宝石。

maria :-)

第1話


南ギリシャ。青い空と青い海、家の白い壁が立ち並ぶ美しい町並み。

そんな街で、私は育った。この街の片隅、町の小さな時計屋さん。

まぁ時計屋とは名ばかりで便利屋に成り下がっているところもあるが、近所の人間たちと支え合って生きる。ここは幸せが町になったようなところだ。

ここが、私の日常。私の幸せ。ちっぽけなものだろうか。誰かに言わせればまたそうかもしれない。しかし、人の価値観などどうでもよかった。村の、うんざりするほど小さな人間関係。呆れるほど退屈な映画。大通りを一本外れても、出会うのは顔見知りだけ。しかしそれでいいのだ。守るべきものはここにある。満たされていると確かに感じる。紙に愛されているのだと祈りをささげられる。この町は、そういうところだ。

「すみませーん」

「いらっしゃー……」

だからいつもの夕暮れ時の店番をしていた時に訪れたその大男に、滑稽なほど驚いてしまった。

玄関に立っていたのは、今まで村で見たことのない顔。真っ赤な髪を逆立てた大きな体の男。

「….」

訝しんでいるのは顔に出てただろうか。不自然な沈黙が一瞬。それでも男は気にしない性格なのか、大きな口を開けて笑って言った。

「部屋が空いてるって聞いて来たんだ」


 代々継いできたこの時計屋は縦に大きな一軒家で、でかい工房を持っている。その中に父親と母親と叔父さん、あと私の妹が住むだけの部屋と、あともうひとつ、”誰かの部屋”があった。その部屋は、私が幼いときからずっと誰かに貸していた。ある時は旅の人。ある時は訳アリの女。またある時はスランプの小説家。私たちの家には、いつも家族以外の誰かがいた。祖父がそれが好きだったからだ。愛を人間にしたような心に広い人で、彼を愛さなかった者も、彼に愛されなかった者もいなかった。変わりもんだよなぁっていいながらも嬉しそうにあの部屋を人に貸し続ける父親もまた、変わり者である。


 今はちょうど地元の大学の年度終わりで、4年間居候させていた学生は無事に卒業し、2階の部屋が空いていた。それをつい昨日、町の掲示板に貼ったばかりだった。

「あぁ…空いてるよ。」

しかし彼は学生ではあるまい。なんだって部屋を借りようなんて…

彼は沈黙の意味を察しているようだった。

「まとまった金が手に入ってね。ちょっとした休暇なんだ。1,2ヶ月ほど貸してほしいんだが…」

健康的な色をした肌に、彼の白い歯がよく映える。怖いくらい筋肉質で、しかし人懐っこい笑顔をする。


 どうしたものかと思っていると、奥から母親が出てきた。

「お客さん?」

初めて見る顔に、少し驚いたように聞いてきた。

「旅の人だ。部屋を借りたいんだってよ」

目線でどうする?と聞いてみる。聞いてみる前から、彼女の返答は分かっていた気がする。彼女は胸をそらし、フンと鼻を鳴らした。

「部屋が空いてるなら、それは彼のためよ。」

へいへい。御心のままに。

呆れた顔をする俺と、当然のことだと言う顔をした母親を見比べて、彼はにっこりと歯を見せて笑った。

「どうもありがとう!」

あぁ、人懐っこい顔。こんな時の勘は当たるのが通説。運命が、変わり始める気がした。

君はそれさえ運命だとでも言うのかい。


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