第2話 生存

 僕は立っていた。なにも見えない、なにも存在しない、そんな真っ暗な空間に。そこに一本の糸が垂れてきた。白く輝く蜘蛛の糸。僕はそれを掴み、たぐり寄せた。


 目が覚めた。清潔感のある部屋だ。ベッドはふかふかでとても心地がいい。一つ問題があるとすれば──。


 僕に無数の紐が繋がれているということぐらいである。赤、青、黄、白、黒、という具合に十本以上の紐が体へ収束するように接続されている。おまけに透明なマスクもつけられている。

 あとなぜか腹部は痛まない。金属が貫通したはずなのに。

 気になった僕は着ている前開きのパジャマのボタンを外し、体を見る。そこには赤黒くて痛々しい縫われた傷があった。

「おいおい……縫われてるのにまったく痛まないって、僕の人間としての機能はどうなってんだよ……」

 大きなため息を吐いて天井を見上げていると、部屋の扉が開いた。そこから三人の若い女性が入ってくる。平均的な体格の人が二人、それよりもかなり体格の小さい人が一人である。

「おはよう、セシリア。お目覚めはいかがかな? 傷は痛む?」

 最初に口を開いたのは濡羽色の艶のある髪を一つにまとめ、真っ黒なスーツを身にまとい、その上に白衣を羽織った平均的な体格をしている人だ。

 僕の名前を知っているこの女性は一体誰だろうか。

 とりあえず質問に答えよう。つけられていたマスクを外し、

「頭はすっきりしている。傷はまったく痛まない。……お前らは誰だ? なぜ僕の名前を知っている? そしてどうして傷は痛まないんだ?」

 と訊ねた。その瞬間、小柄な少女の拳が飛んできた。僕は咄嗟に手でいなし、前腕を掴んで骨の上を押さえる。すると次に少女は足を真上に振り上げ、僕の頭めがけて踵を振り下ろす。

 当然ながら頭をかち割られたくないので僕は頭を抱え込んだ。

「まあ待ちたまえ」

 白衣の女性が少女の足首を掴み、それを寸前で止めた。

「アンジェラ、エスターが暴れないように抱っこしていて」

「了解です」

 アンジェラと呼ばれたのは美しいブロンドの髪をした人だ。笑顔を絶やさず、なにを考えているのか皆目見当がつかない。

 アンジェラは僕を殴ってきた少女を膝に乗せ、ぎゅっと抱きしめた。耳元で、

「エスター、セシリアはたしかに無礼な人ではありますが、突然殴ってはいけませんよ。まずは話し合わないと」

 とアンジェラは子どもを諭すような言い方でエスターに注意をした。

「ごめんなさいね、うちの子が。セシリア、あなたの質問に答えるわ。私は──」

 首にかけているネームプレートをこちらに見せた。

[隊員訓練施設・施設長 クラーク]

「シェリル・クラーク。よろしくね。そしてこの小さいのが──」

 シェリルの言葉を遮り、妹と同じような白い肌、白髪そして赤い瞳の少女が口を開く。

「エスターだ。エスター・ホワイト。お前は何様のつもりだ? 次にナメた口利いたらその舌引きちぎってやる」

 と脅してきた。

「こら、エスター。外部の人間にそんな物騒なことを言ってはいけないよ。次言ったらおしおきするからね」

 そうシェリルが言うと、エスターのただでさえ白い顔は見る見るうちに青白くなっていき、小刻みに震え出した。どうやらこのエスターはバイブレーション機能付きのようだ。

「それでこっちのブロンド髪ちゃんは」

「私はアンジェラ・ホワードです。はじめまして。他人や立場が上の人には敬語を使ってくださいね」

 アンジェラは会釈する。やはり表情からはなにを考えているのか読めない。

「これで質問の一つ目終了。二つ目はどうしてあなたの名前を知っているか。答えは簡単、調べたから」

「どうして僕の名前を調べる必要があったんですか?」

 スラム街で人が死ぬのはよくあることだ。瀕死になっていてもわざわざ助けてくれる善良な市民はいやしない。僕のことだって空中で金属が突き刺さったまま放置でいいじゃないか。そうしたら観光名所になったかもしれないのに。[浮遊する死体]って名前で。

「その理由は単純明快。セシリア、あなたが重要な人物だから。レオンと接触して帰ってこれた人間だもの。話をたっぷりと聞かせてもらわないとね」

 レオン──レイピアを持った少女が叫んでいた名だ。──早くヴィオラを助けに行かないと。

 僕は首にかけていたマスクを取り、ベッドを降りようとしたが、体に付けられた無数の紐が絡まり、ベッドから転がり落ちた。

「大丈夫? そんなに慌ててどこに行くの? 今あなたの体には点滴やカテーテルが入ってるからあんまり動かないほうがいいよ」

 助けられながらベッドに戻るとシェリルは、

「三つ目の質問に答えるわ。肋骨が3本、腹部に金属が貫通してたのに痛くない理由。これも簡単。傷は横繋がりの組織のプロに縫合してもらってから鎮痛剤を投与してるから。それもめちゃくちゃ強いやつよ。依存性も高いからあまり使いたくはないんだけれどね。でも痛みで目が覚めるのはかわいそうかなって思ったから使ってみた」

 と饒舌に語る。

 言い終わると、三人の顔つきが変わった。今までは命に関わらない入院部屋の雰囲気だったのが、一気に霊安室なみに空気が重く冷たくなったのが感じられる。

「回答は以上よ。というわけで、こっちも質問させてもらうわね。内容は大きく分けて三つ。一つ目、あなたは今まで吸血鬼という存在を認識していたかしら?」

「……いいえ。都市伝説という認識です。そして僕は今夢を見ているんです。とてつもなく嫌な悪夢です。妹が……ヴィオラが──」

 突然猛烈な吐き気を催し、思わず口元を押さえた。

「犯されていた、と」

 アンジェラが軽々しく言う。

「これも夢で……もう少ししたら目が覚めていつも通り朝を迎えて……」

 頭を抱える。ひどい頭痛が僕を襲う。

「オッケー、次の質問にしよう。二つ目、ヴィオラは犯されたあとどうなったの? 現場にあったのはこちらの人間のちぎれた手足だけだったからね」

 シェリルは気にせず訊ねる。

「……ヴィオラは……あの男に抱きかかえられて……連れていかれました。指を一度鳴らすと、突然跡形もなくその場から消え去りました。あと……あの男が消える前に見つけたのですが……」

「なにを見つけたの?」

 三人が食い入るような目つきをする。

「……よく分からないんですが……ヴィオラの左目の下に[Da'at]という文字が見えました」

 アンジェラが微笑んで、

「……よかったですね、あなたの妹は生きていますよ」

 一呼吸置き、

「吸血鬼として、ですけれどね」

 と言った。

「……ヴィオラを助けられるんですか?」

「一度吸血鬼化してしまったものを元に戻す方法は一つだけあるっちゃあるのだけれど……」

 シェリルが頬をポリポリとかく。

「教えてください! お願いします!」

「解毒薬を投与すれば元に戻るわ」

「では僕にその解毒薬を──」

「やめとけ」

 エスターがぴしゃりと言った。続けて、

「その解毒薬を使ったらどうなるか教えてやる。この書類を読んでみろ」

 と言ってファイルをバッグから出して渡してきた。

 受け取った僕はさっと書類に目を通す。

 ──こんなの実質不可能じゃないか。

「セシリアは字が読めるのね。初等教育は受けていたの? こちらで調べたものからそういった情報は得られなかったんだけどね」

 シェリルが感心したように言う。

「昔……近所の人に教えてもらったので。高度な数学はもちろんできないけど、最低限の四則計算ならできます」

 ──悲しいことを思い出してしまった。あの出来事は忘れよう。あの人がこの世に存在していたということだけを記憶して。

 シェリルが僕の頭を撫でる。

「そんなわけで、解毒薬で元に戻すのは不可能に近い。話を聞く限り、妹はセフィラになっているようだしな。投与した瞬間、絶命するだろうさ」

 エスターは僕の手からファイルを取る。

 ──セフィラ──聞きなれない言葉だ。

「あの……この書類もそうですけど、セフィラってなんですか?」

「エスター、説明してあげて」

 シェリルはエスターの頭を撫でる。

「しかしシェリル、これを一般人に言っていいんですか?」

「大丈夫。セシリアがこちら側の人間になるならそのまま、ならないなら記憶処理を行うから」

 エスターはため息混じりに渋々説明を始めた。

「まずはレオンについて話した方がわかりやすい。お前を蹴っ飛ばしたあの男がレオン。レオン・ポートマンだ。そいつが吸血鬼の頭。そいつの部下たちがセフィラになる。ついでに言っておくが、セフィラは基本的には十人いる。だか今回の事件でダアト──お前の妹が新たなセフィラになっただろう。ダアトはアイツの駒としてこれから我々に牙を剥くことになるだろうな」

 小さく舌打ちをした。

 僕の力が足りないせいで……ヴィオラを苦しめてしまった。元の人間に戻すのは現実的ではない。ならば僕が解毒薬以外の方法を探して、元に戻せばいい。

「ではそろそろ最後の質問してもいいかな? あなたはこれからどうするの?」

 シェリルがこちらに真摯な視線を向ける。

「もちろん僕はヴィオラを助けに行きます。たとえ手足がちぎれようと、感覚を失おうと、人間でなくなろうと、必ずヴィオラを助け出します」

 アンジェラはクスクスと笑い、

「あまりにも考えは稚拙ですが、この人なら凄惨な戦場にも耐えられるんじゃないですか。彼女は明確な目的を持っているようですし。それはここではなによりも強い」

 と言った。

 シェリルが改めてこちらを見て、

「セシリア、私は提案するわ。対吸血鬼部隊[レジスタンス]に入隊しなさい。そうすれば妹も助けられる」

 そう僕の手を握った。

「エスター、書類を用意して」

 シェリルがそう言うと、即座にエスターはバッグから一つの封筒を取り、中身を出した。それをクリップボードに挟み、ペンとともに僕へと渡した。

「レジスタンスはレオンの首を切るのを目的とした組織。そこに属していればいずれヴィオラに接触できるわ。それに武器や防具、知識を組織はあなたに与える。そしてレオンに意趣返しもしたいでしょう?」

 僕の答えは決まった。

 シェリルは僕の決意を読み取り、

「じゃあ、ここにサインして。セシリアって」

 と指示した。

 エスターから受け取ったクリップボードのサイン欄には既に僕のものではないファミリーネームが記されていた。

「シェリル、この‘フォスター’ってなんですか?」

「あなたがこれから名乗るファミリーネームよ」

 自分のファミリーネームなど使うこともなければ執着もなにもなにのだが、こうも勝手に決められると少々癪である。

「あなたの情報を調べても見つからなかったんだもの。……厳密には出生届自体なかったわ。名前だけは国の調査で把握はされていたんだけれどね」

 シェリルは少し悲しげに言った。

「気にしないでくださいね。この組織には訳あり人間が……世間から同情される人間が少なからずいます。私やエスターも」

 そう言ったアンジェラは相変わらず微笑んでいる。

「ファミリーネームがないと生活が色々と不便ですから、嫌でもそれを名乗っておいた方がいいですよ」

「というわけで、あなたは今日からセシリア・フォスターよ。さあ、ちゃちゃっと入隊のサインしちゃって」

 僕は[Cecilia]と書いた。


 こうして僕は新たな生活を始めた。

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