第72話 砂嵐 前編
気配を察知したモニカが跳躍してその場を離れた。今まで立っていた場所にはセシリアに水を汲むよう渡したはずの鍋が落ちていた。
「──セシリア!」
モニカは目を見開いた。その視線の先にあるのは、砂の中に引きずり込まれているセシリアの手だった。
助けに行こうと駆け出すが、突如として発生した砂嵐によってそれは拒まれた。
砂嵐は分厚い壁になって向こう側は見えなくなっている。ここが別の次元の空間にいるように感じられた。
細かな砂が物理現象を無視した動きをする強風に乗って周囲を包み込んでいる。それはモニカだけでなく、料理の準備をしていたヴェロニカやカルヴィン、テント内に重石の代わりに置かれていたナスチャも巻き込まれている。
「なにが起きてるの?」
しゃがんでいたヴェロニカが立ち上がり、拳銃を抜いて安全装置を解除すると、砂嵐に向かって構えた。そして神経を一本の糸のようにして、少しの変化も感じ取れるように全方位を警戒している。
「な、なんだよぉ……砂嵐なんてぇ……ついてないよぉ……」
カルヴィンはしゃがんだまま目を閉じて頭を抱えた。
「──襲撃だ」
ヴェロニカの感情を押し殺した声とともに一発の発砲音が響いた。空薬莢が砂に音もなく刺さる。
祈りを込めた銀の弾丸は砂嵐の壁を貫通した。だが手ごたえは感じられなかった。
「ひいぃぃぃ……その銃は本物なのぉ……まだ死にたくないよぉ……」
カルヴィンは頭を抱えたままビクビクと震えながら、この世の終わりを目の当たりにしたような絶望の色を顔に塗りたくっている。
「うるさい、あなたは下がってて。使い物にならないから」
続けてヴェロニカがトリガーを引くと再度弾丸が飛んでいく。
砂嵐の壁を突き抜けた先で対象に着弾した。同時に砂嵐が弱まり、視界が開けた。
ヴェロニカの持つ拳銃の銃口の先で吸血鬼が片膝をついていた。
吸血鬼は日に焼けた褐色の肌に金髪で、琥珀のような瞳をしている。黄系統の色でまとめられた踊り子の華やかな服装はとても扇情的だった。
モニカがヴェロニカの側に駆け寄り、
「やっぱり異能だったね」
と腰にあるサーベルを抜いてさらりと言った。目には慈悲だけが浮かんでおり、そこに殺意は存在しなかった。
モニカはヴェロニカと同じ方向を見据えて、
「早く解放してあげよう。そしてセシリアも助けてあげないとね」
と柔和な笑みを浮かべて同意を求めるようにヴェロニカを一瞥した。
「それは分かってるよ。──セシリア? セシリアは今、どうしてるの? 見えないんだけれど」
ヴェロニカは吸血鬼から注意を逸らさない程度に目を忙しく動かして辺りを見渡すが、当然ながらセシリアは見つからなかった。
「もう一体の吸血鬼の異能に巻き込まれていると思うよ。だから早く助けてあげな──」
「──必要ないよ。セシリアはわたしと同じ階級だから。異能持ちの吸血鬼一体に後れを取ることはないと思う」
切り捨てるように答えた直後、耳をつんざくような発砲音がした。
「次は脳幹を損傷させるから」
ヴェロニカは吸血鬼を蔑視しながら、死神のように生命の感じられない声で死刑宣告をした。
視線の先にいる吸血鬼は呆然とヴェロニカを見つめている。足からは真っ赤な血液が流れ出ており、砂を赤く染めていた。
吸血鬼は異能力の解除に至った一撃で作られた傷は治したが、立ち上がろうとした瞬間に今の攻撃が同じ場所に突き刺さり、動けなくなっている。
「……痛い」
傷口を押さえて搾り出すように呟き、ヴェロニカを忌ま忌ましそうに睨みつけた。吸血鬼がこれまで纏っていた殺気はより濃いものになると同時に足の傷は癒えていった。
慈悲を与えることもなくヴェロニカは銃口を吸血鬼の頭部に向け、人差し指に力を入れた。
「死んでよ」
ヴェロニカの声と銃声は冷えた砂漠の夜に吸い込まれていった。
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