ネガイが叶うお守り
逢雲千生
願いが叶うお守り
ふと目を覚ますと、遠くで赤ちゃんの泣く声が聞こえてくる。
ほんの数ヶ月前に生まれたばかりの妹は、愛くるしい笑顔と、
赤ん坊は泣くのが仕事だと、お父さんは言っていたけれど、毎日毎晩、タイミングを
お母さんがあやす声が聞こえるけれど、眠そうで泣きそうだった。
私は明日も学校なのに……と布団をかぶりながら、だんだんと近づいては遠ざかる声に苛立ちを覚え、いい加減にしてくれと耳を塞いだ。
「おはよー。眠そうだね」
友達の声で振り返ると、元気いっぱいの
意外に力の強い彼女だけれど、力加減は上手く、私は痛いと感じたことがない。
ただ、ふざけて騒いでいた男子の頭を叩いた時だけは、人の手の平からは出ないであろう音がしたので、彼女の本気は、痛いでは済まないのかもしれない。
「おはよー。いやあ、妹の夜泣きがひどくてね」
「ああ、そういえば生まれたって言ってたっけ? もう半年くらいにはなった?」
「うん。先月で六ヶ月になった。ただね、夜泣きがひどくて困ってるのよ」
うんざりした声でため息を吐くと、由利は心配そうな顔で、私の背中を軽く叩く。
気遣いからだろうけど、今は少しの衝撃でも、倒れてしまいそうなくらい眠かった。
「……
「かんのむし? 別に、虫はいないと思うけど」
「違うよ。疳の虫っていうのは、昔の人が言ってた
「へえ……」
由利は実家がお寺なので、こういったオカルト系には詳しい。
何かと心霊的なものに置き換えてくるけれど、あいにく私は信じていなかった。
この日も
「夜泣きがひどいなら、町の外れにある神社に行ってみたらいいと思うよ」
にっこりと笑った明梨は、すぐそばの椅子を引き寄せて座ると、スマホで写真を見せてきた。
そこには綺麗な鳥居と、立派な拝殿が写っていて、テレビなどで見る有名な神社のようにも見えた。
彼女曰く、ここは子供に関する願いが叶うと有名な神社らしく、子宝祈願や安産祈願などで参拝する人が多いらしい。
お礼参りをした後でも、子供が七歳になるまではここに通って願い事をする人もいて、その願いは、ほぼ百パーセント叶うと言われている。
地元の人なら誰でも知っているらしいけれど、私は聞いたことがなかった。
「ちなみに、おすすめは夕方だよ。人もいないし、神主さんが直接対応してくれるらしいから、今日にでも、学校が終わったら行ってみて」
そう言って、私のノートを奪って地図を書いたけれど、うさんくさすぎて信じられない。
笑顔で「行ったら感想聞かせてね」と明梨は言ったけれど、何だか嫌な感じがした。
由利も「行かない方が良いよ」と言ったのだけれど、授業を受けながら、神社のことを考えていると、毎日毎晩聞こえてくる妹の泣き声を思い出してしまった。
毎日毎日、昼夜を問わず泣く妹。
ただの癇癪だったらいいけれど、そうじゃなかったら、何なんだろう。
家に帰れば泣き声が聞こえ、勉強していてもテレビを見ていても、あの子は私達の気持ちなどお構いなしに泣くのだ。
妹は可愛い。
可愛いけれど……。
放課後になり、幽霊部員の私は家に帰るけれど、由利は吹奏楽部でコンクールを控えているため、一緒に帰ることはない。
他に約束をした友達も、一緒に帰れるような男子もいないからか、足は自然と神社の方へ向かっていく。
行きたいとは思わないのに、なぜか足が向かってしまうのだ。
ノートの切れ端を手に、地図に従って歩いて行くと、学校から近い場所にその神社はあった。
明梨に見せられた写真の通り、全体的に綺麗な所ではあったけれど、本当に誰もいない。
神社もお寺も、あまり縁がないとはいえ、ここまで人がいないのに、綺麗に整えられた場所は不気味に感じる。
恐る恐る敷地内に入るけれど、人の気配は感じられず、お守りなどが売られてはいるけれど、誰もいない。
おかしな所に迷い込んだ気分になりながら、ゆっくりと拝殿へ向かうと、
彼女は手を合わせるわけでもなく、お
綺麗な場所ではあるけれど、けして大きな建物があるわけではないため、一人か二人ずつでしか参拝できない。
どうしようかと考えていると、女性はいきなり振り返り、私を見て驚いた顔をした。
知り合いというわけではなかったし、初対面であるはずの女性は、私の顔を見ながら階段を下りると、信じられないといった顔をしながら走り去っていったのだ。
意味が分からず首をかしげるが、相変わらず人の気配はない。
明梨が言った神主さんも見当たらないので、とりあえず拝むだけ拝もうと階段を一段上がると、急な立ちくらみに襲われたのだ。
くらり、という感覚によろけるが、倒れ込むほどではなかったので、数歩動いただけだった。
それ以降は、階段を上り下りしても、何も感じなかったけれど、お守りを売っている所を通り過ぎようとした時に、また立ちくらみに襲われた。
今度はかなり強くて、その場に倒れ込みたくなったけれど、ふいに触れられた背中の温かさで、正気に戻ったのだ。
「大丈夫ですか?」
声を掛けてきたのは神主さんだった。
優しそうな
事情を説明すると、「それは大変でしたね」と言われ、誰もいない売り場から、お守りを一つ手に取った。
そこには「祈願」とだけ刺繍されていて、普通のお守りより暗い赤が印象的なものだ。
「病気かもしれませんが、せっかく参拝にいらしたのに、気分を悪くしてしまっては拝んだ甲斐もないでしょう。こちらをお持ち下さい」
「でも……」
「お代は大丈夫です。このお守りは
微笑んで渡されたお守りは、ほのかに温もりが感じられる。
見た目で判断するものではないのだろうけど、半信半疑で受け取ると、そのまま家に帰った。
家では相変わらず、妹が大泣きしている。
夕食を食べている時も、テレビを見ながら寛いでいる時も、お構いなしの暴れ具合だ。
お母さんでは手に負えず、お父さんが抱っこするけれど、どれだけあやしても泣き止まない。
腰の悪いおばあちゃんがあやすけれど、それでも泣き止まない。
いつもなら泣き止むのに、この日に限って泣き止まないのだ。
そのうち泣きすぎて、飲んだミルクまで吐き出してしまったので、これはまずいとお父さんが病院に電話した。
泣いているだけで大げさな、と思ったけれど、赤ちゃんはミルクを吐き出すと、気管に詰まってしまうことがあるらしく、このまま泣き続けるなら、窒息死する可能性もあるらしいのだ。
病院から連れてきてくださいと言われ、お母さん達は慌てて出かける準備を始める。
私もついてくるようにと言われたのだけれど、行く気にはなれなくて、おばあちゃんのそばにいたいと言ってやめた。
お母さん達が病院に行くと、家は久しぶりに静かになった。
おばあちゃんと二人で、妹の心配をしつつテレビを見ていると、一時間ほどしてスマホに電話がかかってきた。
『
お母さんの話によると、妹は泣き止まず、延々と泣き続けているらしい。
電話越しにも聞こえてきたけれど、その泣き方は異常だ。
ただひたすら、声の限りに泣いているという感じで、哺乳瓶を口に当てても、おむつを取り替えても泣き止まず、それどころか、眠ることすらしないというのだ。
いくら赤ちゃんでも、泣き疲れれば眠るはず。
それなのに妹は眠らず、ただひたすら泣き続けている。
そこでようやく、私は事態の重さを理解したのだ。
おばあちゃんに伝えると、私も行くと言って支度を始めた。
腰が悪いので、タクシーを呼んで病院に行ってもらってけれど、私は留守番すると言って家に残り、由利に電話をかけた。
電話にはすぐに出てくれたので、急いで妹のことを話そうとしたけれど、彼女は私より先にこう言った。
『ねえ、亜矢。あなた、どこで呪いをもらってきたの?』
「え?」
わけがわからず、聞き返すと、由利は怒った口調で話し始めた。
『なんでそんなのもらってきたのよ。いいえ、それよりまずはウチに来て。お寺の方だよ、わかった?』
待ってるからね、とだけ言って電話は切られた。
何のことだか理解できなかったけれど、由利が怒るなんて滅多にないことだ。
これはもしかすると、あの神社が関係しているのかもしれない。
そう考えた私は、大急ぎで由利の家へと走った。
由利の家はお寺で、彼女のお父さんは住職だ。
ここら辺の仏教徒はここの
由利に言われたとおり、お寺の方へ行くと、由利と一緒に住職さんが出迎えてくれた。
「……これは、たしかにまずいね。よし、早く中へ入りなさい」
そう言われて中へ入ると、すでに準備がされている。
住職さんは
私は敷かれた座布団の上で正座すると、静かに読経が始まった。
木魚の音に合わせ、
手を合わせてそれを聴いていると、ズボンのポケットが、だんだんと熱くなってきた。
読経が進むほどに熱くなるそれは、すぐに我慢できないほどの熱を帯び、私は
お守りを見た由利は、数珠を手に取ると、お守りを包むようにかぶせた。
住職さんが振り返って読経を続ける。
その視線はお守りに向けられていて、畳に放り投げられたままのお守りは、数珠の間から這い出ようとするかのように動き出したのだ。
「う、うご、動いた……」
驚いて声を上げるけれど、二人は何も言わない。
由利も住職さんも手を合わせ、二人で声を揃えて読経を読み続けるだけだ。
しだいに動きは大きくなり、数珠もカタカタと動き出す。
それでも、顔色一つ変えない二人は、お守りが動きを止めるまで読経を読み続けた。
「……由利。開けなさい」
住職さんがそう言うと、由利は読経を読みながらお守りを手に取る。
数珠にくるまれたお守りは、なおも動こうとするけれど、袋が開けられると同時に、その動きを止めた。
中からは白い紙が出て来た。
折りたたまれた紙の中には、誰の物かわからない髪の毛と、赤黒い何かで書かれた「呪祈願」だけがあった。
読経が終わる頃には、もう何も起きなかったけれど、終わった途端に私は叱られた。
「亜矢ちゃん、君は何を考えていたんだ!」
いつも優しい住職さんが本気で怒った。
由利も冷めた目を私に向け、お守りを中身ごと和紙に包む。
私は何が何だかわからず、ただひたすら「知らない」と伝えると、住職さんはお守りのことを教えてくれた。
「これは呪いを成就させる道具だよ。本格的な物よりは劣るけれど、簡単な願いであれば叶えられるほどには強力だ。由利から話を聞いて、まさか、とは思ったけれど、なんでこんなものを作ったんだい。教えてくれ」
私には身に覚えがなかった。
例の神社に行ったことと、そこで起こった立ちくらみのこと、そして神主さんからお守りをもらったことを話したけれど、住職さんは信じてくれない。
「あそこの神主さんとは親しいけれど、そんな怪しいお守りを作っているとは聞いた事がない。そんなものが他にも配られたなら、さすがに気づくと思うんだけどね」
私はわかってほしくて、泣きながら何度も説明するけれど、由利も半信半疑のようだ。
初めて行った神社なので、どんなところで、どんな人がいるのかわからなかったのに、何を話しても疑いの目を向けられる。
思い出せることを話したけれど、一応は理解してもらえたらしく、お守りを預かってもらってその日は終わった。
あれから妹は一晩で良くなったけれど、反対にお父さん達は疲れ切ってしまっていた。
もしかしたら、あのお守りのせいで妹が……とも考えてみると、たしかにあの神社で、妹が泣き止んでくれますようにとお願いしている。
それがどうして呪いになるのだろうかと悩んでいると、おばあちゃんがこんなことを言い出したのだ。
「さっき隣のミサさんに聞いたんだけど、亜矢ってば、あの神社に行ったんだってね」
ドキリと心臓が鳴り、おばあちゃんの不機嫌そうな顔が見えた。
「まったく、ここ数十年で変わったとは聞いたけど、私くらいの人からは信じられないことだよ。あんな所に参拝に出かけるなんてね」
そう言ってお茶を
「……あの神社って、子供に関係する願いが叶うんだよ、ね。なんでそんなこと言うの?」
そう尋ねると、おばあちゃんは驚きと嫌悪を合わせた表情で私を見、吐き捨てるように答えたのだ。
「馬鹿言うんじゃないよ。あそこは
水子。
聞き慣れない言葉だけれど、おばあちゃんは説明してくれた。
「水子っていうのはね、流産したり、
おばあちゃんが子供の頃は、男女の付き合いが身近になったこともあり、堕胎や捨て子が増えていたのだという。
そんなこともあってか、この土地の一部で赤ん坊の泣き声を聞いたという話が増えていき、当時住職だった由利のひいおじいさんが調べたところ、あの神社がある場所に水子が集まっていることがわかったのだ。
なぜあの場所だったのかは謎だが、このまま放っておけば、いずれ悪いものに見つかってしまい、生まれ変わることも、あの世へ行くことも出来なくなると言われた地元の人達が、あの神社を
少しでも良い方向に向かえるようにと、当時の大人達は参拝を続けていたが、おばあちゃんが大人になる頃には、堕胎や
テレビにも取り上げられたことで、一時期は心霊スポットにもなったらしい。
それを先代の神主さんが治めてくれたらしく、今の神主さんはそれを引き継いで、安産などを祈願する神社になったのだそうだ。
けれど、今でも悪い意味での参拝は続いていて、あの日出会った女性はおそらく、そういった願いをしていたのではないのだろうか。
そして勘違いしたのか、それとも気まずかったのか、私にあんな顔をしたのかもしれない。
だいぶ経ってから由利達の誤解は解けたけれど、もう一度訪れた神社に、あの神主さんはいないことがわかった。
私が見たあの人は若い男性だったけれど、住職さんの友人で、今の神主さんだという男性は、すでに七十歳を越えていたからだ。
お守りも普通で、水色やピンクはあるけれど、暗い赤色は血を連想させるので使用しておらず、売り場には必ず一人が残っていると教えられた。
ならば、あの時出会った神主さんは誰だったのだろうか?
妹は成長し、今では生意気なくらいおませになっている。
夜泣きも一歳になる前には治まったし、それからは毎日、朝までぐっすりだった。
成長した妹を見るたび、あの時のお守りを思い出すけれど、もし由利に連絡しなければ、妹はもしかすると――。
そんなことを考えてしまうことだってある。
守ってくれるはずのお守りが、反対に呪いを与えるなどと、誰が信じてくれるだろう。
由利との交流は続いているけれど、あのお守りのその後と、呪いの原因については、あれ以来話すことはなかった。
あの神社も、今では神主さんが変わり、安産と子宝祈願の神社として、毎日大勢の人が参拝に訪れている。
けれど、訪れる人の中には、たまに夕方を狙ってくる人がいるのだという。
その人は何も言わず、静かに参拝して帰って行くだけなのだけれど、その姿が不気味に見えると噂になったこともあったらしい。
ずっと昔に地元を離れてしまったので、あの神社がどうなったのか、今でも呪いがあるのかは知らないが、なぜあの男性は、私にお守りを渡したのだろうか。
そして、あの時出会った女性は、どんな願い事をして去って行ったのだろうか。
大きくなっていくお腹をさすり、どうか無事に産まれてきてねと願いながら、私は今日も考えるのだった。
ネガイが叶うお守り 逢雲千生 @houn_itsuki
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