第130話 霧の脅威 後編

 全身をズタズタにされては治し、ズタズタにされては治しを何度も何度も繰り返した。繰り返しすぎてこれが何度目か、数えるのはやめた。

 徐々に傷は深く、大きくなっていき、たとえ治しているとはいえ、僕の体は見る見るうちに満身創痍に近づいていった。

 覚束ない足取りでミストの収容室を目指して歩を進める。その間もミストに纏わり付かれている僕の体は傷ついていき、血液がポタポタと音を立てて垂れた。僕の体は必死に治そうとしているが、そろそろ追いつかなくなってきた。

 ──この能力って繰り返し使っていくうちに効率が良くなるものなのか? それともずっと治癒能力は変わらないのか?

 疑問に思いながらも僕は壁伝いで歩いていった。

 あと十五メートルといったところでミストは僕のアキレス腱を切りつけた。途轍もなく大きな痛みに僕は叫び声を上げて膝から崩れ落ちた。すぐさま体はそれを集中的に治療していくが、中々傷は塞がらずにじわじわと出血し続けている。

「……痛い……痛い……痛い……」

 僕は赤子のように四つん這いで床を這って移動を続けた。あちこちから血を流しながらも進んでいく。

「……こんな……の……聞いて……ない……って……の……ふざけ……んな……体……もう……壊れ……る……」

 ──せっかく同化できたというのに、こんな呆気なく死んでしまってはヴィオラに顔向けできないじゃないか。お姉ちゃんダサすぎって言われるに違いない。

 僕は奥歯が割れてしまいそうなほど食いしばって意地だけで耐えていると、ようやく収容室に到着した。中には体のいたるところから出血している職員がいて、息絶えているようだ。そのようなことは気にもとめずに這いずって部屋に入ると、僕はうつ伏せで倒れ込んだ。顔面から床に着地するが、この程度の痛みは感じないに等しい。

「さ……て……と……後は……そっち……が……どうにか……しろ……よ……」

 体のありとあらゆるところから出血しているせいで、熱湯に放り込まれたかのように全身がじんじんと熱を孕むように痛んだ。それにただひたすら耐えて助けが来るのを待っているうちに僕の意識は朦朧としてきていた。

 ──早く来てくれよ。もうそろそろ本当にまずいから。

 床の冷たさが妙に心地よく、そのまま僕は意識を失った。


 次に目が覚めたのは、みぞおちに痛みを感じたからだった。フルスイングした金属バットが直撃したかのように内臓が抉られるような鈍痛を味わった瞬間、僕は跳ね起きた。

 みぞおちを押さえながら即座に跳躍してその場を離れるが、今度は脇腹にみぞおちと似たような痛みが走り、僕の体は台風に薙ぎ倒された街路樹のように吹っ飛んでいく。

 咄嗟に受け身を取ったことにより、無防備なまま床に叩きつけられることはなかったが、それでも手から着地をしたせいで手のひらが痛んだ。

 痛みから来る熱を払うようにバタバタと手を動かして、周囲を警戒する。

 不思議なことに、ここはミストの収容室にもかかわらず、僕の体に纏わり付いていたミストは消失しており、ぼろぼろになっていた体も完全に治癒していたのだ。

 ──やっと職員が助けてくれたのか。

 再収容に向かう前、職員が渋々提案したものは、僕が収容室に入ったら、その空間を一気に冷却して、強引にミストを一時的に消滅させるというものだった。しかしそれを一度実行するのに、僕のレジスタンスから与えられる賃金の十年分ほどが一瞬で消し飛ぶから、職員はしたくなかったそうだ。

 ──人間の命は一部を除いて、お金と比較することはできないほど価値のあるものじゃないか。それを高々その程度の額を惜しんで見殺しにするのは、少なからず罪悪感を覚える行為なのではないだろうか。

 僕は立ち上がり、ミストの動きを封じている間に収容室から脱出しようとして出口に向かったが、襟首を掴まれて強い力で引き戻され、臀部をしたたか打った。

 ──まったく、なにが起きているんだよ。これはミストの攻撃じゃないのは一目瞭然だ。だからそれ以外のなにかが僕を攻撃しているのは分かる。だがそれが問題というわけじゃない。問題なのは──攻撃が見えないことなんだよ。見えないものをどうやって避けりゃいいんだ?

 一応、視界に入っていないだけかもしれないから高速で周囲を見回すが、やはり見つからない。

 ──ミストみたく見えないものが入り込んでいるのかよ、ふざけんな。早く帰らせろ。

 僕はもう一度部屋を出ようと踏み込むと、背中に衝撃を受けた。背骨がバキバキと普通なら鳴らないような音を立てて僕は前のめりになり、倒れかけたからそのまま前転をして受け身を取ると、背後を確認した。そこには──。

 ──なにもいない。

「クソがっ! 一体、どうなってるんだよ!」

 その場で攻撃の対処ができるように小さく息を吐いて集中し、ファイティングポーズをして構えていると、僅かだが空気の揺らぎを感じ取った。それはまるで穏やかな海面のようで、浮き輪でぷかぷかと浮かんでいたらさぞ気持ちが良さそうなものだった。

 ──そこか!

 僕は片足を引き、前に出ているほうの足を軸に回し蹴りを放った。足はなにかに衝突し、柔らかい感触を得た。するとズタボロになっていて靴と呼べるのか怪しいものが足からポロリと落ちた。

 体を捻って再度正面を向くと、左斜め前で白化している吸血鬼が転がっていた。その吸血鬼は清潔感のある白の短髪に鮮血のように赤い瞳で、右の目尻と唇の左上にはほくろがあった。


『兄はジョシュアという名で、人間のときは白い髪や肌、赤色の目をしていました。あと右の目尻と唇の左上に特徴的なほくろがあります』


 入隊してまもなくノエルから送られてきた手紙を思い出す。

 吸血鬼は頬をさすりながらふらふらと立ち上がり、

「痛いじゃないか……」

 と言って舌打ちをすると、僕に飛びかかった。

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