第123話 選択 後編

 僕はシェリルに退院直後とインテリゲンツィア行きの車に乗る三週間前にこの質問をされた。

「遺伝子は残さなくていいの?」

 その質問に対して僕は首を縦に振って答えると、シェリルは少し悲しげな表情を浮かべた。

「いらないですよ。僕の家族はヴィオラ一人で十分ですから。それに……僕はまだ初潮を迎えていませんから無理ですって」

 もしも同化した場合、強制的にインテリゲンツィアによって生殖器を摘出されるというルールがあるから、遺伝子を残したいのであれば、戦う前に卵子を保存するという選択をすることになる。しかし僕にはそれができない。それにそもそもするつもりはないから関係のない話だ。

 栄養失調になっていた僕が一年以上レジスタンスで三食きっちりと栄養のある食事をしてかなり体重が増えてきていても、まだ初潮は来る気配がないから、きっと僕の臓器に異常があるのだろう。

 ──生理なんて痛いし面倒らしいから、遺伝子を残すつもりは微塵もない僕には必要ないから、異常があろうがなかろうが関係ないな。

 ──そもそも僕は遺伝子を残す必要がある人間なんかじゃない。

 ──家族なんてヴィオラ以外にはいらない。きっと僕は上手く作ることはできないだろうから。

 ──ヴィオラ一人守れない僕が家族を持つ資格はない。

 それに──。


 手に残る人間を切った感触。宛てがわれた刃に耐えきれなくなった皮膚が切れて赤い液体がじわりと出てきて皮膚を伝う。更に刃を進めると、脂肪と筋肉に到達した。神経も切断し、骨に到達して僕はようやく諦めた。

 自分と同じ生物だという事実は受け入れがたく、目の前で転がって呻き声を上げている悍ましい異物を見て僕は恐怖した。

 ──僕はこんなやつじゃない。

 ──違う、違う、違う。これは人間の形をした別のなにかだ。決して人間なんかじゃない。

 ──だから僕は人を殺していない。


 ──世間一般で言う普通の家族を知らない僕が家族を作ったところで、幸せにしてやる自信がない。きっと子供は僕と同じ思いをするかもしれない。

「……リア、セシリア。おーい、大丈夫ですか? 随分と思い詰めているようですが……」

 僕を呼んだのは、内心を読むことを拒む柔らかい笑顔を顔面に貼り付けたアンジェラだった。

「もうすぐ特異体と戦うようですが、もしかして……緊張しているんですか? 珍しいですね、セシリアにしては」

 アンジェラは口元を隠してクスクスと笑った。

「いや……そういうわけじゃ……ない……ですが…………」

 僕が後頭部をぽりぽりと掻きながら視線を逸らして言葉を詰まらせていると、

「シェリルに遺伝子を残せって言われたんですよね」

 とアンジェラは僕の心の蓋を開けて中を覗き込むような悪趣味な目つきをして言った。

「な、なんで分かったんですか……!」

 僕が驚いて口をパクパクさせて訊ねると、アンジェラは悲哀を深層に押し込んで無理やり笑って、

「だって……私もシェリルに同じこと言われたから」

 と明るく言った。

「私はもう二度と結婚することはないし、子供を持つ選択をすることもないから即断ったんですけれどもね。でも何度も何度も『本当にそれでいいの?』とか『あとで必要だと思ってもできないわよ』とか鬱陶しいほどに言われたけれど、私は絶対に首を縦に振りませんでしたよ」

 アンジェラは柔和に笑った。

「二度と……?」

 ──この人一度結婚しているの? まあ確かに綺麗な人だから引く手数多なんだろうってことは容易に想像できるけれど……。僕とそんなに歳は変わらないはずなんだけれど、アンジェラは結婚していたのか……。

 僕が呆然とアンジェラの琥珀の双眸を見つめていると、

「えっと……その視線はなにに対してのものか訊いてもいいですか?」

 とアンジェラは眉間に僅かに皺を寄せて訊ねた。

「そ、そりゃあ──アンジェラが結婚していたってことですよ。とってもびっくりしましたよ!」

「ああそれ……結婚と言っても籍は入れていないから、少し違いますよ。婚約して両家の顔合わせも済ませて、いつ籍を入れるか、ってところで白紙になっちゃいましたから」

 アンジェラは珍しく苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

「えっ……それって……今、アンジェラがレジスタンスにいるのと関係があるんですか?」

 一瞬アンジェラの瞳孔が開いた。

「まったく無関係ってことはありませんよ」

 アンジェラは口元を隠して困惑したように答えてからわざとらしい咳払いをして、

「ほら、私のことなんてどうだっていいんです。今はあなたの問題を解決させないといけないでしょう?」

 と言って僕の背中を物理的に押して、シェリルの執務室へと連れていった。


 シェリルの執務室に入ると、シェリルは不機嫌な表情で苺のショートケーキをもちゃもちゃと食べていた。僕の入室に気がついたシェリルは小動物ならば視線だけで殺せてしまいそうなほど鋭い目つきで睨みつけてきた。

「あ、あの……僕にはやはり必要ありませんから」

 僕の声はまるで聞こえていないようにシェリルは一心不乱にケーキを咀嚼している。

「シェリル! 僕は! 遺伝子を! 残さなくて! いいですから! ちゃんと! 伝えましたよ!」

 と大音声で言ってアンジェラと共に執務室を後にした。

 その後、食堂でアンジェラと食事をしていると、アンジェラ曰く、シェリルがあのような状態になるのはそこまで珍しいことでもない、とのこと。思い通りにならないと甘味を摂取しながら入室してきた人間を睨むのがいつものルーティーンだそうだ。

 ──あれで三十路前後なんだろ……僕よりも精神年齢幼いんじゃないか?

 改めておかしい人の部下になってしまったと、僕は頭を抱えた。

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