18_標が他にない
真っすぐに 今すぐに 君をチェック
これでカンペキ
真っすぐに 今すぐに 君をチ
真っすぐ に今す
真っ
「はぁーーーー」
石灰水を紫に染めそうな深いため息。
体は吐き出した息を追う様に、前に、沈む。
文章作成ソフトによれば、新作『ブックマーク』の総製作時間は四十六時間と四十五分十秒。今、十一秒になった。
今日だけで五時間以上製作していたことになる。その成果は前回途中だった二番のBメロ作成からはじめて、二番の歌詞の完成までいけた。
ここだけ見ればまずまずと言ったところなのだが
ホームポジションで眠っていた両手を起こし、頭を抱える。
――――思い付かない。
三時間前に二番の歌詞が完成してから、手が完全に止まっている。歌詞を打ってみても気付けば振りだしに戻っている。
また紫色吐息を吐きそうになる。
脳は走り続けているが
両脇には緑色が広がるばかりで並木も一陣の風もなく、空には雲もUFOのひとつもなく、片方だけの軍手ともすれ違わない。
この道で間違いはないのだが変化に乏しすぎる風景のせいで、時折ちゃんと前進しているか怪しんでしまう。
残り少なくなったサイダーを飲む。最初の一口から十五分も経ってないが、もうペットボトルは空だ。
どうしたもんかなぁ
今日はここまでにしておこうかな。
これ以上続けてもあまりはかどらない気がする。
事実、ディスプレイの左半分には歌詞が表示されているが、右半分には
「解明! 人が電車で眠ってしまうメカニズム!」
なる知能指数が低下しそうなネット記事が表示されている。
ゲームのリアルタイムアタック動画を見始めるのも時間の問題だ。
画面右下に視線を移す。数列は世間が午後八時十五分を迎えたと告げている。ここから風呂入って飯食って、歯を磨いてだらだらすれば、もういい時間だ。
頭を包む、熱に似た疲労感が達成感へ進化し背中を押した。
よし、今日はおひらきだ。
肘掛けに手をつき、組立式の椅子から立ち上がる。残りの時間は好き勝手に過ごす。
親に見せられないくらい、
そう決めた瞬間
創作の活力が沸いてきた。
巻き戻しのように、椅子に腰を下ろす。
どこからともなくやって来たやる気に、脳みそが張り切って空転する。
よし、あと三十分やろう。
明日は旅行だから早く寝なければならない、と思ってる間は眠気の「ね」の字すらないが、日の出が目前に迫り、さぁ今日は
もしくは、今日の分の漢字ドリルは気が乗らないが、明日以降の分になるとすらすら進む。
それと似たようなことが僕の身にも起きている。
やらなくてはならないから
やらなくても別にいいに変わると
人はこうも生き生きとする。
猫背を伸ばし、青の十二万円と正対する。
既に心は日本晴れで緩んだような充足感を感じている。まるで優勝確定後の消化試合だ。
たとえ負けても、優勝は揺るがない。
なんと気楽か。
こんな精神状態では、余計な力みがなくなり実力以上の成果が出てしまう。
両手を組み、手首を
楽しい三十分になるに違いなかった。
□
延長戦開始から十四分。僕はやっぱり快調だった。液晶上は延長戦前と変わりないが、頭の中は一変。さっきまでの停滞が嘘のように回る回る。
あぶくの様に虹色のアイディアが浮かぶ浮かぶ。
猫を飼う
三度目の再開
雨の日の告白
十年後
全てボツだ。
でも、弾ける様はそれだけで美しい。
味気なかった土の道は桜並木に祝福され、空には虹がキャリーバッグに貼られたままのマスキングテープのように無造作にベタ貼されている。
足元には片方だけの軍手が列をなしている。
全て右手用だ。
拾い上げて握手でもしてみようか。
答えのない空欄を前に、腕組をしながら頭を
明日には表情筋が悲鳴をあげるかもしれない。
暗がりに着こなして
ボツ
過去をまとった君の
ボツ
クジャシャールエモート
ボツ
絶滅危惧種の夜に
違う
今日も明日もこれからも
お
未来さえ約束して
おお
きっと連れていくよ
おおおおおお
忘れない様に ブックマーク
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
僕はもしかしたら、いやもしかしなくてもやっぱり
ある
のかもしれない。
自分で自分を抱きしめ、排尿後のように
今、僕は確実に生きている。
□
至福の延長戦は十五分の追加延長を含む、合計四十五分で幕を閉じた。目下の目標だった『ブックマーク』は暫定的だが三番のBメロまで進み、試合内容、結果ともに満足している。
今日はもう自由に過ごして見直しは明日、フラットな頭でやろう。
経験上、こういうキマった状態で作った歌詞は高確率で採用になる。今回も、そうであることを期待しつつ『ブックマーク』を保存し、閉じるボタンをクリックする。
画面を覆っていた白色は晴れ、代わりにロボットアニメのイラストが表れる。
仁王立ちした黒い巨大ロボットの足元に、主要キャラクターが集合している一枚だ。
ロボットアニメにしては珍しく日曜の午前七時から放送していた一作。
アニメに飢えていた中学一年生の僕は休日の早起きという苦行を乗り越え、リアルタイムでの視聴とビデオによる録画を徹底し、数年後に発売された限定版ブルーレイボックスも購入した。
兄弟三人で小遣いを合わせて購入した。
ぶっちゃけ高かった。
僕が買うものは何でこうも高値なのか。
十二話入りで三万円はどうなのか。
オタクは貴族趣味なのか。
作品ごとにディスクを買うオタクは余程の金持ちか余程の馬鹿か、あるいは両方なのか。
自分達が
でも、届いた段ボール箱を開け、その手でブルーレイボックスの重さを感じた時は最高に興奮した。
ネットでの評価は賛否両論だが僕にとって思い出の一作。正常な評価はこれからもつけられない。
机の左下に置かれたリュックから、密封型の防水ビニール袋取り出す。袋を開け布製のメガネ拭きを剥ぎ取れば、灰色のUSBメモリーに辿り着く。
それをノートパソコン右側面に挿し込む。マウスのドラッグ&ドロップ操作で作詞フォルダを丸々USBメモリーにコピーする。
既存のファイルと置き換えますか?
はい
コピー中……
百パーセント。完了
最後に、USBメモリー側のフォルダを開き、最終更新日時を確認する。
午後九時七分。
コピー元の最終更新日時とピッタリ。
達成感がピークを迎える。
プロの作詞家もこの快感を味わっているはずだ。
そういった意味では今の自分もプロと同じフィールドに立っている。規模が異なるだけで本質的な部分は変わらないはずだ。
皆、パソコンの前で一喜一憂しているんだ。
マウスカーソルを動かし接続を解除、USBメモリーを抜き取る。
このUSBメモリーは高校生の時にネット通販で買った。元値は千円そこらだが、作品が保存される度にその価値を上昇更新している。
今では十二万円のパソコンよりも大事で
田舎のばぁちゃんから熱海旅行のお土産で貰った日本刀のキーホルダーと同じくらい大切だ。
僕の口から昔話を語るよりも、このUSBメモリーの中身を見た方が僕をよく知れる。
僕以上に僕を表しているデータ群だ。
USBメモリーをメガネ拭きにくるみ、防水ビニール袋の中へ仕舞う。
お疲れさまでした。
それをパソコンの脇に置き、空になった手ですぐ側にあったスマホを掴む。椅子から立ち上がり、一歩二歩、三歩めで念願の
布団自体はホームセンターで買った安物だが、床との間にマットレスを一枚挟んであるので、寝心地が少しマシになった。
独り暮らしの大学生には
それさえあれば十分なのだ。
敷布団に仰向けになったまま天井に向けて腕を伸ばし、スマホを構える。
電源ボタンを一度押しスリープモードを解除する。寝起きの画面には二つのお知らせが並んでいた。
メールに、着信?
誰からだろう。
履歴を確認する。
着信は四十分前。
電話番号に覚えはない。
まぁ、そもそも電話がかかってくること自体希れで、かかってきても
「どうだ元気か都会には慣れたか」
という父親からの安否確認の連絡が
電話番号をネット検索にかけるも有益な情報は得られず。正体不明というのは不気味だ。
一旦後回しにしてメールの方からやっつけよう。
メールフォルダを開く。
受信ボックスには未開封のメールが二件。
メールは確認次第、保存か削除しているため、未開封メールの数がそのまま新着メールの数となる。
受信ボックスを開き、更に階層を降りる。
「おうふ」
思わず声がでた。反射的に腕を下ろし、スマホを胸に抱く格好になる。
見間違いじゃなければ、受信メールの一番上には避け続けた彼からの久しぶりのメールが積もっていた。
メッセージじゃなくてメールというのも彼らしかった。
ブレザーにツンツン頭が脳裏を
ただ、何せ一瞬しか見ていない。
見間違いの線を諦めるにはいささか早計だ。本当は日本白米協会を名乗る詐欺メールで、「お米と仲良しに」の件名から「米」と「仲」の文字が飛び出してきただけかもしれない。
事実を確かめるべく恐る恐る腕を上げる。
そこに居るのは誰だ?
□
米仲
だよなぁ。
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