19_仲直りは今だ










 そもそも迷惑メールの件名なんて

「久しぶりー 同級生のたかゆきだけど覚えてる?」

 か

「重要なお知らせです」

 か

「百万円振り込みました」だもんなぁ。


 諦めて本文を開く。そこには

「久しぶりだな元気してるか?」


 といった近況を尋ねる文面はなく、大皿の中心に肉切れ一枚盛り付けたフランス料理のように、数千字の余白を残して、伝えたいことだけが記されていた。


『メンバー揃ったぞ!』


「まじかよ」


 目が釘付けになった。

 まだ「七つの玉が揃ったぞ」の方が信憑性があった。文字の向こう側に真実があるかのように、じっと見つめた。画面をめくれればと思う。


 そこには送り手の気持ちや文面の真相が潜んでいるはずだった。たいして溜まっていない唾を飲み込む。

 信じられないというよりはちょっと遠慮したい気持ちだ。返答にはふさわしくない感情だ。


 なんて返そう


 今の微妙な心境を小学生の作文みたいに素直に文字に起こしてはいけない。かといって、保留や後回しはもっといけない。

 人間性が問われている。

 それに、嫌なことを先伸ばしにすると心臓病のリスクが高まる、と母が言っていた。


 しまった。米仲への返信を嫌なこと扱いしてしまった。

 人の努力を軽んじてはいけない。これは僕の言葉だ。



『久しぶり! 本当!? すごいな!』


 消去。とりあえず打ってみたが、あまりにも白々しい。でも、純粋な米仲は額面通りに受けとりそうだ。


『だろ? 何人に断られたか覚えてねーけどやってやったぜ。てなわけで、顔合わせは明日な。ベースも持ってきてな』


 と、せっかちな返信を脳内受信する。

 米仲、明日は無理だ。

 特に用事はないが明日も暑くなるらしい。太陽に焼かれながらベースを運ぶのはしんどい。考えただけで不快指数が上昇する。


 リモコンでエアコンの冷房を一度下げる。赤外線を受信した本体が、ピッと甲高い音を発する。


『メンバー揃ったぞ!』


 このたった一行に翻弄ほんろうされている。

 まるで現代文の文章問題だ。

 

 問八、この電子手紙に対して、相応しい返信を記述せよ。配点は二十五点。残り時間はたっぷり。


「メンバー揃ったぞ!」


 声に出す。うち上がった言葉は天井付近で重力に捕まり、僕の頭に落ちてきた。メから! までが、リズミカルに頭を叩く。外部から刺激を受けても閃きには至らず。

 かわりに疑問が顔を出す。忘れがちだが人生の核となる主題だ。



 僕はどうしたいんだ?



 メールの返信もそうだが、その先、バンドを組むのか? 

 それとも米仲を避けるのか? 

 夢はどうするのか? 

 自問は檻から放たれた獣のように頭の中をかき乱す。



 僕は、どうしたいのか。



 僕は勿論もちろん、夢を叶えたい。


 とうに分かりきっていたことだ。


 メールを終了し、電話メニューから着信履歴を選択する。

 非通知着信は四十二分前。その正体はほぼ間違いない。


 発信。

 左へ寝返り、スマホを頬にあてがう。ピポパポと電子音が鳴り、コールへ変わる。

 決着は五コール目でついた。


「うっすさとる。メール読んだ?」


 ツンツン頭が目に浮かぶ、懐かしい声だった。


「見たよ。本当に集めるなんてすごいな」


「だろ? 断られた人数は覚えてねーがやってやったぜ!」


「あぁほんとすごいよ」


 誰かと一対一で話すのは数週間ぶりだ。

 自分の声がひどく未成熟に聞こえる。まだ口調が固いかもしれないが、話していくうちにほぐれるだろう。


「でも、何で僕の電話番号分かったの?」


「なんでって、メアド交換の時、互いの電話番号を本文に入力したろ? 覚えてねーか?」


「そうだったっけ? すっかり忘れてた」


 後で確認してみよう。 


「あれからギター練習してるんだが、思ったより難しいな。そっちはどうだ?」


「それよりメンバーって何人集まったの? 同じ大学の人? 性別は?」


 言ってから気づいた。

 僕は「メンバーが揃った」の報告に驚いて、肝心のメールの内容をよく咀嚼そしゃくしていなかった。

 下駄箱にラブレターが仕込まれていたことに動揺し、封を開ける前に承諾するかどうか悩むようなものだ。


 悩む前にやることがあるだろ。

 間抜けさに力が抜けた。



「それは会ってからのお楽しみだな。というわけで、明日バンドの顔合わせやるからな! 詳細はメールで送るな!」


「了解。それはそれとして質問があるんだけど」


「なんだ?」


 肩を駆使してもぞもぞと体を仰向けにする。

 天井に設置された円形の照明がまぶしい。左腕で挙げ、影を目に落す。


「明日、ベースはいらないよな?」


「ベース? あぁ、明日は顔見せだけだから別に要らないな。持ってきてもいいけど」


「いや、やめとくよ」


 なんだそれ、と米仲が笑った。

 左腕をたくましさとは無縁の胸板へ乗せる。もう少し米仲と雑談をしたい。風呂と飯はそれが終わってからだ。


 話す内容は決めてある。

 まずは謝罪だ。

 自分の臆病と怠惰たいだで不義理を働いたことを謝ろう。


 ただ、罪状を口述した上で謝罪するのは今の僕には難易度が高い。取りあえずは具体性に欠けた内容でいいから、謝ろう。


「ところで米仲」


「何ぞ?」


 体を起こし、正座になり、深々と頭を下げる。

 相手から見えないのに頭を下げるのは自分自身にも許してもらいたいからだろう。


「本当にすいませんでした」


 マットレスと平行になって数妙経過。突然の謝罪に面喰らったのか、受話口からは沈黙しか聞こえない。


「まぁ、いいってことよ。それより未来の話をしようぜ」


「……ありがとう」


 体を平行から垂直に戻し、米仲の語るバンドの展望に耳を傾ける。楽しそうな声を聞きつつ左を向き、相変わらず部屋の隅に突き刺さっているベースを見つめる。 


 彼、もしくは彼女は今、夜空を眺めている。



「やっぱり、ボーカルはギター弾かない方がいいよな!」


「だね。ボーカルはマスクスタンドだけ握りしめるべきだよ」


「そうそう! それこそロックだよな!」


 ご無沙汰だったロック発言を聞きつつ、立ち上がり窓辺へ。ベースの隣で立ち止まる。

 ガラスの向こうでは隣家の二階の窓から暖かそうな光が漏れている。フローリングの床に胡坐あぐらをかく。


「デビュー曲はどうするよ? やっぱりそのバンドを象徴する一曲でスタートしたいよな」


「そうだね。デビュー曲が代表曲だとカッコイイもんな」


「そうなんだよな。で、ファーストアルバムのタイトルにはバンド名をそのまま付ける。あぁ、ロック」


 案外いい景色だな。

 これをずっと独りで見てたんだな。


 ベースと同じ目線で外の世界を眺める。正面の景色こそベランダの手すりにはばまれるが、斜め上に広がる夜空はよく見える。ベランダの面積が狭いので、上階のベランダに夜空がさえぎられないのだ。


 今日の夜空にも星は見えないが、月はぽっかり浮かんでいた。


「でも、独りは寂しいよな」


 スマホをスピーカーモードに切り替え床に置き、両手でベースをスタンドから外す。ストラップを肩にかけ、胡坐の上に本体を置き、構える。


 触れなかった日々の分だけ重量が増したのか、どっしりとした重さが太ももに伝わる。スマホからはバンドのイメージカラーの重要性を説く声が聞こえる。


 今までごめんな。

 これからは二人で色んな景色を見よう。



 右の親指を縦に降ろす。

 四本の弦は音も立てない。

 今はこれで十分だ。



 いつかは一緒に星の輝く空も見れるだろう。



「おーい。悟聞こえてるか? 電波わりぃのかな。おーい」


「聞こえてるよ。電波も問題ない」


 スピーカーモードをオフにし、スマホを左耳にあてる。右手でベースを抱く。


「ならよかった。もう九時過ぎだけど時間大丈夫か? 今家か?」


「今は家だし、時間もへーきだよ」


「なら良かった。今日は念願成就の記念日だからテンション上がっちまってな。まだまだ語らいたいんだ。ところで、今日は何してたんだ?」


「今日は作詞と、仲直りかな」


 会話はよどみなく続き、対コンビニ店員・宅配便のおっちゃん専用機と化していた口は久しぶりに


「あ、レシート要らないです」

「お疲れ様です」


 以外の言葉を放てている。


 この後は風呂入って飯食って寝る、だったが一部変更。

 就寝の前にベースのいろはを調べてみよう。そして、ベースの名前を考えながら夢に落ちよう。

 現段階では、「ジーン」が最有力候補だ。


 これはたまに洋画に出てくる白人女優の名前だ。

 昔、深夜に放送されていた駄作「クワトロオップス」の濡れ場で僕は彼女の、身内以外の女性の裸を初めて見た。

 見事な巨乳、それでいて陥没かんぼつ乳首の持ち主だった。


 どんな駄作にもいいところはあると教えてくれた。









 何の話だっけ?

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