クラスメイトの依頼

 りりしい表情の時羽の顔を雪月は嫌いではなかった。仕事の顔となる時羽の表情もしぐさも雪月は頼もしいと密かに感じていた。だから、他の男子ではなく時羽と仲良くしているのもあるのかもしれない。もちろん、秘密の共有という目的もあるが、そこから何か特別な関係が作られていくような気がしていたのかもしれない。


「私、委員会の仕事やっておくから。二人で時羽君の喫茶店に行ったら?」

 これはプライバシーの問題もあると雪月は気を利かせた。クラスメイトに知られたくない秘密の相談だってあるだろう。


「私、男子と話すの慣れてなくて、よかったら風花ちゃんも一緒に来てくれる? 忙しいのに申し訳ないけれど」

「私は構わないけれど、相談の内容聞いちゃっても平気なの?」

「私はそのほうがいい。女の子がいたほうが話しやすいし」


 俺、嫌われているから、俺と二人は嫌なのだろう。という時羽の本音を雪月は手を当てて盗み見る。気づかれないように、くすっと笑う。そこまで自分を低く評価する彼を少しかわいいとも思っていた。


 江藤は肩にかかる髪の毛をなびかせ、うつむき加減だ。少し頬が赤い。異性に対する免疫がないようだ。多分、必要以上に男子に対して意識をするせいで会話ができないのだろう。口下手だから、一般人が見たらラブレターと勘違いしてしまうような手紙を書いたのかもしれない。


 当の本人は果たし状か嫌がらせだと信じて疑っていなかったようだが、結局ラブレターでも果たし状でもなかったということだ。


 歩いて20分くらいだろうか。3人が並木道を横並びで歩きながら幻想堂に向かう。男子と話し慣れていない江藤は、助け船を雪月に求めながら会話をしていた。そんなたどたどしい態度もかわいらしく初々しいと密かに時羽は思っていたが、嫌われ者の自分が女子二人と帰っているという事実に困惑していた。


「お金で買えないものってなにがほしいんだ?」

 気持ちを切り替えて、鋭い視線を江藤に向ける。


「私……親の愛がほしいんだ」

 うつむきながら江藤が小さな声でつぶやく。意外な答えだった。この年頃ならば好きな人の心が欲しいとか、美しさや学力を求める人が多いだろう。一般的にはそういった相談をしに来る客が多いのだが、基本的に寿命を取り引きすることを幻想堂としては積極的に勧めてはいなかった。何度か説得してもどうしてもという場合だけ、時羽は意を決してメニュー表を出すのだった。


「たしかに、親の愛は買えないな」

「私、お父さんがいないんだ。お母さんはいるけれど、お母さんは子供がいると新しい恋愛がやりにくいって言っていて。でも、普段は優しい普通のお母さんだよ」

「そうか」

 江藤が思っていたより家庭環境が複雑だということを初めて知った時羽だが、どうやら心が見える雪月は知っていたようだった。


「お父さんは?」

「物心ついた時からいなかったけれど、お母さんは教えてくれないの。生きているのかもしれないけれど、他に家庭があるのかもしれないし」


 時羽は喫茶店の扉を開けて、ビジネスモードに入る。さっきまでとは別人の鋭く大人びた視線に江藤はどきりとする。時羽は嫌われていると思い込んでいるので、ソーシャルディスタンスを保つ。


「江藤さん、ここで売っている親の愛情は父親の愛情も含まれるんだ。もし、相手が君のことを知らなくても君を愛するように未来は変えられてしまう。それは会いに来たり金銭的な援助かもしれないし、家庭を投げ出してでも君のお母さんとやり直そうとする可能性もある。それでもかまわないか?」


「私は、これからの人生は愛されてみたいの。おねがい、時羽君」

「人の心を買うには、5年の寿命が必要となる。長い人生の中の5年だ。そう思えば、愛されるこれからのために5年生きる時間が短くなってもかまわないか?」


 時羽はもう一度意思を確認する。江藤は無言で強い意思を持ってうなずいた。それを確認すると、時羽は自慢のブレンドコーヒーを淹れた。


 店内にはおいしいコーヒーの香りが立ちこめる。コーヒーの香りがまるで何かの中毒のようにやみつきにさせる効果があるようにも感じる。ここのコーヒーはそれくらい特別で何度もリピートする客が後をたたない。時羽のコーヒーを淹れる様子は特別感があり、江藤は特別な感情が少々芽生えていた。


 時羽は見た目とは逆に、普段から優しいのだが、江藤はそれ以上に信念や頼り甲斐という部分で安心できる一面を持っていることを初めて知った。それは、恋に似た感情だったが、江藤にはまずは親の愛が必要だった。母親の恋愛を見ていると汚いものにしか見えなかった。だから、あまり今まで恋愛というものがきれいなものだとは思えなかったので意図的に避けていたのだと思う。


「どうぞ」

 クラスで見せない表情を時羽が見せる。おいしい不思議なコーヒーを持ってきた時羽。多分、雪月は江藤の心を見ていたのだろう。そ知らぬふりをしながら時羽への気持ちを感じていた。


「これはサービス」

 雪月の前にもコーヒーが差し出された。嫌われ者の俺と一緒にいてくれて悪いな。という時羽の心の映像を読む雪月。ごめんとお辞儀をしている時羽の映像がおかしくもある。そんな勘違い男が不思議な喫茶店の店員として働いていることがどうにも雪月としては、むずがゆくおかしい気がした。


「ミルクと砂糖もここに置いておくから好きなだけ入れて」

 時羽のさりげない優しさに思わず雪月に笑みがこぼれた。


「時羽君って話しかけづらいイメージあるけれど、実は結構話しやすいし、優しい人なんですね」


 そんな誉め言葉をかけられて、嫌われ者だと思い込んでいる時羽はまっすぐ江藤を見ることはできなくなっていた。時羽は、本当に不器用な人間で、人に嫌われていることを前提に生きている。だから、優しい言葉を不意打ちでかけられると、警戒心をあらわにする。どっきりで、だまされるのではないか。嘘をついて陥れようとしているのではないか、などとまっすぐに言葉を受け取れないでいた。それは、幻想堂の店員として人間の裏側を見てきたからかもしれない。


 時羽が淹れたコーヒーは陽の光が当たるとその角度によって色が違って見える。まるで虹色だ。美しい色合いが江藤と雪月の心をほぐした。コーヒーの中に映る雪月の瞳は多分彼女史上一番のほほえみだったように思える。そのことに彼女自身まだ気づいていない。


 黒いエプロンをつけた時羽は妹にサインの紙を持っていくようにうながした。ペンをアリスが差し出すと、契約書に江藤がサインをした。おいしいコーヒーと優しい時間を過ごした彼女たちはそのひとときを楽しむと帰宅する。


「時羽君に相談してよかった。ありがとう」

「コーヒーのサービスありがとう」

 お礼を言って帰宅する二人を見送る時羽。

 

 ♢♢♢


 その後、江藤の父親が名乗り出て、江藤の母親と再婚することになったらしい。学校では江藤のままにしているが、本名の名字は変わったとのことだ。父親は娘の存在を知らずにバツ1だったとのことだ。ふとしたことで娘がいるのではないかと調べたところ、江藤のことが判明したらしい。母親が経営するスナックに江藤の父と名乗る人が現れたということで、母親が勝手に娘を生んでいた事実を話したらしい。


 意気投合した二人は再出発を決意して、再婚したとのことだ。とはいっても、江藤の母親は初婚だったらしい。一番好きだった人と結婚できたのは娘の5年分の寿命のおかげだなんてつゆとも知らずに。


 でも、この先江藤の親が彼女を溺愛してしまうと過保護や子離れできなくなるということもありうるかもしれない。でも、彼女はこれで幸せになった。彼女は今まで見たこともないくらい毎日が楽しそうにしているから、きっとこれでよかったのだろう。5年寿命が短くても愛される人生を送りたいと思った江藤の判断は間違ってはいなかったと思う。



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