第54話 特別訓練 中編
朝食を済ませた僕たちは再びレジスタンス訓練施設へと足を運んだ。
ヴィクトリアがこの訓練のために用意したという部屋に入った。そこは縦横は十五メートルほどで、高さは五メートルもないぐらいの空間だ。
壁、床、天井、どこを見ても白く、現実世界と乖離した空間に思えた。そのような空間に違和感を感じさせる物体がぽつんと一つだけ存在している。それは一辺が一メートルほどの金属で作られた立方体で、かなり頑丈そうに見えた。
「……さあ……セシリア……これを……切って……」
ヴィクトリアはいつのまにか用意していたクレイモアを片手で持って言った。
「切る? あれを?」
僕が立方体を指差して確認すると、
「……そう……こうやって……しゅっ……って……」
とヴィクトリアがクレイモアをその場で振り下ろした。
「いや、絶対無理でしょ。僕は旋盤じゃないので、突切り加工のようなことはできませんよ」
「……いいから……口答えせずに……やれ……さもないと……切る……」
ヴィクトリアのクレイモアを握る手に力が入ったのと同時に、彼女の渾身の頭突きが僕の鼻に決まった。
「──切るんじゃないのかよ!」
想定外の頭突きによる衝撃から僕は大きく仰け反った。鈍痛が鼻の内側で膨張する感じがするのと同時に、生温かいものが鼻から垂れてきた。
さすがホロコーストに所属するだけはある。一般人の威力とは桁が違った。
鼻血が重力に従いながら顔を伝ってから床に数滴落ちた。白い床に真っ赤な花を咲かせていく。
「……ほら……早く……切って……」
感情のこもっていない平坦な作られた声は僕の心配などまったくしない。それどころか、
「……床が……汚れた……汚い……」
とご立腹のようだ。
「それは後でちゃんと掃除しますから、これを切るための武器を貸してくださいよ」
「……自分の……背中にある……それを使えば……いいと思う……なぜ……私が……貸さなければ……ならない……」
「だって──」
僕は無意識のうちにヴィクトリアから視線を逸らして立方体を見た。
「……だって……なに……?」
「このクレイモアをへし折ったら始末書どころじゃないからですよ! 僕の希望が潰えちゃいます! それは嫌なので貸してください!」
僕はヴィクトリアのクレイモアを握る手首を掴んだ。
「……折れない……ように……使えば……いい……」
「いいから貸してください!」
クレイモアを奪取しようと掴んだ手首を捻るが、ヴィクトリアも近接戦には慣れているせいでなかなか成功しない。それどころか彼女のほうが一枚上手で、投げ技を決められた。僕の体は美しい放物線を描きながら宙を舞った。
床に背中から叩き落とされ、肺を満たしていた空気が口から漏れる。
「……まだ……やる……?」
無機物の冷たい双眸が僕を見据える。
「……ごめんなさい」
硬い金属同士が衝突することによって発生する高い音が、静寂なこの空間に虚しく響いた。
僕は支給された自分のクレイモアを立方体めがけて何度も何度も振り下ろしている。もちろん刃が欠けてしまわないよう、振り下ろすのに使う力は最小限にしている。
──当然、両断などできるはずもない。
「……これ……駄目だ……ね……」
ヴィクトリアは頭をぽりぽりと掻きながら立方体を叩いて言った。
「だから言ったじゃないですか! 切れるわけないって!」
「……どいて……私が……やる……だから……見ていて……」
僕を片手で簡単に押しのけると、ヴィクトリアは立方体を正面に捕らえ、小さく息を吸った。
その吸った息を少しずつ吐き出すと同時に、クレイモアを立方体めがけて振り下ろした。それは羽毛が舞い落ちるような軽やかさと、鬼神のような力強さを兼ね備えている。
──閃光。
目の前にあった金属の立方体は見事に両断された。
「……ほら……できる……」
ヴィクトリアは僕にクレイモアを見せつけて、
「……刃も……まったく……傷ついて……いない……」
と嘲るように言った。
「…………」
僕は二つに分裂した金属を呆然と眺めるだけで、ヴィクトリアの言うことを理解することはなかった。彼女の声は右耳に入ったかと思えば、左耳から出ていくばかりだ。
次の瞬間、頬に猛烈な痛みが走った。
目の前で起きた超常現象に呆気にとられている僕を現実に引き戻したのはヴィクトリアの拳だった。
「──痛ッ! なんで殴るんですか!」
殴られた頬をさすってヴィクトリアに訊ねると、
「……どこかに……行っていた……から……現実に……連れ戻して……あげた……感謝して……」
と言って続けて僕にデコピンした。いい音とともに当たった場所が赤く腫れていく。
「……セシリアは……呼吸が……いけない……」
ヴィクトリアは僕の胸に指を沿わせると、
「……もっと……丁寧に……呼吸すれば……痛いのも……感じなくなる……金属も……吸血鬼の……首も……簡単に……切ることが……できる……」
と続けた。
「呼吸……?」
「……そう……呼吸……歌唱も……短距離走も……長距離走も……どれも……呼吸の仕方は……違う……だから……これも……別の……呼吸法が……ある……」
ヴィクトリアは僕の首の真ん中を指でノックするように叩いた。それによって窒息感を感じた僕は反射的に咳き込んだ。
「……さあ……鼻から……小さく吸って……口から出す……これをすると……集中……できるよ……」
何度か叩かれながら言われた通りに呼吸をすると不思議と体が軽くなり、脳が今までにないほど冴えてきた。
「これはすごい! 今なら両手を使って同時に微積ができそうだ!」
我ながらなにを言っているのかよく分からない。そもそも僕は微分、積分どころか数学自体ロクにできないのだ。
「……よく分からない……だけれど……呼吸の大切さ……分かって……もらえた……だから……いい……」
ヴィクトリアは僕の頭を撫でて、
「……明日から……もっと……厳しく……する……だから……覚悟して……というわけで……今日は……終わり……」
と言ってこの部屋を去っていった。
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