48_公園の歌姫
「今日はお疲れ様。また遊びに来てね」
ありがとうございましたー
受付で
午後五時の世界はまだ明るく夜の闇の気配すらなかった。
クーラーとは大違いの
道路を駆け足で横切り、公園へ進む。蝉の声がする。
緑の匂いがする。生命力を感じさせる
「あー疲れた。今日も六時間くらい練習したよな?」
斉藤がほぐす様に肩を回す。
「そのくらいはしたね。内容も実技の時間が増えてきたから疲れも増してる」
「だね」
田中の言葉に僕は同意した。
練習の翌日は腕と肩に疲労感が残る。指の先端は週二の彩果レッスンと米仲との適度な自主練でその厚みを増しつつあった。マッチは点かないが触れた相手に違和感を感じさせることはできそう。
「しかし先生はスゴイよね。米仲の言う通りどの楽器も上手だし、教え方も分かりやすいし」
田中が称賛の言葉を並べる。
「出来ない原因とか一瞬で突き止めるからな。ほんま鋭いってレベルじゃねーわ」
「それが先生が先生たる
米仲が「先生」とか言い出した時は怪しい宗教家が頭に浮かんだが、それは大きな間違いだった。
僕史上、一番「先生」という単語の持つ意味に近い人物だ。
□
「課題曲は結局『ぴんず』か。田中、羨ましいぞ」
背後から鈴木が平坦な調子で述べた。わずかに悔しさがにじんでいる。
「田中君よかったね」
「うん。メンバー構成のおかげみたいなところもあるけど、嬉しいよ。それに、みんなもあの曲気に入ってくれたし」
彩果先生の提案通り、あの後全員の演奏したい曲を聴いた。性質は異なったがどれも聴いてて気持ちのいい歌ばかりだった。
誰かのお気に入りになるのも頷けた。
それは他のメンバーも同じだったようで一曲終わるごとに
「これええな」
「悪くない」
「歌詞もいいよね」
「ロックだぜ」
と好意的なコメントを唱えた。
焦点だった田中のお気に入り「娘のイパネマ」も僕を含む皆の心を射止め、満場一致で目標曲に採用された。僕が聴いたアルバムの曲とかなり曲調が異なり、僕好みだった。
田中から教えてもらったが『ぴんず』は初期こそ爽やかな曲が多かったが、今では今回のような王道ロックが主流らしい。他の曲も聴きたくなった。
「あれを挙げるとは、田中君の音楽センス見直したよ」
「いつ見損なわれたのかは置いといて、挽回できたなら良かったよ。でも、いいセンスをしてるのは皆に言えることじゃないかな」
「さもありなん。どれも俺の『ニューヨークパリス』に引けと取らない名曲だったな!!!」
鈴木は後ろにいるのに、正面から叫ばれた様な迫力を感じた。蝉も驚いて鳴くのを一瞬中断した気がする。
「帰ったら動画サイトのミュージックビデオで聞き直すかね」
「斎藤、出来ればCD買って欲しいんだけど」
「田中君ごめん。僕も斎藤君と同じこと考えてた」
「俺らの分も田中が購入してくれ。そしてうまいことして俺達にデータをくれ」
「くれ」
斎藤の盗人根性に悪ノリする。田中は「君たち……」と力なく呆れていた。
「何はともあれ、デビュー前に音楽性の違いで解散、なんてことにならなくて良かったよ」
本心だった。
「まさか。皆ロックンロールが好きなんだから、それはないよ。
田中は笑っている。でも、僕は割と危機感を覚えていたんだよ。
□
大分歩いたが、まだ園内の中心部であることを地面に突き刺さった案内板が教えてくれた。
そして今日も聞き覚えのある音色が耳に運ばれてきた。
「またキーボードの音が聴こえるね」
担当楽器の音にいち早く田中が反応した。
「ちゅーことはちょっと進むと」
斎藤が駆けだす。そして十数メートル離れた場所で止まる。
こちらに向かって一度手を振った。僕達は焦ることもなく今までと同じペースで歩みを進めた。
何が待ってるかは既に知っている。
「ほら、今日も路上ライブしてるわ」
斎藤の視線の先、ジャングルジムとブランコの間に彼女はいた。出会うときはいつもその位置でいつもキーボードを弾きながら歌っている。今日の曲は有名なアニメスタジオが製作したアニメ映画の主題歌、女性シンガーの曲だ。
ゆったりとした曲に何度も観た映画のラストシーンが浮かぶ。
「路上ライブするだけあって演奏上手だね。歌も下手じゃないし」
それに美人だよね、と加えようとしたが心中にとどめておいた。顔を確認したわけでは無く、声と遠目のシルエットから
「これは美人だろ」
と勝手にイメージしてるだけだからだ。でもこの予感は当たる気がしてならない。
「演奏は上手い。それは認めざるを得ないかな」
「そうだ。まずは認めることが大事だぞ、田中」
斎藤が茶々を入れる。
「歌は俺の方が上手いな」
これは鈴木。
僕達の他に彼女を見ている人影はない。その僕達も彼女から約十数メートル位離れた位置にいるため、実質彼女は無人の公園の放つ寂しさと、両脇の遊具に向けて歌を披露していると言えた。
距離を置いてたむろして様子を
防衛本能だ。
彼女は僕達と同じ道を進んでいるが、そのレベルには差がありすぎる。技術面は勿論だが、人間としての強さでも僕達を圧倒している。
特撮ヒーローよろしく五人揃って、責任や負担を分散させてやっと活動できる僕達が、どうして自分の腕と相棒のキーボードだけで日常へ飛び出し、人前で演奏できる彼女の領域に踏み入れることが出来ようか。
彼女の曲を聴いて顔がほんのり熱を帯び羞恥心が刺激されるのは、彼女の勇気に自分の小ささを知るからだ。
自分を恥じているのだ。
「あの人は何で歌ってるんだろうね。スカウトされてからのデビューを狙ってるのかな?」
田中が誰に尋ねるわけでもなくこぼした。
「プロ志望ならもっと人通りの多い場所を選ばないか? 駅前とか、駅前とか」
鈴木の解答は具体例に
「聞いた話だと駅前とかは許可が必要らしいよ」
「分かんないなら本人に聞いてみればええ。それがきっかけで急接近のいい感じになれるかもしれんし」
「じゃあ言い出しっぺの斎藤、頼んだ」
「俺は行かんぞ。他人の恋路だから面白いんや」
鈴木のパスは斎藤に一蹴された。猫に鈴、そんな言葉が頭に浮かんだ。
会話が終わり、曲が遠く聴こえる。目は凝らさずに僕は彼女を眺めた。キーボードを叩く彼女の体が動く。髪の毛は明るい茶髪? 多分黒じゃなさそう。
歌が最後のサビを迎える。
輪郭の彼女に今日も僕達は拍手をしないだろう。
でも、あちらから手を振ることがあれば振り返すつもりでいる。
けど、数週間前から芽生えたこの妄想はいまだ実現していない。
最後の音色が終止線に向かって伸びる。この音が消え入り、公園がそのつまらなさを取り戻した時、淡い期待が最大まで膨らむ。こちらからは届かない、降りてきてもらわないと触ることが出来ない。
歌が終わり、彼女の腕がキーボードから離れる。そして彼女の顔がこちらを
通り過ぎた。
何事もなかったかのように歌に消されていた蝉の声が
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