45_音楽性の違い
「田中君、これはどの音階?」
彩果先生が田中に出題した。右隣に座る田中はじっと五線と一匹のオタマジャクシが描かれたホワイトボードを見ている。
オタマジャクシは一番下の線上で跳ねているので、この音階は
「Dです」
そうそれそれ。
「正解。でも次は田中君に答えを譲ってね、斎藤君」
「了解っす」
キーボードでは普通の音階「ドレミファソラシド」を「CDEFGAB」に変えて表記する。今回はドレミファでいう「レ」だったので、対応している「D」に置き換えればいい。
新しいオタマジャクシが下から三番目の線上に加えられる。あれは
「Aです」
「その通り。じゃあこれは?」
下から二番目の線上に一つ、一番目の線上に一つ、最後にその下に一個、縦に並んだ三つの丸が描かれた。みたらし団子が連想された。
「Cのメジャーコード」
「正解。それじゃあ最後はこれ!」
みたらし団子の横に小文字のbが大きめに書かれた。正式名称はフラット。
「Cのマイナーコードです」
「大正解! みんな拍手!」
彩果先生に促され拍手を田中に送る。彼は照れたように手を頭にあてた。
「お疲れ様。みんな担当楽器の楽譜を読めるようになったね。若いと吸収力があっていいねー。そのフレッシュさを私にも分けて欲しいよ」
彩果先生がホワイトボード拭きながら言う。
「三十分の小休憩の後に今日も実技をやります。だから、トイレとか済ませておいてね」
では、解散。
彩果先生はホワイトボードを白に戻すと、フロアに置いてあったペットボトルのお茶を拾い上げて扉の外へ出ていった。スマホによると、ただ今の時刻は十五時十分。
□
「んーーー座学終わったあああ」
くるりと体を半回転させ、斎藤がこちらを向く。半袖の袖を捲った状態で両手を上げたため、脇から汚い刻みのりが晒されている。早く袖を元の形に戻してくれ。
「彩果先生のおかげで楽譜大分読める様になったね」
田中は白紙のボードを眺めながら言った。
「結局音楽はドレミが強いんだね」
「そうだね。呼び名は変わっても何処にでも顔出すもんね」
僕はベース、ギターにもドレミの音階があることを知らなかった。音楽用語でよく聞くCだのDだのがギターやベースのドレミに該当するとは気付かなかった。
エレキギターが出す「ド」に僕の知ってる「ド」の面影は中々見つからない。
「ドラムの楽譜で×の音符が出てきたのにはビビったわ」
確かドラム譜面での×はシンバル部分を叩くことを意味してたっけ。
「あとは実技だね。何の曲弾くんだろう。知ってる曲だといいな」
田中の視線がホワイトボードから離れ、僕に向かって伸びる。
「簡単な曲だとは思うけど、ロックで簡単な曲ってなんなんだろうね」
僕は想像したけど直ぐには浮かんでこない。
「全部難しそうに聞こえるよな。てか、簡単だったらロックバンドじゃねーよな」
「斎藤の言ってること分かる」
「曲でちょっと思ったんだけどな」
左隣から声がした。鈴木だ。
「俺達はロックバンドをやるんだよな?」
「そうだ。俺達はロックバンドをやるんや!」
「だよな。じゃあ方向性はどうするんだ? ロックと言っても色々あるだろ?」
言われてみればそうだ。思えば顔合わせの時に
「音楽のジャンルならロックンロールが好き」
という話をしたくらいで、具体的な方向性などは話し合っていなかった。
その後も楽譜や実技に追われてツギハギロックのことを話し合ってはいなかった。
「そりゃお前、『ERISA(エリサ)』やろ。グランジ最高やろ」
「えー洋楽ロック? 『ぴんず』みたい邦楽ロックじゃないの?」
「僕は『ユリアス』みたいな九十年代パンクロックをイメージしてたんだけど」
斎藤、田中、僕と目指すロックバンドを述べたが、ここまで一致なし。それどころか方向性すらバラバラだ。
「俺が考えているのは『Vアクター』。見事に被らんな」
「マジか鈴木。てっきり俺達は同じ未来を描いてるんだとばっかり思ってたわ」
「これはどうしようね。ちなみに米仲は?」
田中が米仲を見る。僕も右を見る。そこには膝を立てて座る米仲が居た。
「俺がリスペクトしてるのは『ナビゲーター』だな。八十年代のロックだぜ」
僕でも聞いたことがあるバンド名だ。曲もいくつか音楽プレイヤーに入っている。日本のロックバンドの基礎を築いたレジェンドだ。
「うわー見事にバラバラだ。ポーカーなら豚だよ豚」
田中が倒れる様に後ろに手を着く。本当のポーカーなら手札を交換して一発逆転を狙える。
しかし、バンドは違うし、仮に出来てもやらない。
もう僕はこのメンバーでバンドをしたいのだ。
「でも、リスペクトしてるだけで別に目指しちゃいない。影響を受けるのはいーけどよ、真似事ならロックをする意味がねーしな」
米仲と目が合う。僕はなんでか会釈のように頭を少し下げていた。
「俺達は俺達のやりたいことを我慢せずにやればいいんだよ。好きなバンドがバラバラなら全部合体させちまえばいい。どうせツギハギなんだから。俺達は俺達の音楽を作ればいいんだよ。そして、仕舞にはそれが新しい柄になる」
米仲は立てた膝の頭を左手で軽く叩いた。決める時にビシッと決めてくれる。正式に決めたわけじゃないが皆米仲がツギハギロックのリーダーだと思ってるはずだ。
「そういうもんやろか」
「そういうもんだぜ」
肩に手でもおくように米仲が返した。
「でも、一発目の練習曲をオリジナル曲でってのは厳しいからな。今回は誰かの好きな曲を練習曲にするしかねーな」
米仲が膝立から
やっぱりそうかぁ、田中が天を仰ぎ、会話はそこで途絶えた。
□
静かになったスタジオに扉の開く音がよく映えた。体を向けると彩果先生がノートパソコンを抱えて近づいてくる。ぼんやりと目で追う。米仲の隣で脚が止まる。
「みんな、休憩中に悪いんだけどちょっといいかな?」
「どうかしたの、先生」
米仲が相変わらずの口調で対応した。それに慣れつつある自分に喝を入れる。
「みんなが演奏したい曲って何かな?」
タイムリーな話題に思わず斎藤、田中と顔を見合わせた。
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