や孫に少しでも金を残したい一心で、そんな暴挙に出てしまったそうだ」


 召使いを衛兵に突き出しても、子供が元気になるわけではない。形振り構わず必死に腕のいい医者を紹介してほしいと両親に縋りついたのだが、伯爵はどこの馬の骨の子供かわからないリチャードに情けを掛ける気はないと言って一蹴した。


「成す術のないままリチャードは間もなく息を引き取り、アマンダはすべてを捨て、修道院へ身を寄せた…」


 過酷と一言では済まされないアマンダの経歴に、ジューンもフィンも何も言葉が出なかった。


「そんな遍歴の末に現在の孤児院へ赴任してきた彼女なのに、何の理由があってフィンを標的に選んだのでしょうか?」


 実の子を虐待によって失った彼女が、自身も同じことをするのはなぜか。その目標がフィンである必要があるのか。


「今はそこのところを重点的に調べている。あと念のためにフィンが孤児院に預けられる以前、どんな場所で、どんな両親のもとに生まれたかも調べようと思っているんだが……フィン、いいか?」


 急に了承を求められ、フィンは目を丸くした。もしかしたらフィン自身も知らない過去に、何かしらの理由があるかもしれないからと言われ、フィンは納得した。


「わたしも知りたい。わたしのお父さんやお母さんのこと」


 これまでコリンナは一度も教えてくれなかった自身の過去。どこで生まれて、どうして孤児院に預けられたのか…。

 それがわかったら、あの日クラリスが残していった、『お待ちください』という言葉の意味もわかるような気がした。





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