第二章 森の病魔 その1

 テリオスがクリオ村に現れてから、早くも五日がすぎようとしていた。

 に世間の常識を知らないためか、子供達はもう不死者アンデツドがいる生活に慣れ始めている。

「先生、いくよ!」

「おっ、いですね」

 幼い少年がげたボールを、テリオスは胸で受け止めて、ひざや足先で数回浮かせてからとなりの少女にパスした。

「先生、すごい!」

「ボールを落とさずに蹴り続けて、その回数で勝負する競技をしていましたから」

 昔取ったきねづかとばかりに、テリオスは子供達に上手なボールの蹴り方を教える。

 そんな光景をながめて微笑ほほえんでから、ミラはいしがまに向かって呪文を唱えた。

「『着火フアイア』」

 彼女の指先から小さな炎が放たれて、釜のまきが赤々と燃え上がる。

「これでいいかな?」

「おう、ありがとな」

 振り返ったミラに、後ろで見守っていたトリオが礼を告げる。

「でも、毎回きつけを頼んで悪いな」

「いいよ、気にしないで」

 申し訳なさそうに頭をくトリオに、ミラは明るく笑い返す。

 この村では十五歳となって成人を迎えるまで、めつな事では火の焚きつけをさせてもらえない。

 何十年か前に別の村で、子供が遊びでけた火が燃え移り、むぎばたけが全焼して村がかいめつするという大惨事が起きたせいだ。

 トリオの父親はパン焼き人で、村人が食べるパンを全て焼く仕事をしていたため、あとぎである彼は流石さすがに火起こしの方法を身に付けている。

 とはいえ、木くずから火種を作ったりするのが手間なので、魔術で簡単に火を起こせるミラに頼んだというわけだ。

 もちろん、そこには好きな女の子と話す口実が欲しいという、年頃の少年らしい下心がある事を、ミラは知るよしもない。

「しかし、何度見ても魔術ってスゲーな」

「えへへっ、ありがとう」

 められたのがうれしくて、ミラは照れ笑いを浮かべる。

 その可愛かわいらしさに、トリオはほおを染めながらをこぼした。

「でも、何でミラしか使えないんだろうな。俺にも使えればなー」

「ご、ごめんなさい」

 別に責める口調ではなかったのだが、ズルいと言われたように感じて、ミラはつい頭を下げてしまう。

 そんな彼女の頭を、トリオは指で軽くいた。

「ミラは悪くねえよ。ただ、神様って不公平だなってさ」

「……そうだね」

 亡くなった人達のおもかげぎり、ミラの表情がくもる。

 彼女の母親も、トリオの両親も、大人や老人だけでなく、生まれたばかりの赤ん坊さえも死んだというのに、自分達はテリオスに運良く救われて今も生きている。

 小さな寒村で生まれた彼女が、えや寒さに苦しんでいる間も、街で生まれた王様や貴族は、暖かい屋敷の中で豪華な食事をしているという話を耳にした時から、この世が不公平な事は理解していたつもりだが、それでも理不尽な運命に対してうらみを覚えてしまう。

(だから、先生は平和な世界を築こうと思ったのかな?)

 自分達と同じように、何か大切なものを奪われたから、人が不幸な死を迎えずにすむ世界を目指したのだろうか。

 たずねてみたいが失礼だろうかと、ミラがテリオスの事を考え始めると、トリオは急に不機嫌そうな顔をして彼女の肩を叩いてきた。

「あのがいこつオヤジの事、あんまり信用するなよ」

「まだ疑ってるの?」

 しつこいなと、ミラはあきれて苦笑を浮かべる。

 命を救われ、すでに五日も共にすごしたとはいえ、恐ろしい骸骨の魔物を全面的に受け入れる方がおかしいのかもしれない。けれども──

「先生がいないと私達は生きていけないんだから、疑っても疲れるだけだよ」

「それは分かってるけど……」

 ミラの正論に対して、トリオは言い返せずに言葉をにごす。

 テリオスを受け入れる他にないという現実を理解していても、ただ流されるだけの無力な自分ががゆくて、つい反発してしまうのだろう。

 ちくの麦をくさらせてももつたいないし、パンくらいは自分達で用意しようと、彼が自らパン焼きの仕事を申し出たのも、無力感への対抗意識があったのかもしれない。

(その気持ち、少し分かるな)

 ミラは今の生活に不満はないが、テリオスに頼り切りなのは申し訳なく思っている。

 とはいえ、勉学も魔術も何もかも未熟な彼女では、独り立ちはおろか彼に恩返しをするのも夢のまた夢である。だから──

「今は頑張って勉強して、未来の事は大人になったら考えよう」

「お、おぅ」

 ミラが笑顔ではげますと、トリオはまた顔を赤くしてうなずいた。

 それから、急に真剣な表情を浮かべて、彼女の両肩をつかんでくる。

「ミラ、あのさ、大人になったら──」

「パンがげるわよ」

「うひゃっ!?」

 急に女性の声がひびいてきて、トリオが奇声を上げて飛び離れる。

 それと同時に、ミラの頭にやわらかな毛玉が乗っかってきた。

「黒猫さん?」

「私、黒い色は好きだけれど、パンや肉のお焦げは大嫌いなのよ」

 両手で摑み、目の前に持ってきたミラに対して、黒猫は肉球をめながらそう言い放つ。

「そうかな? 私はおかゆの焦げてパリパリした所とか好きだよ」

「あぁ、麦粥やお米のお焦げは悪くないわね」

「お米?」

「南の暑い地方でれるこくもつよ。麦よりモチモチしているわ」

「へー、いつか食べてみたいな」

「いや、ちょっと待て!」

 のんに食事の話を楽しんでいたミラの手から、トリオがけわしい顔で黒猫をかっさらう。

「お前、わざと邪魔してんだろ?」

「心外ね。童貞坊やがざんぱいしてトラウマを負ったらわいそうだから、をかけてやったというのに」

「ま、負けると決まったわけじゃねえだろ!」

「声が震えているわよ、童貞坊や」

 きよせいを張るトリオに対して、黒猫はニヤニヤと意地悪な笑みを向ける。

 そんな二人を見て、ミラも微笑みを浮かべた。

「仲良いね」

「でしょう?」

「良くねえよ!」

 得意げな顔を浮かべる黒猫を、トリオは乱暴に放り投げる。

 しかし、黒猫は空中を蹴るように不思議な軌道をえがいて、再びミラの頭上に着地した。

「ところで、魔術の練習をする時間じゃなかったかしら?」

「あっ、そうだった。じゃあトリオ君、パン楽しみにしてるね」

「おう、任せとけ。クソ猫の方は覚えてろよ!」

 手を振って離れて行くミラに、トリオは胸を張って応えてから、黒猫に向かって負け犬の遠吠えを響かせる。

 そんな声を背に、一人と一匹は村外れに向かって駆け出した。

「トリオ君が怒りんぼでごめんね」

「いいのよ。どこかのれた骸骨と違って、反応が素直でからかいがあるわ」

「だからって、ど、童貞呼ばわりは良くないと思うよ?」

「あら、その様子だと童貞の意味は知っているのね。いったいどこで習ったのかしら?」

「そ、それは、隣のセーピアお姉さんが夜中に変な声を出していたから、具合が悪いのって尋ねたら、色々と教えてくれて……」

 わいだんに花を咲かせたりしつつ、二人はいつも魔術の練習に使っている空き地に辿たどく。

 だがその瞬間、ミラは違和感を覚えて足を止めた。

「あれ? 何かいつもと違うような……」

 昨日とは空気が違うというか、さいな変化が感じられる。ただ、それが何かは分からない。

 まどい首をかしげるミラの頭上で、黒猫がみように楽しそうな声を上げた。

「はは~ん、これはこれは」

「黒猫さんは何が違うか分かったの?」

「えぇ。でも教えてあげない」

「む~っ」

 意地悪な笑みを浮かべる黒猫に、ミラはねて頰をふくらませてから、改めて周囲をうかがった。

「的に使っている切り株はあるし、周りの木も……あっ!?」

 空き地を囲む森に目を移して、ミラはようやく変化に気がつく。

 まるで何かが通ったように、しげる草が踏み倒されていたのだ。

いのししが出たのかな」

 ミラは周囲に生物の気配がないか警戒しつつ、目をこらして地面を探る。

 そして、運良く足跡を発見したのだが、再び首を傾げてしまった。

「何これ?」

 猪のひづめとは全く違う、むしろ人間によく似た五本指の足跡。

 ただ、指が奇妙に長くて、人間のそれともまた違った。

「まさか、これって……」

 この大陸にもさるやゴリラといった類人猿は存在するが、人間とはなる存在と言われた時、人々がさきに思い浮かべるモノは決まっていた。

「魔物っ!?」

「正解」

 恐怖の叫びを上げるミラに、黒猫がクスクスと笑いながら答える。

「せ、先生にしらせなきゃ!」

 何の魔物かは分からないが、とにかく助けを呼ぼうと、ミラは薄暗い森に背を向けて必死に駆け出すのだった。

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