第15話  平穏

 季節は初夏から本格的な夏へと移行し、からりと乾いた暑い日が続いている。しかしここフォルトオーナ伯爵領を含むザイザル国の北部地域は比較的一年を通しての寒暖差は穏やかな方なので、猛暑に喘ぐと言ったことはない。

 この時期、緑はぐんぐんと成長を遂げ、春に花咲いた農作物は実をつける。

 フォルトオーナ領の片隅、ブロウトの町の孤児院の子供たちが管理するささやかな菜園でも、次々と野菜や果実が収穫時を迎えていた。


「フィン! このユーリ、すごく長くなってるよ!」

「あ! こっちのメラトもポカポカのだいだい色だ!」

「ジニー、それを言うならピカピカだろ?」


 採っていい? 採っていい? とまだ幼い子供たちが目をらんらんと輝かせてフィンを見つめる。


「うん。ルルが手に持ってるユーリは表面に棘があるから気を付けて。トムのメラトはちょうど食べごろだね」


 使い慣れた小型のナイフで実を茎から切り離すと、トムの両手いっぱいの大きなメラトがポトンと落ちた。


「すっげー! でっけー!」

「ボクも! フィン、はやくはやくぅ!」


 地団太を踏んで待ちわびるジニーにも同じように完熟のメラトを手渡すと、トムの真似をして「でっけー!」と叫んだ。

 空には雲一つない快晴の今日、手伝いの予定がないフィンは朝から孤児院内の掃除や洗濯に奮闘し、午後になって漸く菜園の手入れに出ることができた。

 朝の内に散水したおかげなのか、菜園は青々と茂り、太陽の光を十分に浴びた野菜たちはツヤツヤと実を付けている。

 フィンを蔑んだりしない小さな子供たちは、彼女の手伝いをすると言ってついては来たが、外に出るなり走り出し、フィンはそれを慌てて追いかける羽目になった。

 大騒ぎしながらも半刻後には、笊の上にはふっくらとした赤い実がびっしりと並ぶキビー数本と、フィンの手首ほどもありそうな太いユーリが五本。メラトとラスがそれぞれ八個。歪なプリカが多数と、十分な収穫だ。

 四人は野菜を持って井戸まで来ると、冷たい水でそれらを丁寧に洗って土を落とした。


「みんなは内緒にできるかな?」


 そう言いながらフィンは一番小ぶりのメラトを一つ手に取ると、ナイフで四等分にする。一瞬正義感の強いトムがあっ! と声を上げたが、一切れを渡すと口を噤み、コクコクと頷いたのち、がぶりとメラトに齧り付いた。

 同じようにルルとジニーも大きな口で齧り付き、ひそひそ声で「おいしいね!」と嬉しそうに言い合っていた。

 ここ数日、フィンにとって平穏な日々が続いている。これまで毎日のようにアマンダに叱責されたり折檻されたりしていたが、最近彼女はちょくちょく出掛けるし、顔を合わせても何も言わず、フンッと鼻を鳴らして立ち去ってゆく。

 それはアマンダだけではなく他の大きな子供たちも同じで、歩み寄りはしないものの、今迄みたいに悪態を吐いたり蹴とばしてきたりはしなくなった。

 心身の痛みに耐える日々から解放されたのだから喜ぶべきなのだろうが、なんとなくアマンダの視線が不気味で、素直に喜べない。


(なんだろう…。背筋がぞわぞわする感じ?)


 最後の一欠片を口に放り込むと、メラトの果汁で朱く染まった手を桶の中の水で洗った。


「おやまあ! 大収穫ねぇ」


 物思いに耽っていたフィンを現実に戻したのは、院長のコリンナだ。彼女は腰の曲がった痩躯を濃紺色の修道着に包み、ゆっくりとした足取りで井戸のそばまで歩いてきた。


「あー! 院長先生だ!」

「あのね、あたしたち野菜採るのてつだったのよ!」

「メラトがすごく美味しいんだよ!」


 ジニーによって内緒はあっさり破られたけれど、コリンナはそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。


「そう。それはとてもよかったわねぇ。さあさ、みんなは最後のお手伝いですよ。このお野菜をキッチンまで運べるかしら?」


 コリンナはわざとらしく「重いわよ~」と付け加えると、三人は大丈夫だと豪語し、協力して笊を持ち上げ、わっせわっせと建物内に運んで行った。


「ちょっと待って。フィンにはお話があるから、ここにいてちょうだい」

「え?」


 当たり前のように子供たちについて行こうとしたフィンを、コリンナは呼び止めた。

 軒下にある木製の粗末なベンチによっこらしょと腰を下ろしたコリンナは、隣をポンポンと叩く。座るように促されたことが分かったフィンは、遠慮気味に腰掛けた。


「…今日は良い天気ねぇ」

「…そうですね」


 二人で並んで空見上げ、何気なくかけられた言葉に、フィンも何気なく答えた。

 菜園の隣の物干しには、たくさんの洗濯物が風にそよいでいる。きっと今日は気持ちよく乾くだろう。


「今度の休息の日に、領主様がご友人を連れて孤児院にいらっしゃるの」

「え! ご領主様ですか⁉」


 突然の爆弾発言に驚いてコリンナを振り返ると、彼女はゆるりと首を縦に振った。


「ええ。なんでも一緒に来られる方が養子をお探しらしいの。ここ最近は里親に迎えられる子が減ってしまったから、お眼鏡にかなう子がいればいいのだけど…」


 コリンナは孤児院の子供たちが少しでも良い環境のもとに引き取ってもらえたらと考え、悩み、小さく嘆息したが、フィンはそれどころではなかった。

 コリンナの話しから最近の平穏の理由がわかったからだ。

 領主が来られた時、痩せ細り傷だらけのフィンに目が留まると困るから。ならば休息日を過ぎればまたアマンダや子供たちからの虐めが始まるのだろうと思うと、フィンの心は沈むのだった。





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