第45話 深夜のティータイム

 命からがらネツァクを倒した僕たちはエリザヴェータの家に訪れた。土や体液で汚れた体を洗い流し、エリザヴェータの服を借りた。

 皺一つない清潔なメイド服を身につける。人生初のメイド服だ。それにしても丈が非常に長い。それもそうだ、エリザヴェータは僕よりも十センチメートル以上は上背があるのだから。

 エプロンをつけて裾を擦らないように丈を調節して部屋に戻ってくると、エリザヴェータはフルーツティーを用意していた。レモン以外の果実が入っているのを見て、僕は胸を撫で下ろした。

 少し遅れてナスチャが頬を腫らして部屋に入ってきた。そして僕を見て不服そうに頬を膨らませる。

 一緒にシャワーを浴びたとき、ナスチャは僕の胸を見て、ホライズンと言った。それが癪に障った僕はナスチャの頬を高速でペチペチしたのだ。

 ──仕方がないじゃないか、僕は食べても太らない体質なのだから。当然、胸に脂肪がつくわけがない。

 僕たちは席について出されたフルーツティーを飲んだ。色とりどりの果実の香りで、酸味も常識の範囲内なのでとても美味しい。やはりレモンオンリーはいけないだろう。味蕾はトチ狂うし、胃が溶けそうになるのだから。

 すると少ししてエリザヴェータは瓶を持ってきた。中にはピンポン球よりも小ぶりな白い球体が詰められており、透明な液体で満たされている。

 エリザヴェータは嬉々として瓶の蓋を開け、中身を皿に出した。シロップの甘い匂いが部屋に漂う。それを見て僕は背筋が凍りついた。──どこからどう見ても人間の眼球だったからだ。

 僕は隣にいるナスチャを一瞥すると、眉をひそめて皿に出された球体を凝視していた。

「……エリザヴェータ……これはなんですか?」

 僕が一応訊ねると、

「眼球のシロップ漬けですよ」

 と微笑を浮かべてさもありなんと答えた。

 皿は三枚、フォークは二本。続々と眼球を皿に持っていく。

 僕はナスチャにアイコンタクトを試みた。

『なあ、ナスチャ。エリザヴェータはこれを僕たちに食べさせるつもりだよな』

 ナスチャは僕の意図を汲み取って、

『そうだろうね』

 と目線で答えた。

『ぶっちゃけ食べたくない。昔、あまりにも食べるものがなくてやむを得ず人間を食べたことはあるんだが、死ぬほどまずかったからな』

『……本当、君はなんでも経験しているね』

『そりゃあ妹を養うのに必死だったから。自分の胃は満たせればなんでもよかったよ。──もちろん妹には人間は食べさせていないからな。ちゃんと普通のものを食べさせてた』

『きみって変なところで常識が発動するね』

 ナスチャは半ば呆れたように僕を見た。

 眼球が三つ載せられた皿が僕たちの前に置かれた。

『食べたくないよ……』

 ナスチャがこの世の終わりのような顔で僕に助けを求める。だがそうされても助けようがない。僕も同じ状況なのだから。

 僕はフォークを手にし、皿にある眼球へと持っていく。その行動をナスチャは、正気か、と言わんばかりに驚愕した表情で見つめる。

「……いただきます」

 シロップの絡んだ眼球をフォークで突き刺し、口に運んだ。口腔に甘味が加速度的に広がっていく。

 そして目を閉じて恐る恐る咀嚼した。──意外にも美味しかった。

 あっという間に口の中でぐちゃぐちゃになった、眼球だったものを嚥下すると、僕は次の眼球を食べた。

 その間もナスチャは僕を悍ましいものを見るような目で眺めている。

「結構美味しいよ、これ。昔食べたものとは大違いだ」

 そう言ってナスチャにも食べさせようとフォークに刺した眼球を口へと運ぶが、顔を横に振って頑なに拒んだ。

 ナスチャはまったく食べようとしないので、僕はナスチャの分も食べて、

「エリザヴェータ、食わず嫌いはよくないですね」

 と言っておかわりを貰った。


 食器を片付け、氷が溶けつつあるフルーツティーを口に含んだ。先ほどのシロップの甘さがかき消され、口の中がさっぱりした。

 空になったグラスをテーブルに置いて、僕はかねてより疑問に思っていたことを訊ねる。

 エリザヴェータの赤い瞳に靄がかかる。顔からは感情が消失し、声は情報を発信するだけの音と化した。

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