相席夜行

雁鉄岩夫

第1話 旅の始まり

 窓の外は空が白け始めるが、雲が空を覆っていてあまり明るくない。窓から見下すと雑居ビル郡の間を走る道路には横断歩道を渡るサラリーマンたちが皆寒そうに白い息を吐きながら、古く大きな帝冠様式の大きな駅舎に入っていく。

その様子を合皮のソファーに座りながら見ていると、「お待たせしました。」と声がしたので振り返ると、淡い水色の衣装に同じ色の小さなナースキャップの様な頭飾りをつけた、すらっと細く背の高い綺麗なウェイトレスがいた。歳は私より少し年上といったところだろう、制服のスカート丈は膝よりも高い位置にあり、若いアルバイトが着ることを想定しているのだろうが、彼女が制服を着るとそのアンバランスさが彼女の大人の魅力と色気をより際立たせた。

「モーニングのdセットになります。」と、銀の丸いお盆に乗っている目玉焼きやソーセージが乗っているお皿を目の前に置いて、微かに馴れ馴れしさを含みながら「注文は以上になりますが宜しいでしょうか?」と言われたので、少し愛想よく「はい大丈夫です。」と答えた。彼女が立ち去って行くとドリンクバーで汲んできたストレートの紅茶をすすりながら、ウェイトレスの後ろ姿を見送る。彼女の足元には踵が低くめの白いハイヒールが履かれていて、歩くたびに小さいお尻が少しだけ左右に揺れた。幸先の良いスタートだと心の中で思いながら朝食を食べる。

 大学を卒業してから4年間、別に入りたくもなかった工場の仕事を続けてきたが、夜勤をやっている時、ふとこの仕事はやりたくないと思いたって、その日のうちに上司にその旨を伝え、一ヶ月後には仕事を辞めた。ある程度の貯金があったので、仕事を辞めた後すぐに何処かに勤めるつもりは無かったが、かと言ってやりたい事がある訳でもなかった。ある日有休を消化し始めた頃、家でテレビを観ていると、夜行列車の旅番組がやっていてそれを見た瞬間、旅をしようと閃いたのだった。そして今日2月1日で無職になり、朝早く起きて駅に近い雑居ビルの二階にあるこのファミリーレストランでモーニングを食べていた。

 朝食を食べ終わり残っている紅茶を一気に飲み干したあと、伝票を持って誰も居ないレジまで行くとベルを鳴らす。どこからともなく両手をふわっと浮かせて駆けてきたウェイトレスがレジまで来ると。「有難うございました。」と言ってレジを打った。

「560円になります。」と言われちょうどぴったりの小銭を払いレシートを受け取るとウェートレスは。「また来てくださいね。」と自分の瞳にジッと視線を合わせて言った。

「はい、また来ます。」

 ファミレスの出口にある階段を降り自動ドアの外を出ると、強い風が全身にふき付け、コートに纏っていた暖かい空気は、一瞬にして何処かへ吹き飛ばされた。

 駅舎の出入り口までは大きな道を挟んだ斜め向かいにあった。古く荘厳な佇まいの駅舎は煉瓦積みに大きな瓦屋根がある建物で、この地域で二番目に大きな駅だ。入り口は大きく重いガラスの扉で、押して中にはいると広い広場になっていた。広場には無数の人々が行き交っていて、真ん中にはポールの上に丸い銀色の大きな時計がちょこんとと付いている。休日にはここの周りが待ち合わせスポットになる。広場の両サイドは切符の自動販売機や、販売カウンター、キオスクがありその周りには、旅館やホテルの広告がついた水色のプラスチックのベンチが無数に並んでいて、多くの人がそこで電車の時間を待ちながら、本や新聞を読んでいた。

 チケット売り場の前まで来てから、ふとこれから何処に行こうかと考える。この国は北東から南西にかけて長い島国で、周りには大小無数の島々がある。ファミレスで行き先を決めようと思っていたが、ウェートレスに見とれたあと食べるのに夢中になっていたため忘れてしまっていた。しばらくチケット売り場の近くのベンチで考えていると。売り場から女性の声で「室谷までの二等寝台を。」と言う声が聞こえてきた。室谷とはこの国の最北端に有る街の名前で前夷県と呼ばれる所にあった。寝台車で2泊は掛かる為普通は航空機で行く場所だ。

 声の方向を見ると淡い紫色に白い花があしらわれた着物に黄緑色の道行を着て首にはクリーム色のストールを巻いた女性の後姿があった。室谷もいいなと思いキオスクで地図を見てみると、地理的に今いるところから一番遠いんおような気がして、気持ち的に一刻も早く前の会社の近くから離れたかった為直ぐそこに決めた。再び切符売場を見ると彼女はもう居なかった。

 切符を買い終え、横一列に無数に有る自動改札機を通ると、頭端式ホームと呼ばれる櫛状に配置されたホームがあり、間には客車や電車、蒸気機関車からディーゼルカーまで何編成もの車両がスッポリと収まっていた。天井はガラス張りで、蒲鉾の内側だけくり貫いたような形で高い天井になっていて、リベットでかしめられた鉄骨が、ゴシック様式の様に縦横無尽に走っている。鉄骨の間にはチラホラと鉄骨のレールに沿って動く小さなゴンドラに乗った人間が天井を掃除している光景が見られた。

 一番早く来る列車の切符を買った。一等席を買おうとしたが、こんなに早くの出発なのに全席埋まっていた為二等席をしか買えなかった。二等席は一等席と違い見知らぬ二人で、一つの部屋を使う為、安全上の対策として、通路側の壁がガラスで見えるようになっている。その代わりベッドは二段ベッドではなく、面積も広く取られていてカーテンの仕切りもある。切符を買うときに一応聞いておいたが、相部屋の客は今の所いないと言っていた。

 ホームの手前にある行先掲示板には、すでに今から乗る列車が書いてあり発車の1時間前なのにもうホームに付いていた。櫛の隙間の付け根あたりには、キオスクや各種の自販機が設置してあった。ふと辺りを見渡すと、軽食が売っている自販機の前に再び着物の女性の後ろ姿を見つけるが、人混みに邪魔をされ見えなくなった隙に再び見失った。

 今から乗る列車のホームに向かう。二等車は編成の比較的進行側にあり、ホームを歩いていくと先頭には、モワモワの蒸気を吹き出す車両が見えた。物珍しいので近ずいて見ると大きく黒光りした蒸気機関車が停まっていた。大きな4つの車輪に一本の連結棒が繋がっており時折横から煙を出していた。

 蒸気機関車を眺めた後、二等客車に乗り込んだ。列車の車両一つ一つに車掌がいて入り口の近くに立っていた車掌からカード型のルームキーを渡された。客車の片側には通路があり、反対側に客室があった。客室に入るとやはり誰も居なかった。中は入って両サイドにはソファーがあり、寝るときはそれを引き出すとベッドになりそこで寝れるようになっていた。ソファーの上にある棚にキャラメル色のボストンバックを置きソファーに座って本を読んで待つ事にした。

 30分ほどした頃ガラスの壁の向こうに着物を着た女性が歩いていると思ったら扉の前に停まり、ガラス越しに私と目が合う。ショートヘアが良く似合う瞳の大きな人だった。彼女はドアノブを握ったと思うと扉を開け、そして私に向かって。「あの、座席って、この場所で合ってます?」と話しかけた。

 急いで、シャツの胸ポケットに入れていたチケットを取り出し、席番号を確認する。

「合ってますよ。」と扉に書いてある番号と見比べる。

「おかしいわね。」と言いながら首を少し傾げながら彼女は言った。

 二等車は他人同士が相部屋になり密室になる為、切符売り場の職員が、男女で別々の席になるように席分けをする。今回のように初対面の人間が異性同士になることはよっぽどのことが無い限り無いようになっていた。

「どうかしたんですか。」

「切符売り場の人が間違えてしまったみたいで。」と少し困った顔をした。

「車掌さんを呼んで来ましょうか?」と呼び出しボタンを押そうとすると。

「あ、いいわ。」

「良いんですか?」

「ええ、良いわよ切符売り場の人もわざとやったわけでは無いのだろうし。」

「でもボクと二人ですよ?」

「あら、あなた私と二人になるとそんなに悪い事をするの?」と少し上目づかいで見つめながら言われ、「えっ。」と声にならない声が出てしまった。

「あ、ひとつお聞きしたい事があるのだけれど、あなたタバコは吸われます?」

「あ、いや、吸わないです。」と言うと。彼女は嬉しそうに

「ほんとに!、良かった、なら短いあいだ一緒に旅をしましょ。」と言った後、目の前の座席に座った。

「そうですね。」と言って私も座ったあと再び本を読んだ。

 それから暫くすると。汽笛がポッポとなり列車は動き出した。蒲鉾型の屋根をぬけると、空にあった雲は疎らになっていて、天井を抜けた直後は目が慣れず少し眩しかった。彼女は暫く何かの文庫本を読んでいたが、列車が発車すると車窓の向こうをじっと見つめていた。本を見ながらチラチラと彼女の横顔を見ると、彼女の瞳は大きく瞳はとても澄んでいた。密かに交互に本と彼女を交互に見ていたので、本の内容は全く頭に入ってこなかった。再び彼女を見ていると、彼女は首を動かそうとしたので急いで目線を本に戻す。暫くしてから恐る恐る彼女を見ると、彼女は私をじっと見つめていて、私はその瞳から目を外すことは出来なかった。心臓の鼓動は早くなり、なんの言葉も発せないまま数秒が流れた。なんとか言葉を発しようとして放り出した言葉は「なんですか。」だった。

「あなたがこっちを見るからそのお返し。」とニコリとする。

「へっ。」

「全然進んで無いですねその本。」と言われ本を見る。

「ああ、この本ですか、実は私、あんまり本を読まないんですよ。」と本を閉じてから少し持ち上げる。

「あら、そうなの?じゃああんまり本はお好きじゃ無いの?」

「そう言うわけじゃ無いんですけどね、自分が人に見られるとき、スマホをいじってるより、本を読んでたほうが、印象がいい気がして。」と言うと。

「言われてみればそうだけど、なんだか少し動機が不純ね。」

「そうですか?勉強になるし印象も良くなって一石二鳥ですよ。」と言うと彼女はふっふっふと笑いながら。「なあに、それおかしい人。」と言った。

「そんなに可笑しいですか。」

「ええ、でも私あなたみたいな人好きよ。」と言うと、手を出して「私は森彩芽、彩芽って呼んで。」と握手を求めてきた。

「ボクは田中、田中一輝です。」と差し出された手を握った。彼女の手はとても細く柔らかかったが凄く冷たかった。

「ごめんなさいね、私の手って冷たいの。冷え性なのよ。」

「そんなことないですよ。」と言った直後、急に汽笛がビョーっと一回鳴り二人でビクッと驚いた後、目を見合わせてクスクス笑った。

「そういえば彩芽さんって、室谷まで行くんですよね?」と聞くと、えっ!と言うような顔をした。

「なんで知ってるの?」

「実はボク彩芽さんと会うの初めてじゃ無いんです。」

「どう言うこと?」

「彩芽さんが、チケットを買う時後ろのベンチに居たんですよ。」

「あら、そうなの、盗み聞きなんて褒められたことじゃ無いわよ。」

「すいません、たまたま聴こえて。どこ行くか迷ってる時だったから、参考にしました。」

「じゃあ貴方も室谷に行くの?」

「はい。」

「そうなの、でも私本当はどこ行くか決めてないのよ。一番遠いところに行きたかっただけだから室谷行きの切符買ったの。」

「それじゃ、ボクと一緒ですね。」

「あら、それならちょうどいいし一緒に旅をしません?」

 断る理由なんて全くなかった。

「はい。」

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