邂逅編

【第0話】すべてはここから

 西暦二一〇八年八月二十日、水曜日。

 今日は能力スティグマが認識されてから、ちょうど五十年の節目の日。


 街中はどこもお祭りムードで、若者で満ち溢れ、ネットでは世界各国の能力スティグマを統括している機関≪World Organization of Stigma≫──通称≪能力管理機構ウォーズ≫の演説に対する話題で持ちきりだ。


 普段であれば活気のない郊外の小規模な街や村も例外ではなく、更に言えば、争い、奪い、憎しみ合う国と国もが、この一時だけはそれぞれ違った形で祝い、祈りを捧げる。

 それ程までに今日という日は人類にとって特別で、満ちたりた一瞬なのだ。


「なんていうか、平和だな」

「そうね……でも、それは今日だけよ。本当に平和なら、私たち必要ないでしょ?」


 西暦二〇七四年に制定された条例に基づき、新たに生まれた政令指定都市──神楽町かぐらちょう


 能力管理機構ウォーズ 日本支部 副支部長の神月かみづき シオンと部下の天音あまね 澪央みおは、この街で貴重な休日を謳歌していた。


 部下と言えど、澪央はシオンと同じ二十五歳で、どちらかと言えば友人に近い感覚でお互い接している。二人はそんな関係だ。


「ねえ、シオン……私、あれが食べたいな」


 澪央は陳列する屋台を指差し、年齢にそぐわない小悪魔のような甘い声と、長い髪の毛がなびいた時に漂う女性特有の清潔感あふれる匂いを武器にして、懇願する。


 大抵の男子ならば、これに加えて必殺技である≪上目遣い≫で心は揺らぎ、承諾をすることだろう。


 だが、幾度となく彼女の汚いやり口を目の当たりにしてきたシオンの心は、断固として揺らぐことはなかった。


「ダメだ。お前みたいに男の心を弄ぶ悪魔にやる物は何もない」


 腕を組み、言葉だけでなく身体も使って反対の姿勢を示すシオン。


(自分の年を考えろよ……)


 と、シオンが目を瞑り心で呟き、その数秒後に「ケチ」と言った言葉が澪央の口から添えられる。

 までが一連の流れなのだが、五秒、十秒経っても澪央の言葉が返ってこない。


 流石に今回ばかりは言い過ぎたかと思い、瞑っていた目を開けて澪央を横目で確認すると、そこには先ほどとは打って変わって不安げな表情を浮かべ、シオンの後ろ──正確には後ろ上空を真っ直ぐに見つめる澪央の姿があった。


「あれ……なに?」


 不安と驚きが入り混じった声。

 その声は澪央のものではなく、近くで立ち止まっていた若い女性の声だった。


 ──ちょっと、あそこ!

 ──おい、見ろよ

 ──なんだよあれ


 つられるように続々と、また同じ方向に視線を向ける人々。

 明らかに普通ではない状況であることは、言うまでもない。


 一体何があるのだろう?


 そう思ったシオンは視線を空へと移す。

 そこには、空間あるいは物体と表現すべきだろうか、自然に出来たとは思えない不自然な歪みが、約二百メートル先の上空に出現していた。


「──澪央、準備しておけ。休暇はお預けだ」

「準備……!? やっぱりあれって……」

「ああ、間違いない。能力スティグマだろう」


 と判断したのは、歪みを視認してから僅か数秒でのこと。

 幾度とない経験が、空に張り付く歪みの異常性を彼に理解させたのだ。


 何かを感じ取り、冷たく鋭いプレッシャーを放ちながら、シオンは腰を深く落とし臨戦態勢へと移る。


 ──来る。


 直感は見事に当たった。


 初めこそ、そこにるだけだった歪み。

 しかし、歪みに一線の亀裂が走ったと同時に、そこから一筋の光柱こうちゅうが文字通り光速の勢いで、騒音を轟かせながら、地面に直角に降り注いだ。


「シオンっ!」

「分かってる……お前は避難誘導に移れ」

「なに言ってるのよ、私も一緒に──」

「時間が無い、いいから行け!」


 戸惑いながらも頷いた澪央はシオンの傍を離れ、「こちらへ」と呼びかけながら人々を後退させる。


 一方シオンは、吹き飛ぶ程ではないにしろ、地面を抉った光柱により発生した爆風に混じって飛んでくる塵や破片に、服から顔を覗かせているむき出しの肌をチクりと刺されながらも、爆心地の方へと前進する。


「酷いな…………」


 進むにつれて酷く吹き荒れる砂ぼこりと、崩壊の激しさが増す町並みがシオンの目に映った。


 それでも足を止めず、前進した突如、前方から地面に散らばる瓦礫を踏みしめる音と、視界に何か接近してくる物体を捉えた。

 舞った塵に阻まれてはっきりとは見えていないものの、徐々にこちらへ向かって来ている。


 しかし、その物体は一度目の瞬きでシオンの視界から姿をくらました。


 そして、二度目の瞬き。


 シオンの瞳に映ったのは、透き通る白髪と、中性的な顔立ちを兼ね備えた弱冠十六歳の少年が、シオンの首元に腕を伸ばしている姿だった。


「──!?」


 咄嗟の出来事に、シオンは後ろへ下がる。──が、間に合わない。

 少年の存在に気が付いた時、既に少年の掌とシオンの首元の距離はあってないような所まで迫っていたのだ。


 躊躇のない行動に殺意と似た狂気を感じたシオンは、ここで、能力スティグマを行使する決断を下した。


「≪物質固定術式ディメンション・キーパー≫」


 呪文のような言葉が、口からこぼれ出る。

 ただ、無駄と形容されても仕方ない言葉の羅列には、その実、能力スティグマを発動させるに必要な要所が詰められていた。


 単に発動させるのであれば、無駄な行為、見方によっては恥ずかしい行為で終わってしまうが、能力スティグマを応用し展開する、または連続して使用する場合に限り、声に出し言葉を発する工程は必須のものとして用いられている。


 例えば──何でもいい。一つ≪技≫を思い浮かべて欲しい。


 頭に浮かんだそれには、必ず発動するまでの工程が存在しているはずだ。

 腕や足の動き、あるいは身体で表現できない思考。

 これらをまとめて、技を発動するまでのプロセスとして、技それぞれに固有の名称が付けられている。


 先にシオンが発した言葉の羅列は、つまりは技の名称であって、複雑な工程を一瞬の内にイメージし、体現させるための行為だったのだ。


 事実、その効果は覿面てきめんで、少年はシオンの首元を掴めずにいた。

 と表現するには少々誤りがあり、正確には、少年の身体は見えない力で固定され、腕や指先だけでなく、呼吸の一つすら許されない状況に置かれていた。


 この隙を逃さんとシオンはそのまま、今度は確実に素早く後ろへ下がり、間合いを確保した。


「……この事態はお前の仕業か?」


 シオンが少年に尋ねるが、答えが返ってくるはずもない。

 問いかけはただの牽制であり、シオンも答えも求めていない。


 能力スティグマにより身動きの一切を封じられている少年は、どこからでも刃物一つで殺せてしまいそうなほど無防備で、しかし、息も詰まりそうな威圧感だけは常に漏れ出していた。


 だからこそ、シオンは能力スティグマを解けずにいた。


 解いてしまえば、再び襲ってくるかも知れない。

 解かなければ、少年は呼吸すら出来ず、死に至ってしまうだろう。


 背反する二択を選択できずにいるシオンの脳裏では、

 ──俺の目の前で一瞬消えたよな?

 ──だったら、空の歪みと光柱は誰の能力スティグマだ?

 ──他にも仲間がいるのか?

 と、様々な推測が飛び交っていた。


 そのまま一秒、二秒と時が過ぎていく。

 依然答えは出ないまま、さらに数秒が経とうとしたその時──少年は口元に微笑を浮かべて見せたのだ。


 それはたった数ミリの変化。


 日常であれば些細で見逃してしまうその変化も、この時に限って言えば、シオンの顔に驚愕の表情を張り付けてしまうほどに大きく、決して見逃せないものだった。


「……お前……から抜け出せるのか?」


 純粋な疑問から絞り出されたシオンの声は、細く小さな震えを伴っていた。


 人間なら誰しも、理解の範疇を超える現象を目の当たりにしたら、少なからず恐怖という感情を抱くものだ。


 それは人間である限り仕方のない反応であり、シオンも例外ではない。


 少年はこれを理解しての行動だろうか、シオンが今抱いている恐怖の感情をわざと煽るように、首、腕、上半身──の順に動き、完全に技の支配から逃れてみせると、次いで間も与えず、男性にしては高く、どこか幼くも硬い口調で話し始めた。


「問いに答えるつもりはなかったのだけれど……気が変わったよ。少し話でもしない?」


 少年の言葉を簡単には信じることが出来ないシオンは、一歩、また一歩と後ずさる。


 正体不明の能力スティグマを使う相手に対して最も有効な手立ては、洞察して本質を見抜くこと。

 慎重さが求められる能力スティグマ同士のぶつかり合いでは定石ゆえに、シオンも下手に手を打てないでいた。


「急所を狙っておいて、今更何を言ってるんだ。お前を信じろと? まだ子供だとしても、俺はそこまで甘くない」

「そうだね、君にも一理ある。でもね、僕はただ言葉を交わそうって、それだけだよ。何もしないから安心してよ」

「なら、先に答えてもらおうか。少しでも変な気を起こしたら……次は無いと思え」

「分かった。それで良いよ」


 解けない緊張から来る喉の乾きを一度唾液で潤し、少年と一定の距離を保ったまま、シオンは質問を続けた。


「……この惨状はお前の仕業か?」

「そうだよ」

「他の仲間はどこだ?」

「僕一人だよ」

「嘘をつくな! 初めは歪み、次は光柱。それに、俺の力を解除したあの力……異なる系統の能力スティグマが最低でも三つ。だったら三人以上の──」

「ちょっと落ち着いてくれないかな。そもそも僕に道理どうりなんて通用しないさ」

「道理? お前は一体…………」

「そうだね、なんて表現したら良いのだろう。分かりやすく言うなら、≪システム≫。かな」


 シオンはこれを聞いて、自らの記憶に検索をかけてみるが、少年が言った≪システム≫の単語が組織や人を指す言葉としては引っ掛からなかった。

 故に、次の質問は決まって「システムとは何か?」と訊く予定だったが、先に口を開いたのは少年の方だった。


「次は僕が訊いてもいいかな? その力……いや、君はどこの生まれだい?」


 急に投げかけられた在り来たりな質問に半ば戸惑いながらも、シオンは答えた。


「神楽町の出身だ」


これを聞いた少年は、やや険しい表情を浮かべた。


「神楽町……嘘を言っているようには見えないね。だとすれば、君は特別だ」

「大体そんな質問になんの──」


 なんの意味があるのか。


 シオンはそう訊ねようとした。

 だが、声にはならなかった。

 激痛がシオンを襲ったのだ。


 シオンは痛みが走った方向、つまりは背中側に目を向けると、そこには、握った短刀でシオンの身体を貫いている澪央の姿があった。


「……澪央? ……どうして…………」


 澪央はシオンとの目線を反らし、こくりと頷いた。


「ごめん……ごめんね……」


 苦悶の表情を浮かべる澪央は、ボソッとそう呟くと、シオンの身体から短刀を引き抜いた。


 それと同時に、開いた傷口から勢いよく心血が吹き出す。


 失血により生じたショックと激痛が、徐々にシオンから意識と力を奪っていく。

 反撃の一手を繰り出せないどころか、立つことすらままならない程に。


 そして、とうとう全身から力が抜けたシオンは、踏ん張りが利かなくなり、倒れそうになった。

 だが、それを、この状況を作り出した張本人である澪央が、そっと抱え込むように支えた。


 それからゆっくりと、シオンを地面に寝かせた澪央は、一回大きく深呼吸をし、今度は独りでに語り始めた。


「まだ聞こえてるよね? 私がシオンを絶対に死なせないから。そうさせないから……だから……戻ったら私を探して。必ず会いに来て。

 記憶、培った力、全部が支えになるから。それに…………」


 最後に何か言いかけた澪央は、結局その言葉をグッと喉の奥に押し込み、唇を強く噛んだ。

 そして、悲しくも温かい表情を浮かべ、シオンを強く抱きしめた。

 額に軽くキスを添えて──。



 ♢♢♢



 「またね」


 シオンを見つめ、別れと再会の挨拶を告げた澪央は、頬に流れた一筋の涙を拭い、少年を睨みつけた。

 その瞳からは確かな殺意が確認できるほどだ。


 少し離れた場所で静かに二人の様子を伺っていた少年は、澪央の鋭い視線に気がつくと、不敵に笑い、口を開いた。


「君が来た時は何かと思ったけど。そうか、彼が……」


 少年は横たわるシオンの側に歩み寄り、顔を覗き込む。

 少しだけ険しい表情を浮かべたが、すぐに真剣な顔つきに変わり、全てを悟ったように天を見上げた。


「君は彼を信じているんだね。全てを知ってしまった我々ではなく、彼を。ならば、信じてもみよう。彼が事を成せるのなら、あるいは──」



 ♢♢♢



(戻ったらってどういうことだよ……答えてくれよ。澪央……)


「澪央っ…………」


 西暦二〇九八年四月五日、土曜日。

 あの出来事から約十年前のこの日。

 見慣れたベッドの上で、神月 シオンは目を覚ました。


「……生き……てる?」


 この日、義務教育の過程を卒業し、大人の階段へ足をかけたばかりの一人の少年は、自身がこれから体験するだろう未来れきしと、最期けつまつを知ってしまった。

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