第43話 ネツァクの記憶 中編

 人形のように整った美しい顔立ちの男性だ。肌は日に焼けておらず、病的なほど白い。肌と同じ色の髪は手入れが行き届いているようで艶がある。それらとは対照的に瞳は宝石のような輝きを持つ赤色をしている。

 服装は黒色のロングコートを羽織っており、赤いマフラーをかけていた。すべて一級品で揃えられており、本人の気品をさらに高めている。

 浮世離れした容姿の男性は再度、

「大丈夫かい?」

 と訊ねた。

 疲れきった私は返事をするのも億劫だったので、面倒くさそうに一度瞬きをして、構うな、という意思表示をした。

 それを見た男性は私の意図を読み取りつつ、不敵な笑みを浮かべて語り始めた。それは議会で野次を飛ばされても一切気にも留めないような口調だ。


 ──覚醒。

 私の体には頑丈な拘束具が付けられており、自由を奪っている。しかしそれは簡単に外れた。

 私が体に少し力を入れただけで鎖はちぎれ、破片が辺りに散らばった。そして手術台から跳ね起き、近くにいる人間を見境なく襲った。私に危害を加えるものは許さない。徹底的に排除しなければ──。

 一番近くにいた人間の頭を狙って薙ぎ払うと、それはいとも簡単にもげた。

 頭部は放物線を描いて飛んでいき、床に転がった。なにが起きたのか理解が追いついていない様子で、呆然としていた。

 頭を失った体はその場に力なく崩れ落ち、断面から噴き出した鮮血は血だまりを作っていった。

「にゃはは。次はどうしようか。──こいつにしよう」

 私は手術台を蹴って次に狙った人間の顔面に拳をめり込ませた。鼻が陥没し、骨が砕ける。不快な感触が手から伝わるが、気にすることではない。

 そのまま仰け反って後頭部を床にしたたか打ち付けて動かなくなった。

 それに驚いた他の人間は白い銃をこちらに向けた。私は彼らがトリガーを引く隙を与えずに腕をもぎ取った。そして当然のように息の根を止めた。頭蓋骨を叩き割り、ピンク色の中身をぶちまけた。

 この異常事態を察知した他の人間がこの部屋に駆けつける。その人たちの装備はしっかりとしており、大型の銃を両手で持っていた。

 銃口が一斉にこちらに向けられる。引き金に宛てがわれた指に力が入る。刹那、青白い光線が私を襲った。姿勢を低くして躱していくが、レーザーの何本かは体をかすり、皮膚を焼いていった。

 人間の肉が焼ける不快な臭いが漂った。

 私はひたすら前進する。体を焼かれたというのに、不思議と痛みは感じなかった。私は立ちはだかる敵を鏖殺するという目的を達成すべく行動する殺戮兵器と成り果てた。

 執拗に頭部を狙い、破壊していく。

 意識が朦朧として、足取りは覚束なくなっていった。

 私が通った場所には鮮やかな赤色の絨毯が敷かれていた。


 私は仰天した。記憶がなくなったかと思えば、そのような恐ろしいことをやってのけていたのだから。

 もう一人の自分が出てくることなんて初めての出来事だ。まさか自分が二重人格だとは思わなかった。

 驚いて思考が鈍っている私に対して男性は嬉々とした表情で、

「君はこれからどうするんだい? 行く宛はあるのかい?」

 と訊ねた。

 私は首を縦に振った。唯一生存の可能性がある兄を探さなければならないからだ。

 すると男性は僅かに悲哀を顔に滲ませて、

「でも君の家族はもういないのだろう?」

 と目を細めて私を見据えた。

「……違う……まだいるよ」

 私は首を横に振って、か細い声で否定した。

 すると男性は興味深そうに、

「それは誰なんだい?」

 と続けて質問した。

「……お兄ちゃん。お兄ちゃんはまだ生きてるよ。だからそこに行く」

 私がそう答えると、男性はくつくつと喉を鳴らして笑い、

「彼は君の家族ではないよ」

 と冷淡な声で言った。

「そんなはずはない! ずっと一緒にいたから……」

 嘘だ。この男の妄言に違いない。そう信じていても、私は僅かだが男性の言葉を肯定していた。

 記憶を探る。いつだって私を大切にしてくれた兄。強くて、優しくて、賢くて、かっこいい、そんな自慢の兄──。

 ──ずっと隠していた記憶が呼び起こされる。

「思い出したかい?」

 男性の声は壊死するほど冷えた手で心臓を握るかのような、悍ましい声で言った。端正な顔立ちはアルカイックスマイルを浮かべ、内心を読むことは許さなかった。

 ──一枚の紙。それは兄が養子であるということを示すものだった。日付は私が生まれる五年前になっている。

 私はそれを忘れようとしていた。同時に今まで封印していた記憶のダムが決壊し、脳内に莫大な情報が流れ込んだ。

 兄は両親に冷遇されていた。わざわざ養子にしたのだから、私が生まれるまではさぞ可愛がられていたのだろう。だが、五年後に私が生まれてすべてが変わった。両親は血の繋がった私という玩具を手に入れ、血の繋がりのない兄はお役御免となったのだ。

 ならばなぜ兄は私を虐めなかったのだろうか。私は親の愛情を奪った邪魔な存在だというのに。

 今はこれ以上の思考で得られる解はないことを悟った私は、

「……たとえ血が繋がっていなくても……お兄ちゃんは私の家族に違いない」

 と口を開いた。

 すると男性は路傍にぶちまけられた吐瀉物でも見るかのような視線を私に向けた。そして感情を押し殺した声で、

「そうかい。それは良かったじゃないか」

 と言った。

 私はもう放っておいてほしいので、ゆっくりと目を閉じる──だがそれは許されなかった。

 男性は腕を黒いてらてらと輝く触手に変形させると、私の口に無理やり先端をねじ込んだ。

 黒い液体を摂取した瞬間──私の体に存在するすべての細胞が熱を孕み、膨張していった。内臓が溶けそうなほど熱くなり、痛みが脳へ伝達される。

 本能が警鐘を鳴らす。

 この苦痛から逃れようと本能からのたうち回る。目を見開いて絶叫したが、それはなんの意味もなかった。

 私の声が静かな夜の森に響く。


 ここで私は意識を失った。

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