第87話 第十のセフィラ戦 中編

 マルクトと共に僕は地面へと吸い込まれるように落下していった。空中で僕から離れようとマルクトが動くが、僕はマルクトを抱きしめているからそれはできなかった。

 くっついたまま僕たちは通りの店の布製の屋根に着地した。トランポリンのように弾んで地面に転がり落ちる。

 僕は猫のように体を使ってマルクトを下にして地面に着地した。二人分の質量によって地面は放射状に砕け、破片が辺りに散らばった。

 マルクトの首にクレイモアを宛てがい、

「おい、マルクト、今すぐモニカに繋げた糸を切れ」

 と怒気を含んだ声で言った。それと同時に僕は空いているほうの拳をマルクトの顔面に落とした。

「早くしろ」

 連続して殴ると、水晶のような瞳は砕け散った。血液が滲み出して透き通るような瞳は真っ赤に染まった。

「嫌よ」

 流した血涙が白い肌を汚し、顔で不快感を表したマルクトは小さく言う。

「異能力──人形劇『群像劇』」

 次の瞬間、マルクトの指先から無数の糸が飛び出し、周辺の人間に絡みついた。そして何重にも巻きついて繭のようになった。

 騒ぎを遠巻きに見ていた人を次々と捕らえては繭にして、それが解けたかと思えば、球体関節人形へと作り変わっていた。

 もう彼らに自我は存在しない。例外なく彼らはマルクトに糸で操られるだけの人形になってしまったのだ。

 人形となった彼らはゆっくりと起き上がり、僕に注目した。

 無数の視線に気を取られた隙にマルクトは僕の腹部に蹴りを入れて吹っ飛ばした。僕は上昇しながら後方に飛んでいき、店に並ぶ果実の棚に衝突した。

 中身と共に地面に転がり落ちる。熟れて柔らかくなっていたものはぐちゃりと潰れて甘ったるい臭いを発した。それが皮膚に付着して非常に不快だった。

 体に付いた潰れた果実を払って反撃しようと起き上がるが、既にマルクトはそこにいなかった。

「──どこに行った!」

 周囲を見渡すが、あるのは今にも僕に飛びかかろうとしている人形たちだけだった。

 ──まあ、こいつらを殲滅すればマルクトも戻らざるを得なくなるだろ。

 僕はクレイモアを構えて、人形を片っ端から薙ぎ払っていった。彼らは人間の柔らかい感触ではなく、硬い金属のようになっていた。当然ながら出血もしない。それのおかげで殺人という罪悪感を感じなくて済んだ。

 しかしどれだけ切ってもすぐに糸が繋がれて瞬く間に復活してしまう。一対三十、それに加えて敵は無限にコンテニューができるというチート性能を持ち合わせている。

 ──勝ち目がない。マルクトの狙いは僕をここで消耗させることだろう。そしてあわよくば人形で殺す、といったところだ。

「どうするかな……」

 次々と僕を殺そうと飛びかかってくる人形を切りつけては退かせるということをただひたすらに繰り返しながら思考した。

 ──良い案なんてあるわけないだろ。僕には大した知識はないんだから。

 原因を対処せずにいると、こちらはどんどん劣勢になるばかりだった。まさに数の暴力。多くの人形に囲まれており、負けるのも時間の問題だと思った。

 八方塞がりだと頭を抱えていると頭上から、

「敵を引きつけて逃げて!」

 とモニカの大きな声がした。

 声のするほうを向く余裕がない僕はなにも考えずにとにかくその場から逃げることを考えた。

 ──敵の隙をつけ。相手は人形だ、吸血鬼じゃないから対処は難しくない。

 小さく息を吐いて僕は駆け出した。目の前に立ち塞がる人形を蹴り飛ばして強引に道を開くと、姿勢を低くして疾走した。

 人形は僕を追うが、その距離はじわじわと広がっていく。

 次の瞬間、発砲音が響いた。それとほぼ同時に爆音が発生し、間髪入れずにとてつもなく大きな衝撃波が生み出された。その衝撃波が背中に直撃し、前傾姿勢だった僕の体はあっけなく宙を舞った。

 地面を二、三回跳ねて転がり、路傍に積まれた箱にぶつかってようやく止まった。全身の骨が軋み、肋骨に至っては折れているのではないかと思うほどの痛みを覚えながら僕は立ち上がり、人形たちのほうを見た。

 凄絶の一言に尽きる。先ほどいた場所からは大きな火柱が上がっていたのだ。しかもそれだけでなく、周囲にあるものにも引火しており火はどんどん燃え広がっている。幸いにも建物自体は不燃性の素材で作られているおかげで外壁こそ損なわれても倒壊する恐れはなかった。

 僕は煙を吸わないように姿勢を低くして人形を探すが、それらしきものは見当たらなかった。

「どこに行ったんだよ」

 息をするだけで痛む体のまま僕は周囲を警戒してクレイモアを構えた。痛む部位を押さえると鈍痛がするのと同時に、それが感じたことのある痛みだということが分かった。

 ──やっぱり折れてるよなぁ、これ。何本行ったんだろ。

 集中力が鈍った刹那──僕の視界が大きく揺らいだ。咄嗟に足を出して踏ん張るが、一拍置いて脇腹に耐え難いほどの激痛が走り、力が抜けて足が地面から離れた。

 体はまたしても宙を舞い、今度は地面ではなく広場の噴水に落ちた。水深が浅いせいで底のコンクリートで頸部から後頭部にかけてをしたたか打った。

 すぐさま顔を水面に出すために起き上がろうとしたら、手で顔面を押さえつけられて沈められた。焦って呼吸が乱れ、冷静さの欠けた行動しかできずに手から上手く逃れられない。

「あの鳥が死ぬのも時間の問題、そしてあなたは私の手によってもうすぐ死ぬ。暇乞いは済んだかしら?」

 マルクトの冷え切った抑揚のない声が聞こえる。

「あいにくまだ済んじゃいないんでね」

 僕は全身に力を入れ、脇腹の痛みを抑え込んで跳ね上がるように起きた。そして間髪入れずにマルクトの顔面を殴り飛ばした。大きく仰け反ったところをずっと握りしめていたクレイモアで追撃した。

「僕が目的ならわざわざ一般人を巻き込むんじゃねぇよ!」

 自身を鼓舞するように、そして痛みを誤魔化すように叫び、僕は踏み込んだ。

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