第21話 救われない愚者 前編

 血と硝煙と腐敗臭が充満したこの街──ヴィオラとの暮らしを思い出す。あの頃僕は腐りかけのもので腹を膨らませ、通行人を襲って金品を強奪していた。そうしてでも妹には辛い思いをさせないようにしてきた。

 ──僕は何を間違えたのだろうか。僕はどうすればヴィオラを守れたのだろうか。過ぎ去ったことを悔やんでも仕方がないとは思うが、どうしても考えてしまう。

 存在しない解を求めて思考する。

 そう、ここはレジスタンスに来る前に僕が住んでいたスラム街だ。本部からひたすら東に進んだところにある。

 この街は一年前とまったく変わらない。路傍で違法薬物を摂取し、人間でなくなった者が奇声を上げている。昼間の表通りだというのに性的なサービスを行う違法な店からは嬌声が聞こえ、外では露出の多い格好をした下品な女性が客引きをしている。五体不満足な年端もいかない子供らは地面に頭を擦り付けて金を恵んでもらおうとしている。

 僕は軽蔑した。

 特大ブーメランが頭に突き刺さる。僕だって一年前まではここの住人だったのだから。

 ──でも僕は違法薬物を使用したことも、性的な行為をしたことも、身体の欠損もない、健全な人間だ。

 僕はここの人間とは違う──同族嫌悪という無益な感情をどうしても抱いてしまう。

 やめよう、もう。僕はこのような底辺の人間ではない。

 何度も自分に言い聞かせて振り切ろうとするが、粘度のある不快な闇は僕にまとわりついて離れようとしない。

「……所詮は同じ人間か」

 声を漏らすと、

「どうしたのさ、セシリア」

 と頭に乗ったナスチャが僕の顔を覗き込んだ。

「ナスチャには僕がここの人間と同じに見えるか?」

「まあ、人間の底辺って意味では同じなんじゃないかな。違法売春や薬物乱用をしていないというだけで、きみは他の犯罪に手を染めていたみたいだし」

 ナスチャは僕を汚染されたもののように見る。

「そうか……レジスタンスに入隊して変われたと思ったんだけれどな。やはり僕は僕なのか。これまでの違法行為は消えないみたいだな」

「というかきみ、ここを出てからのほうが重罪を犯しているってことに気づいてる?」

「……はい」

 二件思い当たる節がある。列車で不快な中年男性を、廃墟で死ぬ間際に叫び続ける男性を殺めました。

 ──どちらも仕方がないと思う。前者は脚を触られ、身の危険を感じてとっさにクレイモアを振り下ろしただけで、当たった場所がよくなかった。後者は救いようのない人間で苦痛に喘いでいたから、解放してあげたんだ。

「でもあれは仕方がないだろう。ここで生きてきた以上、他人に体を触れられたのに反撃しなかったら、確実に良くないことに巻き込まれるって本能に刻まれてるんだからさ」

 ナスチャは不服そうに僕を見る。

「もうそのことはいいよ。……ところできみは安楽死について肯定する? それとも否定する?」

「もちろん肯定するに決まっている」

 僕は即座に答えた。

「だって助かる見込みがないにもかかわらず、死ぬまで苦痛から逃れられないってかわいそうじゃないか」

「そうだね。でもたとえもうすぐ死ぬのが決まっていても、生きたいと願う人間も死なせちゃうの? それが正しいとはとてもぼくは思えないな」

 内臓に氷を押し当てられるような感覚を味わう。

「……なにが言いたい」

「別にきみの思考や行動が間違っているとは言わない。でも、死ぬまで足掻きたがっている人間をきみのエゴで殺しちゃうのはかわいそうじゃない?」

 彼の命の灯火はまもなく消える。ならば少しでも苦痛をなくしてやるというのは間違った行動なのだろうか。

「誰もが『死』という安易な方法で救済されるとは限らないよ。それをきみは知っておいたほうがいい」

「……ご高説どうも」


 今回の任務はとある危険な薬物の調査だ。

 最近、この街で非常に高い依存性のある薬物が出回っており、効果は文字通り『人間をやめる』薬のようだ。

 当然ながらレジスタンスは違法薬物の取り締まりをしたいわけではない。ではなぜ調査をするのか。それはその薬物を摂取すると吸血鬼になるという噂があったからだ。噂とはいえ、これのせいで組織は隊員を派遣しなければならなくなった。

 僕がすべきことは、一言で言ってしまえば噂の真偽を確かめることだ。それが真実だった場合、速やかに元凶を探し出して殺す。そうでなければどれほど危険な薬物だろうが放置する。

 僕たちは噂の出所を探し始めた。残念ながら僕は顔が利くわけではないので、地道に訊ねることにした。──薬物中毒者に。

「すみません、ここら辺で最近話題になってる薬をご存知ですか?」

 丁寧に訊ねるが、ジャンキーはまるで聞きやしない。こうなることは予想していた。一縷の望みをかけたが無駄だったようだ。

 僕は背中にあるクレイモアを抜き、ジャンキーの首に剣先を触れさせた。皮膚が薄く切れ、血が流れ出す。

「おい聞け、僕の質問に答えろ。肯定なら頭を縦に振れ。否定なら横だ。分かったな? お前は最近流行している薬物を知っているか?」

 と語気を強めて言った。

 ジャンキーは見苦しいほどに目を見開いて小さく横に振った。動くたびに傷から血が流れ出す。同時にただでさえ不健康そうな顔がさらに青白くなっていった。

「じゃあお前、その薬はどこで手に入れた?」

 僕はジャンキーの近くに転がっている注射器に視線を落として言った。変わらず僕は首に剣先を宛てがい続ける。

「これぁ……エラーから買ったんっすよぉ……」

「エラー?」

 誰がどこの組織の傘下で、どういった商品を取り扱っているのかはある程度知っているが、エラーという人物は聞いたことがない。売人ならばこの件の情報を持っている可能性が高いのでその人に聞きに行こう。

「そいつはどこにいる?」

「あぁ……そりゃあねぇ……アレっすよぉ……そう、クラブ! 三番通りのクラブに行きゃあ……会えますよぉ……」

 呂律の回らないが必死に説明している。少しかわいそうに思えてきたが、それでも僕は剣先を離さない。

「そうか。ありがとう」

 僕はクレイモアをしまい、その場を去った。


「夜になったら三番通りのクラブに行こうか。エラーって売人を探すぞ」

 僕は露店で購入した鶏肉を挟んだパンを食べながら言った。

「食べているときに話さないでよ、ばっちいから。このうんセシ」

 ナスチャは僕を軽蔑の眼差しを向ける。

「うんセシってなんだよ!」

「うんこセシリア。略してうんセシ。理解できた?」

「理解したくないな、それ。ただの悪口じゃないか。そういうこと言うとアレだぞ? お前をまた携行食って呼ぶからな?」

 するとナスチャの腹部の模様が歪み、赤い手が出てきた。それはすかさず僕が持っているパンに挟まれた鶏肉に伸ばされる。

 持っていかれては堪らない僕はすぐさま鶏肉をパンごとすべて口に入れる。数回咀嚼し、食道の圧迫感を覚えながらも飲み込んだ。

 ──こういうところだろうな。僕が変わらない理由って。

 ナスチャが舌打ちする。

「うんセシの育ちの悪さが分かるなあ」

 あまりにも嫌味ったらしく言うので、僕はとっさにナスチャの両頬を掴み、横に引き伸ばした。

「鳥風情に育ちの良し悪しを語ってほしくないな」

 ナスチャは僕の頭に羽をバタバタと動かして対抗する。その姿はまるで絶滅危惧種の鳥のようだ。

「おい、僕の頭をファックすんな、この携行食!」

「死んでもきみの頭をファックするのは御免だね!」


 そうこうしていると辺りは間もなく黄昏時を過ぎ、夜に生きる吸血鬼にスポットライトが当たる。

 クラブを目指して歩いていると、近くの建物から悲鳴が聞こえた。どうせ犯罪行為が横行している街だ、ロクでもないことに決まっている、と素通りしようとしたが、そうはさせなかった。

「……臭うな」

 僅かだが吸血鬼の臭いがした。

 僕はその悲鳴が聞こえた建物の壁に付けられた階段を駆け上がった。階段は雨風にさらされ、錆びて本来の耐久を失っており、いつ壊れてもおかしくないものだった。

 踏むたびに軋み、金属が擦れる嫌な音が鳴る。

 目的の階層──五階に着いた僕たちは声がした部屋に飛び込んだ。

 部屋にあるのは三十代の女性が一人と七、八歳の男女が一人ずつの計三人の死体だった。そして女性と同じくらいの年齢の男性が女性の体を食べている。一心不乱に、ただ胃を膨らませるという行為だ。

 彼の瞳は吸血鬼の特徴である赤ではなく、ブラウンだった。

「カニバリズムか。そうなるとこの街ももう救いようのないところまで落ちてしまったようだな」

「セシリア、これだよ! 吸血鬼化する薬物って!」

「え? ただの頭のイカれた野郎じゃなくて?」

「きみは馬鹿だね。レジスタンスやめたら? いや、人間をやめたら? 生まれてきてごめんなさいしなよ」

 ナスチャは全力で僕を見下してきた。内心舌打ちし、

「アレはどうすればいい? とりあえずいつも通り、首を刎ねればいいんだよな?」

 と僕は背中にあるクレイモアに手をかけた。

「本っ当にきみは馬鹿だね。あれでもまだ一応人間だよ。落ち着かせれば話が聞けるかもしれないから、刃物を使うのはやめたほうがいいんじゃないかな」

 ナスチャの言う通りにするのは癪に障るが、それが現状では最適解なのは理解している。僕は大きくため息を吐いて、男性の背後に接近した。

 瞬間、男性の首に腕を回し、一気に力を加えて絞めた。肘で気道を確保したまま頸動脈を圧迫する。

 男性はもがいて腕から逃れようとするが、数秒で意識を失った。それを確認した僕はすぐにポーチから紐を取り出し、男性を拘束した。手を後ろにし、両手両足首を一つに縛り、床にうつ伏せで転がした。

 意識が戻るのを待つ。頸動脈を圧迫しただけなので男性はすぐに目覚めた。彼は目を見開いてこちらに襲いかかろうとするが、拘束しているのでそれは叶わない。

「これはまた酷い離脱症状だ」

 大きなため息を吐いた。

 あまりにもうるさいので僕は男性の顔をサッカーボールのように蹴っ飛ばした。だがそれでも変わらない。

「なあ、ナスチャ。とてもじゃないがコイツから話を聞き出せそうにない。この症状が治まるのもどれくらいかかるか分からないよ」

 僕はもう一度男性の顔を蹴った。

「これの相手しても無駄だろう。さっさとクラブに行かないか?」

「そうだね。でもその前にそれをどうにかしないと。他の住人に害をなすかもしれないよ。……そこの死体みたいに」

 ナスチャは齧られた死体を見て言った。

「どうにかするって……」

「きみが思ったことを実行すればいい。もう二回もしているんだし、今更躊躇することもないでしょ。この薬は依存性が高いみたいだし、この人はもう助からないよ。それに……」

 ナスチャはゴーサインを出した。

 一拍置いて、

「……まもなく完全な吸血鬼になるだろうからね」

 と続けた。

 僕は再びクレイモアを手にし、男性の首に振り下ろした。

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