第158話 現実は異なって 前編

 アタシはレジスタンスの訓練生になってからというもの薬が手放せなくなった。薬はシェリルと関わる前までの人生では無縁だったのが、まるで嘘のようだ。

 片手に収まる程度の大きさのガラスの瓶に詰められた錠剤をいくつか手のひらに出して、雑に口に放り込む。それをラムネ菓子のように噛み砕いた後、水で胃に一気に流し込んだ。

 嚥下し終わって胸をそっと撫で下ろす。

 ──どうして……アタシが……こんな……こんなことになっているんだ……。

 頭が割れるように痛むのを紛らわせるようにアタシは頭を壁に打ち付けた。それも何度も何度も繰り返し、血を流すまで。

 唸り声を上げてアタシはその場に膝から崩れ落ちた。それから一拍置いて、仰向けに倒れ込んで天井を凝視した。鋭い痛みと鈍い痛みが交互に頭を支配する中、アタシは歯を食いしばりながら涙を流した。

 アタシは強いと思っていた。アタシには才能があると思っていた。中等教育を受けているときに所属していた剣術の部活動では、アタシは一年も経たないうちに大将になれたのだ。他の学校との試合でも負けたことは一度もなかった。

 だが今は違う。自分とほとんど変わらない年齢で、体格はアタシよりもかなり劣っている同期たちに後れを取っている。

 筋力で対抗できるのであればまだ勝ち目はあるが、技術が関わってきた途端にアタシは負けてしまう。それは血反吐を吐くほどの努力しても無駄だった。

 その努力の過程でアタシは薬を必要とする体になってしまったのだ。胃は常に荒れていて、頭は痛む。体は鉛の甲冑を着ているように重く、疲れているにもかかわらず眠ることができない。だからアタシは薬を飲む。

 そして今日も薬を使ってどうにか保っている体が壊れる寸前まで鍛錬を積んで、誰にも負けないように努力した。

 その甲斐あってかレジスタンス入隊試験は突破した。だが問題はその後だった。

 同期には『図体ばかり無駄に大きくて役に立たない』、『レストアのほうが向いているんじゃない?』と言われ、ハブられていた。しかし今さらそのようなことに反応して噛み付くことはしない。無視一択でアタシは与えられた任務を遂行していた。

 幸いにもシェリルだけはアタシを褒めてくれた。いつも会ったときにはアタシを励まして、頭を撫でて元気づけてくれるのだ。それがとても嬉しくて、どれほど救われたことか、アタシは感謝してもしきれない。

 その度にアタシもシェリルと同じホロコースト部隊に所属したいと切に願った。しかし現実はそう上手くはいかず、アタシは長い間エコー部隊のままだった。

 その間にも同期は出世していき、後輩にも追い抜かれ、アタシはひとりぼっちになっていた。とてつもない劣等感を味わいながら地を這いつくばっていた。


 しかしそのようなある日、転機が訪れた。

 アタシの前に白衣を羽織っているよく見知った女性が、車椅子に乗ってやってきた。それも自分で進めることはなく、レジスタンスの女性職員に後ろから押してもらっていた。

「シェリル……」

 アタシはシェリルの顔から下に視線を動かす。車椅子に座っているシェリルの両足がなくなっていた。レジスタンスの制服のスカートの裾が座席部分から垂れているが、そこに本来あるべきものはなかったのだ。

「ちょっとヘマしちゃってね……」

 シェリルはそう照れ臭そうに言った。顔には羞恥の色を滲ませながらも普段通りの明るさを保っていた。

 アタシは視線を顔に戻す過程で、腕も片方失っているのに気がついた。トルソーに洋服を着せたように片方だけ袖がだらりと垂れていた。

「い、一体なにがあったんですか?」

 アタシは恐る恐る訊ねるが、シェリルは答えてはくれなかった。顔には柔和な笑みを貼り付けて、のらりくらりと質問を躱していた。

「意地でも答えてはくれないんですね。……じゃあ質問を変えます」

 アタシはまっすぐシェリルの目を見て、

「──なんの用でここに……アタシのところに来たんですか? シェリルならば絶対に理由があってのことですよね?」

 と声を僅かに低くして確かめるように訊ねた。

「さすがヴァイオレット、よく分かっているわね。──それなのだけれども……」

 シェリルは満足げに笑ったかと思えば、車椅子を押している女性職員に耳打ちをした。すると女性職員は車椅子にかけてあった鞄を手に取り、中から大きな茶封筒を取り出し、アタシに手渡した。

 茶封筒の表には『censored』と朱書きされていた。

 アタシは首を傾げて、

「開けてもいいですか?」

 と訊ねると、間髪入れずにシェリルが、

「どうぞどうぞ、開けちゃって」

 と楽しそうに言ってきた。その姿はまるで親にプレゼントを渡して、早く開けてみてと急かす子どものようだった。

「…………」

 許可を得たアタシは茶封筒を開けて、中身を確認した。

「……ん?」

 入っていたのは、クリップで留められた一、二センチメートルほどの分厚さのある書類だった。アタシはそれをパラパラとめくり、内容を斜め読みする。

 ──は? なんなんだよこれは。随分と質の悪い都市伝説だな。不気味だし、一体どこの誰がこのような趣味の悪い報告書を作ったんだ。

 そしてすべてに目を通し終えると、それを見計らっていたかのようにシェリルが声をかけてきた。

「私の粋な計らいによってあなたにチャンスが与えられたわ」

 自慢げに言いながら見せるあどけない表情にアタシは心を奪われた。自分よりも年上にもかかわらず、自分よりも強いにもかかわらず、守りたいと心底思った。

「チャンス……?」

「万年固定の階級を打破する良い機会よ」

「シェリル、それは一体どういう意味ですか?」

 再度首を傾げると、

「それはね──」

 シェリルはもったいぶって、この間を飴玉を口の中で転がして楽しむようにしたのちにようやく答えた。

「私は引退するから、誰か推薦したい人がいればしていいって言われたのよ。上の人にね」

「推薦……?」

「そう、推薦」

「──ってなんのですか?」

「なにって、そりゃあ……ホロコースト部隊、私がいなくなったことで一つ空くでしょう? その補充は近いうちにしないといけないのよ。でも今のところ候補の人間はいないのよね」

「アルファ部隊から選べばいいんじゃないですか? 彼女らは優秀ですよね? 特異体の装備だって持っている人も少なくないんじゃ……」

「優秀って言っちゃあ優秀だけれども、誰も同化していないのよ。一応、ホロコースト部隊は同化しているのが条件だから。……まあ見つからなければ、その中から選ぶのでしょうけれど」

 シェリルはわざとらしく咳払いをして、

「──というわけで、私はあなたを推薦するわ。だから準備をしてちょうだい。その書類にある通り、あなたには『渇望の女王』が用意されているのだから」

「えっ……それって……」

「あなたには期待しているわ。だから同化してね、約束よ」

 声色は冗談めかした子供っぽさが残っていたが、表情は年相応の真剣なものだった。

 そしてシェリルはアタシに残っているほうの手の小指を立てて差し出し、

「はい、約束」

 とあどけなく笑ってみせた。

 アタシはシェリルの小指に自信の小指を絡めて、

「はい、任せてください。シェリルの期待を裏切るようなことはしません。神に誓って、お約束します」

 と決意を込めて答えた。

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