第3話 訓練 前編

 約二週間の入院生活をしたのち、僕は隊員訓練施設にて訓練を開始した。

 あの書類の契約内容は訓練生としてのものであった。一年間の地獄の訓練を耐え抜き、レジスタンス入隊試験を受け、見事合格をすれば正式にレジスタンスの隊員になることができるとシェリルは言っていた。

 ──だからと言って、こんなの聞いていない。

 僕は今、計四十キログラムのリュックサックを背負って山を駆け下りていた。制限時間付き、おまけに遠くから狙撃もされる。

 ──こんなことをしてなんになるのだろうか。

「今日のタイムはいい感じだね、セシリア。とても初日にスタート地点でリバースしていたとは思えないね」

 そう言って笑うのは同期であり寮でも同じ部屋のミカエラだ。

「うるさいなぁ、僕だって好き好んで高山病になってたわけじゃないよ。それに一か月もすれば慣れもするさ」

 初日にスタート地点まで登山したメンバーのうち、半数以上が頭痛、吐き気を感じ、酷いと嘔吐していた。僕も発症した一人である。

 それでも指導員は気にすることなく僕に四十キログラムのリュックサックを背負わせて坂道へと蹴り落とした。

「それにしてもミカエラはすごいな。症状も出ることなくぶっちぎりの一番で下山できたんだよな」

「まぁ私は高山地帯の出身だからね。住んでたところよりも標高が低いから、これぐらい余裕だって。それにこの荷物だって軽いぐらいだよ」

 僕の顎が外れるかと思った。このリュックサックを背負って動くことは平坦な道でさえ辛いというのに。

「いやぁ……本当すごいなぁ。僕も見習わないと」

「でも一か月程度で私と同じ速度で下山できるって相当すごいよ。適応力高すぎだって、セシリア」

 気配を察知した。銃弾が飛んでくる。

 僕は軽く横に飛んでそれを回避した。すると爆発音とともに背後の木が倒れてきた。それと同時に、

『セシリア、ミカエラ、駄弁ってないでさっさと降りてこい』

 という無線が入った。続けて、

『さもなくば更に威力の高い弾を使うぞ。そこら一帯を焼け野原にしてやる。嫌なら走れ! 足を動かせ!』

 と言った。

「おいおい、シャレにならんだろ、アレは。当たってたらどうするつもりなんだ? ここの指導員ってなんでどいつもこいつも頭のネジが数本欠損してるんだよ」

 僕は頭を抱える。訓練生になったことを心底後悔している。シェリルの言っていた内容の過酷さを三十倍ぐらいに濃縮したようなものだ。

「そうでもしないとレジスタンスでやっていけないからだよね」

「ああ、そうだよな。そうでもしないと吸血鬼には勝てない。でもさ、武装するんだろ? だったらこんなことしなくてもいいじゃ──」

 姿勢を低くして前に転がって弾丸を回避した。先ほどのよりも爆発の威力が高いせいで前転では距離が稼げずに爆発に巻き込まれた。そのまま坂道を転がり落ちていく。

『せっかく警告してやったのに。次は核でも落とすか』

 無線機からは容赦のない指導員がケラケラと笑う声と次弾をスナイパーライフルに装填する金属音が聞こえた。

 十メートルほど転がり落ちて木の幹に激突して回転は止まった。

「セシリア、大丈夫?」

「これぐらいどうってことはないよ」

 嘘だ。めちゃくちゃ痛い。レオンによって折られた治りかけの部分が痛む。またこれで折れていたらどうしようか。

 ゆっくりと立ち上がり、再び走り出した。


 案の定、治りかけの肋骨が再び折れていた。


 今日は座学である。

 吸血鬼の急所についての内容であった。どうやら彼らは手足を切断されてもすぐに生えてくるらしい。その光景を想像すると、非常に気味が悪い。

 しかしそんな彼らも普通の生命体で、致命傷を負えば絶命する。

 そのための方法は四種類ある。

・銀製品で首を切断、もしくは脳幹を損傷させる

・特異体のエネルギーによって生み出された武器で銀製品と同様に攻撃する

・解毒薬を投与する

・凄まじい熱や放射線を使ってすべてを塵にする

 しかし、実際にできるのは一つしかない。特異体の武器は下っ端には与えられない。熱や放射線を使うにはコストがかかりすぎるし、何より周辺にとてつもない害を与える。解毒薬を使用するにも、ある程度の量を入れないと意味がなく、刃や銃弾に塗るだけでは少なすぎて意味がない。

 だからといって銀製品であればなんでもいいというわけではない。それは‘祈りを込めた銀’である必要がある。これは形式的な儀式ではなく、個々の思いが必要とのことだ。

 吸血鬼を殺すのは非常に面倒である。

「ねぇセシリア、どうして私たちに特異体の武器を持たせてくれないんだろ。そうすれば銀は節約できるし、私たちは死にづらくなるのにさ」

 隣に座るミカエラがブツブツと文句を垂れ流す。

「そりゃ……あれだろ」

「あれって?」

「どうせ武器があろうとなかろうとすぐに死ぬ才能のない人間より、優秀な人に投資したほうがいいって考えなんだろうな」

「そうやって死体の山を築き上げるの? そんなことしたら私たちはどんどんただの数字になっちゃうじゃない。セシリアはシェリルに期待されているからそんなことが言えるんだ」

 僕は小さい頃は人の顔色を伺って生きてきたので、こういった人の‘糸が切れる’音を聞くのは得意だ。

「どうせ私なんて口減らしのためにここに来たようなものだもの。家族みんな吸血鬼に食べられて、私一人生き残った。そのときは嬉しかったよ」

 一呼吸置いて続ける。

「私、家族からは必要とされてなくてさ。その日ほど折檻されて外に出されていたのを感謝したことはないね。孤児になった私を親戚は誰も引き取ろうとはしなかったから孤児院に行った。そしたらそこでもいらない子。だからここに来た」

 ミカエラは目に涙を浮かべる。

「ここなら私を必要としてくれるかなって。私の死に敬意を払ってくれるかなって」

 大粒の涙をこぼして制服にシミを作る。

「……もういっそのこと吸血鬼に体をさし出そうかな。家族を殺してくれたお礼に」

 僕はミカエラから視線を逸らし、

「……ごめん、ミカエラ。お前を励ますいい言葉が見つからない」

 と小さく言った。


 僕は頭を冷やしに寮の建物の屋上に来ていた。程よく冷たい風がお風呂で火照った体の熱をさらっていき心地がいい。

 辺りは静かで訓練の忙しい毎日から少し解き放たれたようだ。

 大きく息を吸い、夜空を見上げた。

『おうちから見えるお空とは違うね。とっても綺麗だね。それに空気もおいしいよ』

 隣からヴィオラの声が聞こえる。

「ああ、本当、とても綺麗だ」

『お姉ちゃん、あれ! 流れ星!』

「どこどこ?」

『あーあ、見えなくなっちゃった』

「流れ星が見えるなんてよかったな、ヴィオラ。これからきっといいことが──」

 隣には誰もいない。

「……待っていてくれ、ヴィオラ。僕が必ず助け出してみせる。これ以上傷つけたりはしない」

 そう自分を鼓舞した。

「レオン! ヴィオラを傷つけたことを許さない! お前は必ず僕が殺してみせる!」

 叫び声は夜空に吸われ、辺りにはまた静寂が訪れた。

 背後から人の気配を感じた。今の独り言をを聞かれていたらとても恥ずかしい。そっと背後を振り返ると、

「こんばんは、セシリア」

 特異体の武器と防具の両方を身につけたアンジェラが立っていた。体からは不快にならない程度の汗と血の臭いがする。

 アンジェラはレジスタンスにある特別な部隊[ホロコースト]に所属する隊員だった。この部隊はその名の通り、大虐殺を行う。それほどの実力を持っている集団だ。

 故にこのレジスタンスの最終兵器から血の臭いがするということは、緊急事態が起きているということなのだろう。

「こんばんは、アンジェラ。ところでどうしたんですか? こんな訓練生の寮の屋上なんかに来て」

 そう訊ねるとアンジェラはいつも通りの微笑みで、

「シェリルに頼まれたのですよ。『セシリアの様子が変だから様子を見てきてよ』というようにね」

 と答えた。

「そうなんですか……僕、そんなに様子がおかしかったんですかね? たしかに昼間、同期の気に障る発言をしてしまって機嫌を損ねたんですが」

 アンジェラは僕の顔をじっと見つめて、

「でもあなたはいつも通りのようですね。ちゃんと謝れば同期の方も許してくれると思いますよ」

 と言い、踵を返した。


 後日、シェリルにこの独り言が伝わっており、背中をペチペチと叩かれながら、

「いい心がけだね、頑張りたまえよ訓練生セシリア」

 と言われた。


 ……死にたい。

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