第17話 彼女の怒り
(わたしには関係ないもの…)
貴族家の養女になりたいわけではないが、その楽しそうな輪に入れない自身がとても惨めだ。
賑やかなホールから一人逃げ出してきたフィンは、孤児院の庭の物干しの裏手、敷地のずっと隅の植え込みの隙間に座り込み、こっそり育てている薬草を眺めていた。
あまり日当たりが良くないせいでジューンの菜園で見るよりも弱々しい薬草たちは、それでもしっかりと根付き、少しずつではあるがちゃんと育っている。
小さな子供たちが誤って口にしても大丈夫なように、胃薬の材料になるベンダ草や森で掘ってきたモーギくらいだが、薬草を見ていると心が満たされてゆく。
薬草の周囲に生えた雑草を抜いたり水を上げたりしているうちにささくれ立った気持ちは鳴りをひそめ、ジューンの弟子になれた時のことを想像してニコニコと相好を崩していた。
「どうしたんだい? こんな所に一人で」
突然背後から聞こえた男性の声に驚いて振り返ると、そこにはフォルトオーナ伯爵の友人だというジョージという男性が、作り物のような優しい微笑みを浮かべてフィンを見下ろしていた。
慌てて立ち上がってぺこりと会釈すると、ジョージはフィンの後ろを覗き込み、なにをしていたのかと訊いてきた。
「あの…菜園の様子を見に…」
「こんな庭の隅に? 菜園は向こうにあったようだけど?」
菜園のある方向を指さした彼は、わざとらしく首を傾げてみせた。
仕方なくフィンは一歩横にずれると後ろを振り返り、知らぬ者にはただの雑草にしか見えないそれを視線で示した。
「薬草…です。ベンダとモーギ…」
「薬草? どうしてこんな場所に?」
「わたし、が植えました。森から持って帰って」
フィン自身が植えたと告白すると、彼は片方の眉を持ち上げた。
「そう。君は薬草に詳しいの?」
誰かに教わったのかと訊かれ、フィンはこくりと頷く。
「よく薬屋さんにお手伝いに行ってるので」
見ているうちに自然と覚えたと言うと、どんな手伝いをしているのかと訊いてきた。
「薬草園の手入れとか、森に薬草を取りに行ったりとか、店番とか、です」
「店番! 君は計算ができるのか? 数字がわかるなら、もしかして文字もか?」
告げた途端ビックリするほど興奮気味に食いつかれ、フィンはオドオドと首肯した。
「簡単な計算なら、少し。文字も注文票を読んだり書いたりするくらい…」
正直に答えるとジョージの纏う雰囲気ががらりと変わった。
「!」
一瞬鋭く睨まれた気がしてびくりと体を縮めると、彼はフィンが怯えたことに気が付いたのか、再び薄気味の悪い笑顔を張り付けた。
「それにしてもなぜこんな所で育ててるんだい。もっと日当たりがいい場所の方がいいだろう?」
菜園で育てないのかと訊ねられ、フィンは小さく首を振った。
「ほかのみんなはきっと、雑草だと思って抜いちゃうから。それに薬草でも一度にたくさん食べたらお腹を壊すかもしれないもの」
ジューンにも報告した際、注意されている。小さな子供がいる孤児院では、誰も想像しえない間違いが起こっても不思議ではないから、十分気を付けるように、と。
だから誰にも見つからないようこっそりと育てているのだと説明すると、ジョージは笑みを消して目を細め、口髭を指先で弄びながらフムと唸った。
じっと見つめられる心地の悪さにフィンが逃げ道を探して視線を彷徨わせると、彼の向こうからメアリーの声が聞こえてきた。
「フィン! 勝手にいなくなっちゃダメじゃないの! 早く戻りなさいっ」
風にはためく洗濯物を勢いよく払い退け、現れたメアリーは眉を吊り上げてフィンを叱る。その剣幕に驚いたのはフィンではなくジョージもで、彼が固まっている隙にその脇をすり抜けるべく駆け出した。が、
「待ちなさい」
がっしりとしたジョージの大きな手がフィンの腕を掴んだ。
「きゃあっ」
唐突に引き留められた反動で倒れそうになったフィンをジョージは引き上げると、無遠慮に顔を近づけ、間近で瞳を覗き込んできた。
「ほう、珍しい色だ。深いラピスラズリの中心に明星が瞬いている…」
興味深げに呟いたジョージはにやりと唇を歪ませ、フィンを軽々と抱え上げてメアリーのそばまで行き、彼女の目の前にストンと下ろした。
フィンがメアリーに縋るようにしがみついたのを見届けた彼は、腰を屈めて二人に視線を合わせた。
「メアリーだったかな? 私に免じてこの子を叱らないでくれると嬉しいな」
「ジョージ様…」
渋い顔で見返すメアリーに彼は肩を竦め、二人の頭を順番に撫でてから建物へと戻っていった。
残された二人は暫くその場に佇んでいたが、ジョージの姿が見えなくなった途端、メアリーが苛立たしげに口を開いた。
「…どうして勝手な行動をとったの?」
ギリリと歯ぎしりするとキレイなリボンで飾ったツインテールを翻して振り返り、フィンを険しい表情で睨め付けた。
「なんでアンタはそう自分勝手なの⁉ 院長先生やクラリスさんがどんなにアンタのことを考えてくれても、アンタが台無しにしたんじゃどうしようもないのよ!」
「メアリー、クラリスさんって…?」
つい最近聞いたばかりの懐かしい名前がメアリーから発せられたことに驚き、彼女の憤りの意味よりもそちらが気になった。
「メアリー、クラリスさんがどうしたの? 何を知ってるの?」
「触らないで!」
伸ばした手をパシンと叩き落され、手の甲がジンと痛む。しかしそれ以上にメアリーの方が、痛みに耐えているような辛そうな顔をしている。
「メアリー…」
「もう…もう、フィンなんかどうなっても知らない!」
メアリーは拒絶のセリフを叫ぶと走り出し、突き放されたフィンは追いかけることもできず、叩かれた手を握り締めて立ち尽くしていた。
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