第129話 霧の脅威 前編
『09・C・0093の脱走が確認されました。至急、同階層にいる職員は鎮圧及び再収容に当たってください。繰り返します。09・C・0093の脱走が確認されました。至急、同階層にいる職員は鎮圧及び再収容に当たってください』
過剰なほどに大きな警報音が鳴りっぱなしの中でこのような放送が入った。
「脱走? 特異体が脱走しちゃったんですか! それ結構ヤバくないですか? 絶対まずいですよね。どうするんですか、シェリル!」
危険度クラスはC級で強さ自体は陰と同程度のものだとは思うが、仮にその通りだとしたら、脱走されるとかなりの脅威になり得る。
「あ、あんなのがいっぱい収容されているんですよね!」
陰の青色の刃を鮮明に思い出す。それだけで身の毛がよだった。そのようなものが無数に収容されている動物園状態のインテリゲンツィアの施設に僕は恐怖した。
「まあ心配しないの、セシリア。ここの職員がなんとかしてくれるわよ。……ですよね?」
シェリルは隣を歩いていた職員を見ると、その職員は僕を凝視していた。
「……あの、僕の顔になにか付いていますか?」
嫌な予感がするが、一応首を傾げて可愛らしく訊ねてみると、
「セシリア・フォスター、鎮圧にあなたも加わってください」
と人間とは思えないような抑揚のない声で言った。
「……は? 今、なんと仰いましたか?」
きっと僕の聞き間違いだろう。まさか職員に混じって僕も鎮圧に加わらなければならないなどということはないはずだ。
「あなた、同化したのでしょう? であれば欠損以外はかすり傷に等しいのですから、鎮圧に加わってください」
聞き間違いではなかった。
──なぜこうも僕には運がないのか。上司には理不尽に殴られるし、関係者でもなんでもない、初めて来た施設で働かされそうになっていし、散々だ。
「……だって。セシリア、いってらっしゃい」
シェリルは満面の笑みでサムズアップして僕に働くよう命じてきた。
「僕はシェリルのことを間違えて認識していたようです」
僕はうなだれて大きなため息をつくと、職員から今回脱走した特異体を要約して教えてもらった。
今回脱走したのは、登録ナンバー『09・C・0093』危険度クラス『C級』のミストというものだった。それは名前の通り霧の特異体で、目には見えないというものだ。
それを聞いた瞬間、
「見えないのに鎮圧とか絶対に無理だろ、それ」
と思い、口にしたら、無言かつ真顔のシェリルに臀部をペチペチと何度も叩かれ、お尻が二百五十六個ぐらいに割れた気がした。
口答えするたびにシェリルに臀部を叩かれるから三度目くらいから指摘したくなっても、言葉をぐっと呑み込んで、ただコクコクと頷くだけのロボットを演じた。
それからミストの主な攻撃方法と収容方法を説明された。
視認することができないミストは音もなく静かに人間に接近してきて、体に纏わり付いて、じわじわと体の表面を切りつけて弱らせていき、最終的には出血多量で殺してしまうそうだ。纏わり付かれても頑張って逃げれば問題ないと思ったが、一度巻き込まれたら、そのまま対象が死ぬまでずっとくっついているそうだ。
それを聞いてやはり僕は、収容なんて無理じゃないか、と思ったが、シェリルに臀部をペチペチと叩かれるのが嫌だったからなにも言わなかった。
次に説明された収容方法は、途轍もなく恐ろしいものだった。それはミストの習性を使い、人間を一人犠牲にして、強引に部屋にとどめるというものだ。ミストに纏わり付かれた人間はそのままじわじわといたぶられ、最終的には死亡するのだが、それを利用して、纏わり付かれた人間に部屋まで誘導させると、そこで人間もろとも閉じ込めるのだ。すると時間経過で人間は死に、特異体は無事に再収容できる、という算段らしい。
──アホだろ、こいつら。犠牲を出すのが前提って。しかも致命傷以外はすべてかすり傷の僕を使って再収容しようとしているなど、正気の沙汰ではない。仮に収容できたとして、僕はどうやってそこから抜け出すのだろうか。絶対に……言い出した職員はアホだ。
それだけは気になったから指摘すると、僕に薬を与えて仮死状態にして回収するそうだ。ちなみにその仮死状態にする薬は半分程度の確率で目が覚めないらしい。
──誰がやるかよ、そんなこと。せっかく生き残ったというのに、またしても死ぬかもしれない賭けに自分の命をベットできるわけないだろう。
思わず僕は職員の胸ぐらを掴んで壁に押し当てて凄むと、職員は渋々といったように最善策を提示してきた。
それを聞いた僕は、最初からそれにしろよ、と言わざるを得ない方法だった。
こうして僕はミストの収容室付近へと走っていった。職員から貸し出された携帯端末を片手に特異体がいるおおよその位置を把握した。しかしこの階層が京都かとツッコミを入れたくなるような碁盤目に似た造りになっているせいで、今どこを走っているのかときおり分からなくなる。
そして遂に迷子になった。現在地が表示されていない端末は最早使い物にならない。
「……どこだよ、ここ」
頭を抱えていると、次の瞬間、体のいたるところにカッターナイフを沿わせたような痛みが走った。痛みを感じたところからは僅かに出血が見られたが、それもすぐに止まって傷は塞がった。
それから連続してあらゆる場所に痛みを感じ、僕は片膝をついた。いくらすぐに治るとはいえ、痛いものは痛いのだ。
歯を食いしばりながら僕は不敵に口角を上げて笑い、
「わざわざ来てくれてどうも」
と言って立ち上がった。
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