第53話 特別訓練 前編

 ヴィクトリアの指示で僕はインテリゲンツィアの支給品は身につけず、レジスタンスの制服だけで部屋を出た。

 クレイモアを持ち、ナスチャを頭に乗せてレジスタンス訓練施設へと訪れる。半年も経っていないのにこの場所がとても懐かしく感じられる。

「おはようございます」

 時刻は午前五時。既にヴィクトリアは到着していて、腕を組みながら壁にもたれて待っていた。

「……おはよ……」

 人工の声で挨拶したヴィクトリアは反動をつけて壁から離れると、つかつかとこちらに歩いてきた。

「……さあ……始めよう……」

「はい! ──ってなにをですか?」

「……なにをする……にも……まずは……体力が……必要……だから……ランニング……始める……」

「了解です」

 僕はナスチャを地面に置いて、レジスタンス訓練施設の外周を走り始めた。ヴィクトリアは僕の真後ろにぴったりとくっついて走っている。

「ところでこれを何周するんですか?」

 レジスタンスの訓練施設と本部は同じ敷地にあり、それの外周となると一周するだけでもかなり時間がかかる。

「……一周で……いい……」

 ヴィクトリアの言葉に安心して胸を撫で下ろした。しかしその安心も一瞬で消し飛ぶ衝撃の事実が述べられる。

「……もちろん……途中……山を登って……訓練生のとき……やったはず……だから……大丈夫……」

「──は?」

「……それを……二時間以内……走る……」

「──は?」

 地上を走る分にはまだいいが、高山病を発症しかねない高さの山を全力で走って登らなければならないようだ。

 ──正気の沙汰ではない。

「嘘ですよね? そんな二時間で開始地点まで帰れるわけないですよ! 頭大丈夫ですか? いや、大丈夫なわけないよな!」

「……でも……私は……二時間より……余裕で……早く走れる……だから……セシリアも……訓練すれば……走れる……」

「走れたとしてもそれは常に全力疾走しないといけないですよね、それ」

「……もちろん……それぐらいの……体力……ないと……セフィラには……勝てない……」

 さも当然のように言ってのけるヴィクトリアに、僕は殺意を覚えた。

「……返事は?」

「──はい」

「……よろしい……じゃあ……もっと……ペースを上げる……このままでは……間に合わない……から……」

「……はい」

 こうしてヴィクトリアによる地獄の特訓が始まった。


 時刻は午前七時。どうにか二時間以内に開始地点まで戻ってくることができた。僕を待っていたナスチャは待ちくたびれたようで地面でぐったりとうつ伏せになっている。

 ナスチャは僕の存在に気づいたようで、ゆっくりと起き上がると、ひょこひょこと跳ねながらこちらに来た。

 呼吸を整えながら朝食を摂るためにレジスタンス本部に向かって歩いていると、背後にいるヴィクトリアが口を開く。

「……この程度で……息切れを……起こして……いては……いけない……明日は……もっと……ペースを……上げる……」

 と言って僕の背中をペチペチと叩いた。

「──んなこと言っても、インテリゲンツィアの支給品もなしにそんなことできるわけないでしょうよ」

 口答えした途端、ヴィクトリアは歩く速度を上げて僕の隣に来ると、肩で息をする僕の脇腹に拳を入れた。

 体が横からにくの字に折れ曲がる。一瞬の間を置いて鈍痛が走った。

「……すべて……はい……か……イエスで……答えて」

「……はい。──って痛ッ!」

 一体僕のなにが気に食わなかったのか、ヴィクトリアは続けて僕の骨盤を殴った。盲腸がある辺りの浮き出ているところに当たったせいで、脇腹よりも数倍は痛かった。

「なんで殴るんですか!」

「……この程度……痛いの……うちに……入らない……だから……殴って……いない……」

 そのぶっ飛んだ理論を僕には理解ができなかった。

「いや、現に殴ったでしょ、ヴィクトリア」

 そう指摘するが、ヴィクトリアは殴った拳を凝視しており、僕のことなどまったく気にしていない様子だ。

「そういうわけにはいかんでしょ、それ。隊内での暴力は基本的に禁止されているはずですが?」

「……これは……暴力では……ない……訓練……だから……」

「これはあれですか、今流行りのパワハラってやつ!」

「……パワハラ……ではない……そもそも……この程度で……痛がるのが……いけない……弱すぎる……」

「そりゃ同化している人にとってはかすり傷程度でしょうね。でも僕みたいな一般人にとっては大怪我になるんですよ」

「……でも……私は……手加減した……だから……怪我は……していない……」

「でも痛いことに変わりはないですからね。誰だって痛いのは嫌なんです。避けられるなら極力避けていきたいって思いませんか?」

「……私も……痛いと……感じたことは……ある……痛いのは怖い……でも……痛いのを……感じなければ……怖くない……私は……もう……痛いの……感じなくなった……」

 ヴィクトリアは人の話をまったく聞かない人間だということが分かった。

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