第48話 進むべき道
「吸血鬼から人間に戻す方法って見つかったんですか?」
僕は話を終えたエリザヴェータに訊ねた。
「インテリゲンツィアの開発した解毒薬では──」
僕の言葉をエリザヴェータは遮って、
「あのようなものでは駄目ですよ。彼らは吸血鬼に及ぼす薬の作用機序をまったく理解していませんから」
とぴしゃりと言った。そして、
「まだ完成はしていませんが、一時的に人間に戻すことができる薬でしたら開発に成功しましたよ」
と少し悲しそうに続けた。
「どれくらい効果が続くんですか、その薬は」
一時的──それが数十年単位であれば最高だ。そうでなくとも投与にインターバルを必要としないのであれば、数日でも構わない。
「それが……持って二、三時間のようで……実用的ではないですよ。……それも実験は私の体で行っただけで、黒血の量は非常に少ないですよ」
エリザヴェータはグラスにある溶けた氷で薄まったフルーツティーを胃に流し込んで、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「……セフィラである弟は私とは黒血の量が異なるので、それでなんとかなるとは到底思えません。それに……確証はないのですが、レオンはセフィラと感覚の共有ができるようです。なので薬を投与して都合が悪ければ殺されてしまうでしょう」
一拍置いて、
「……おそらくインテリゲンツィアの解毒薬の投与と同じ結果になりますよ」
とエリザヴェータは小さく言った。
「そんな……」
──せっかく活路が見出せたと思ったのに。
「ところで一つお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
エリザヴェータの人形のように整った顔が僕に近づく。
「なんですか?」
「なぜあなたはそこまで吸血鬼を人間に戻したいのですか?」
エリザヴェータの赤い双眸から深層が顔を出した。その奥で闇が無限に膨張していく。
「……妹を助けたくて」
そう答えると、エリザヴェータは心底嬉しそうに笑った。
「それならちょうどいいですね。セシリア、私と共闘しませんか? ──もちろん、レジスタンスには内緒で」
エリザヴェータは優柔な笑みを浮かべると、人差し指を立ててジェスチャーをした。
「どういうことですか? いや、意味は分かります。共通の目的があるので組んだほうが効率がいいということですね。でもレジスタンスに内緒とは……? できるだけ大きい組織を巻き込んだほうが活動範囲を広げられますよ」
「それは理解しています。しかし私は吸血鬼で、レジスタンスの敵なのです。現にあなたは私と最初に会ったとき、迷いなく殺そうとした。──違いますか?」
エリザヴェータの瞳に僅かに憎悪の炎が宿る。それは幾千もの戦場を潜り抜けていった、強靭な精神を持つ者にのみ許された剥き出しの刃のようなものだった。
「その通りです。ですが……」
「ですが、なんです? もしもホロコーストが私に刃を向けた場合、私は身を守るために躊躇なく彼女たちを鏖殺するでしょう。そうなったらレジスタンスも私も損しかありません。なので──」
エリザヴェータは言葉を区切った。この空間に静寂が訪れる。何十分にも感じられるような、重い数秒の間を経て、
「──あなたと個人的に繋がるだけにしておきたいのですよ」
と薄幸に言った。
「……分かりました。そうします」
「ありがとう。ではよろしくお願いします」
エリザヴェータは僕に右手を差し出した。僕はそれを取り、力を込める。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
そこで僕の隣の椅子に座ってすやすやと寝息を立てていたナスチャが目を覚ました。瞬きして辺りを見渡す。
「おはよう、ナスチャ。騒がしくてごめんな」
そう言って僕はナスチャの頭をわしゃわしゃと撫でた。ナスチャはそれを鬱陶しそうに頭を揺らして振り払い、
「エリザヴェータが仲間になるの?」
と眉間に皺を寄せて言った。
「そうだよ。吸血鬼を人間に戻すって同じ目的があるからな。それなら手を組むしかないだろう?」
僕が答えるとナスチャは心底不服そうにしながらも、
「……よろしく」
と言ってエリザヴェータのほうにひょこひょこと跳ねて行き、彼女の手にすり寄った。これもナスチャなりの仲間に対する意思表示なのだろう。
エリザヴェータはナスチャを撫でながら僕を真剣な表情で見据え、
「ではあなたに一つ頼みたいことがあります」
と静かに言った。
「セシリア、ナスチャ、あなたたちには吸血鬼の血液および灰を集めてほしいのです。それもできるだけ黒血の量が多そうな個体から。たとえば──セフィラとかですね」
椅子から立ち上がったエリザヴェータは近くの棚に備え付けられた引き出しを開けた。そこから中の見えない黒色の小瓶と注射器をいくつか取り出した。そしてそれらをテーブルに並べる。
「これは日光を遮断することができる特殊な素材で作ったものなので、ここに灰や血液を入れれば、日に当たっても消失したりはしませんよ」
爪を立てて黒色のガラスのように硬い部分をコツコツと鳴らした。エリザヴェータの真似をしてナスチャもくちばしでつついて音を出した。
「入手できたらこの森の近くにある村の村長に送ってくださいね。すぐに開発に取りかかりますから」
エリザヴェータの心で静かに燃える決意の炎。それは自身の犯した罪を贖うことだけが目的のものではなかった。
僕はエリザヴェータの話を聞いて、現実的でなおかつ理想的な未来を見ることができた。
あとは単純である。僕の命がある限り、できるだけ多くのセフィラを倒して彼らの肉体の情報を得ることだ。
そう決心した僕たちはエリザヴェータの家を去った。
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