第83話 守るべきか否か
拳が顔面に刺さる。鼻が砕ける音とともに鮮血が散った。するとカウンターで蹴りが飛んできて、それが脇腹を捕らえ、鈍い音をさせる。それから隙を逃さんと言わんばかりに続けて拳がみぞおちを抉るように直撃した。胃の中身が押し上げられ、口から溢れた。
口を手で雑に拭うと踏み込んで間合いを詰めた。その足を軸に横に回転すると、踵が側頭部に直撃した。それによって脳が揺れて一瞬意識が飛びかけたが、意地で立ち続けている。
どちらも吸血鬼との死闘を生き抜いて満身創痍だった。だがその肉体による暴力が止まることはない。
「わたしは悪くない!」
肩で息をしながら覚束ない足取りで拳を振るう。それを回避することができずに頬に当たった。口の中を切って血液を吐き出した。
「なんで! あの状況で守れたのはヴェロニカしかいないのにそれを放棄した! あなたのせいだ!」
ヴェロニカとモニカが素手での喧嘩をしているのだ。理由は単純、ヴェロニカがカルヴィンを守らなかったからだった。それがモニカはどうにも許せなくて今に至る。
「いい加減にしろよ」
僕の体は勝手に動いていた。殴りかかっていたモニカのがら空きの腹部に回し蹴りを入れると、その足を軸にして後ろ回し蹴りをヴェロニカの脇腹にに決めた。
「僕たちはあの状況で役に立たない人間を守るほどの余裕がなかった。だから仕方がないだろ」
「でも……」
僕の言葉に腹を押さえてうずくまっているモニカは言葉を詰まらせた。
「……しだって……」
「どうした?」
「……わたしだって……」
片膝をついて俯いているヴェロニカが声を荒げて、
「わたしだって! あの人を好き好んで死なせるつもりはなかった! わたしと同じ境遇の人間が死ぬとまずいってことぐらい分かってるよ!」
と感情に任せて叫んだ。
「でもわたしも死にかけて……自分の命を優先してなにがいけないの? わたしだって出稼ぎの身なんだからさ。もしもわたしが死んだら……家族が路頭に迷うから……簡単に人を守って死ぬことはできないんだよ……」
先ほどとは打って変わって声調は落ち着き払っていた。目には大粒の涙を浮かべており、今にもこぼれ落ちそうだった。
僕は無言でヴェロニカを抱きしめて頭を撫でた。それからヴェロニカを抱きしめたままモニカの顔を見て、
「モニカ、ありがとな。僕を救ってくれて。お前がいなければ僕は今頃あの異能空間で窒息死した挙句、食われているところだった。本当に感謝しているよ」
と言って抱き寄せた。するとモニカははにかんで、
「……そんな……困っている可哀想な人がいたら助けてあげるのは当然のことだから」
と僕にもたれかかった。
「ほら、そろそろ夜明けだよ。一旦、街に戻ろう」
ナスチャの声で僕たちは時間を知った。吸血鬼の時間はようやく終わりを告げたのだ。
朝日に照らされる二人の顔を見て、僕は頭を撫でた。
「それじゃあ任務を遂行したことだし、本部に戻るとしようか」
そう言って二人を離してナスチャを頭に乗せると、モニカの腹が鳴った。
「……えへへ、ひと段落したらお腹が空いちゃった。さっき吸血鬼を食べたはずなんだけれど……」
頬をぽりぽりと掻きながら恥ずかしそうに言った。
「おい待て、吸血鬼を食べたってどういうことだ」
──吸血鬼って食べられるのか? こいつ今、牛や豚や鶏を食べたノリでさらっと言ったぞ。
「……えっと……中でどれだけ暴れても脱出できそうになかったから、食べちゃった」
僕は側頭部にフルスイングの金属バットが直撃したような感覚を覚えた。僕に備えられた僅かな常識が通じないことに、ここが異世界のように思えて大変恐怖した。
「そうか、それなら仕方がないな」
一拍置いて僕は現実に引き戻されてすかさず、
「──なんてことにはならないからな。なにをどうやったら食べるだなんて発想に至るんだ?」
とツッコミを入れた。
「昔から色々なものを食べてきたから。だから吸血鬼もいけるかなって思って……食べられないほど美味しくないってこともなかったよ」
モニカは微妙にズレた回答をした。
「……分かった、もういい」
疲れている僕は諦めた。
「早く帰って朝ごはんを食べよ。もうそろそろお腹が空いて動きたくなくなくなってきたからさ」
そのような僕を置いて、モニカは一人だけ上機嫌で街に向かって歩いていった。
手で目に入る光を遮りながら僕たちはモニカを追って砂漠を後にした。
途中、各自の損傷の度合いを共有したら、驚くことが判明した。僕はナスチャのおかげですべて治癒している。ヴェロニカはそこまで重症ではなく、先ほどの殴り合いでできた傷がある程度だ。だがモニカは違った。明らかに内臓が傷ついていて重症だったはずなのに、ヴェロニカと同じくらいの怪我の度合いだったのだ。
出た結論は、モニカは吸血鬼を食べられる。そして一時的に吸血鬼になることができる、というものだった。この状態で日光に晒されるとどうなるのかは分からないが、しないに越したことはない。
朝食を済ませた僕たちはすぐに帰還することはせずに、この街で一日体を休めることにした。
言うまでもなくモニカは到底一人では食べられるとは思えない量をペロリと平らげたのであった。
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