第16話 地獄への片道切符 前編
代わり映えのしない田園風景が延々と続く。これが五日ともなれば誰だってさすがに嫌になるだろう。
窓を開けて外の新鮮な空気を吸う。
僕は新しく支給されたクレイモアを持ち、寝台列車で揺られていた。理由は単純、僕が遠方の任務を命じられたからだ。
幸いなことに個室が用意されており、硬いベッドと申し訳程度の小さな折りたたみ机が置いてある。
「暇だー。とても暇だー」
僕はベッドで横になって足をバタバタと動かす。
「うるさい。さっきからずっと壊れたラジオのように同じことを言い続けて、馬鹿じゃないの?」
息を吸うように僕を馬鹿にしてくるこの鳥──特異体[陽]が机から僕の方に跳んできた。飛んできたのではない、跳んできたのだ。
この重い鳥が僕の胸部を圧迫する。肺が押し潰されて空気が漏れた。肋骨が悲鳴をあげるのが聞こえる。
「それはやめろ……僕の肋骨をこれ以上いじめないでやってくれ……過去何度折れたりヒビが入ったりしたかお前は知らないだろ……」
「うん、知らないよ。折れてもまたぼくがつついて治してあげるから安心して。ほれ、つんつん」
鳥が僕の胸をつつく。くすぐったいし、なによりもお胸なのでかなり恥ずかしい。僕はすぐに鳥を退けてこれ以上の辱めから逃れた。
「ところでさ、セシリア。そろそろぼくに名前を付けてくれてもいいと思うんだけど、だめ?」
鳥が今度はベッドに座っている僕の太ももをつつき始めた。
「いや、お前には携行食って名前があるじゃないか。我ながら素晴らしいネーミングセンスだと思うよ」
すると太ももを噛んできた。日焼けしていない白い肌を赤色が彩る。とっさに鳥を叩いて脚から遠ざけた。
「痛えよ、馬鹿!」
「素晴らしいネーミングセンスとか言う頭が残念で愚かだということを知らしめてあげたんだよ」
まったく悪びれずに自分を正当化して言うものだから困ったものだ。
僕が睨みつけると鳥は渋々僕の脚をつついて治した。不思議なことに一瞬で傷が消えていく。
大きなため息をつくと、
「ねえねえ、ぼくにいい名前つけてよ。ほら、早くー」
と太ももに乗ってぽふぽふと跳ねている。鬱陶しいことこの上ない。
「わかった、ちょっと待てよ……じゃあ、ナスチャはどうだ?」
「ナスチャ? 珍しい名前だね」
「昔読んだ小説のヒロインがそう呼ばれていたのを思い出してね。意味は知らん。携行食よりはいいだろう?」
「そうだね。いいよ、ナスチャで」
鳥──ナスチャは満足そうに僕を見た。
「気に入ったのならよかった。じゃあ、改めてよろしくな、ナスチャ」
僕は鳥の頭を撫でてそう言った。
日が暮れてきた頃、寝台列車が駅で停車した。
車内にアナウンスが流れる。
どうやら三十分後に出発するようなので、僕たちは運動と夕飯の購入を兼ねて外に出た。
本部から結構な距離を北上してきたこともあり、半袖ではかなり寒い。
「……ナスチャ、何が食べたい?」
駅構内の売店に訪れた僕はナスチャに訊ねた。
「ぼくはお肉が食べたい」
「共食いならいいぞ」
僕の財布事情により牛肉や他の肉は買えない。よって鶏肉一択である。
「わかった。鶏肉でいいよ」
この鳥は共食いを気にしないと言うので、僕は加工された鶏肉と普通の主食、主菜、副菜の詰められた弁当を購入した。
夕飯を食べ終え、僕たちは眠りについた。
硬いベッドも三日目から慣れて、よく眠れるようになった。だがそれをナスチャが妨害するのだ。
「起きて! セシリア起きてってば!」
相変わらず鬱陶しい鳥は胸部に乗ってきて、僕は肺の圧迫感と肋骨が軋む痛みで飛び起きた。
「おい、どうしたんだ? こんな時間に……」
眠い目をこすって腕時計を見る──針は三時を指していた。
「……車内でよくないことが起きてる。とりあえず武器を持っていつでも戦えるようにして」
「一体どうし──」
遠くで悲鳴が聞こえた。
「ね? 吸血鬼が乗り込んでるみたいだから、セシリア頑張れ!」
ナスチャは嬉しそうに話す。
少しの時間を置いて、吸血鬼特有の臭いが漂ってきた。血と死が混じった不快な臭いが鼻腔を刺激する。
「……ついてないな」
僕は新品のクレイモアを持ち、吸血鬼を待つ。
人の悲鳴が大きくなる。音は隣の車両から聞こえた。周りの乗客たちが何事かと部屋を飛び出す。
「馬鹿しかいないのか……」
僕は頭を抱える。わざわざ部屋から出る意味が分からない。吸血鬼は一般人で太刀打ちできるような相手ではないのだ。勝ち目がないから部屋で息を潜めて食い殺されないように祈ればいいのに。
「セシリア、吸血鬼がこっちの車両に来たね」
鳥が僕の頭に飛び乗る。
「そのようだな」
クレイモアを握る手に自然と力が入る。今度は折らないようにしなければならないと肝に銘ずる。
有象無象が断末魔の叫びを上げる。
「さあ、もうすぐだよ。不意をついてさっさと終わらせちゃえ」
小さく息を吸い、扉を開けた。
廊下は惨憺たる光景になっており、思わず目を背けたくなる。ちぎられた四肢が、臓腑があちこちに転がっていた。血液が床一面に広がっている。カーペットがそれを吸収し、柔らかくなっている。
床を踏むたびに赤色が染み出し、靴を汚す。
眼球を抉り取っている吸血鬼と目が合った。紅の特徴的な双眼が僕のつま先から頭のてっぺんまでを舐め回すように見る。
深海のように青い髪で、細い青年の容姿をした吸血鬼が立ち上がる。身長は僕より少し高い程度で、筋肉量も多いようには見えない。
僕は姿勢を低くして駆け出した。狭い車内でクレイモアで戦うのは少しばかり分が悪いが、それをなんとかしてみせるのが僕である。
間合いを詰め、頭上からクレイモアを振り下ろすが、吸血鬼はやすやすとそれを躱した。
今まで食べていた死体を斬りつけそうになるが寸前で止め、後方に跳んで距離を取る。
僕は蹴りを躱し、壁を蹴って再び近づいた。今度は武器を使わずに飛び蹴りをする。それは見事に顔面を捕らえ、吸血鬼は後ろに吹っ飛んだ。
異能を持っていない吸血鬼など僕の脅威ではない。
すぐに距離を詰め、仰向けに倒れたところを一切の慈悲を与えずに顔面にクレイモアを突き立てた。
脳幹を損傷した吸血鬼は少し痙攣した後に絶命した。
体から黒い煙が出て、死体は消え去り、少量の灰だけが残った。
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