茶会の裏でナイフは踊る

七海けい

真実は土の中

第1話:プリンセストルタ


 古代ギリシアの悲劇詩人アイスキュロス曰わく。

 ──戦争における最初の犠牲者は、真実である。



******



 ──白雲漂う青空に、小鳥がさえずる墓地。古戦場霊園。

 それは、人類と魔族が数多の血を流し、骸を晒した場所。

 終戦後、無数の犠牲者を、敵味方に関係なく弔った場所。

 十字架の白い森林と、墓石の黒い隊伍が向かい合う場所。


 そして。

 神を廃した人類と、魔王を封印した魔族が、共に、新たな一歩を踏み出すための場所。



***



「──ハガルちゃん! 今日はね、とっておきのケーキを用意したの!」

「──それは真か! さながら、エイレーネ殿は甘味の女神じゃのぅ!」


 幾多の十字架と墓石が見守る幽寂の霊園から、うら若い乙女たちの声が聞こえてくる。

 古戦場霊園の只中に、少女が四人。華麗な曲線美を凝らしたロココ趣味の椅子に腰を掛け、丸みを帯びた一本脚のティーテーブルを囲んでいる。


 十字架の林を背に、悠然と紅茶を嗜む金髪碧眼の少女は、エイレーネ・クロリス。人界の大国「フローラン帝国」の第3皇女である。母譲りという黄金色の長髪と、白銀色のティアラ。そして、水色のパフスリーブ・ドレスが目に映える。

 エイレーネの右手側には、彼女のボディーガード──銀髪の女神官セミラミスが座っている。白地に金線の神官服は、宮廷魔道士用の外套と同素材であり、傍らに立て掛けてある錫杖は、鈍器としての威力も高い。腰元の深いスレットは、色香を漂わせるためのものではなく、派手な格闘戦を考慮しての身なりである。


 墓石の隊列を背に、紅眼を光らせる黒髪少女の名は、ハガル・アーリマン。魔王直系の孫娘であり、魔界全体の宗主国──中央冥界の特命全権大使である。淫魔の長にして魔界の太后──リリスの血を引くだけあって、その容貌は恵まれている。純金製の腕輪と藍玉の腰帯、滑らかな真紅の外衣が、よく似合っている。

 ハガルの右手側には、彼女の用心棒──赤髪の獣人少女マフデトが座っている。白い翼。黒い双角。黄銅色の蠍尾。所々に獣性を帯びた彼女は、魔王軍の特務機関「リブラ」が有する最大戦力である。彼女は踊り子さながらの、やや露出度の高い身なりをしている。額には金細工の桂冠が、耳元には翡翠の雫石が光っている。


 エイレーネの男性使用人が、杯状のケーキスタンドを運んできた。その上には、ドーム型をした大きな緑色の菓子が載っている。外輪は、ピンクと白のクリームで縁取られている。ムラ一つない黄緑一色の菓子を前にして、ハガルは首を傾げる。


「……これは?」

「プリンセストルタという北国のお菓子です。外身と中身の、ギャップが面白いんですよ」


 エイレーネは指を組み、花びらが舞うような笑顔を見せる。

 男性使用人は、黄緑色のプリンセストルタに薄いナイフを入れた。鋭角の扇形に切り取られたその断面に、ハガルは目を奪われる。


「ジェノワーズの生地を薄く切って四段に重ね、それぞれの間に、イチゴジャム、カスタード、生クリームを挟んでいます。最後に、ケーキ全体を天然色素で色づけしたマジパンで覆って完成です」

「ぉお~」


 ハガルは涎を堪えながら、ケーキが目の前に供されるのを待つ。

 マフデトも、分けられたケーキを瞳で追いかける。

 そんな二人の無防備な顔を、エイレーネが愛でる。

 そんな主人の顔を、セミラミスはぽーっと眺める。


 ハガルは細身のフォークを持ち、扇形の端っこを切り取って口元に運ぶ。


「んん。……んまいのぅ!」

「ね、美味しいでしょう!」


 エイレーネとマフデト、セミラミスにも、同じ大きさに切り取られたプリンセストルタがサーブされる。


「……そこまでですか? ハガル様。……」


 マフデトは半信半疑のまま食具を取る。未知のお菓子を、一口ぶん、口に運ぶ。 その顔がぱっと晴れたのを見て、エイレーネは満足げに微笑する。


「どうやら、気に入っていただけたようですね」

「ボリュームと繊細さのバランスが満点じゃな」


 ハガルは、緩みかけた頬で舌鼓を打つ。

 全卵を使用した贅沢なスポンジ生地が、口の中で濃厚なクリームと混ざり合う。少し遅れてから、甘酸っぱいイチゴの香りが追いかけてくる。ケーキの表面を覆うマジパンが、しっとりとした食感と確かな甘みで全てを包み込む。見た目の奇抜さとは裏腹に、スイーツとしての造りは非常に手堅い。


「マジパンの皮を剥けば、そこには魅惑の地層が眠っている。確かにエイレーネ殿が言った通り、見た目からは想像できぬ逸品じゃ」

「酸いも甘いも、外身も中身も。全てを味わってこそ、スイーツを堪能することができる。茶会とは、まことに奥深き遊戯なのです」


 エイレーネは、マフデトの方を見た。マフデトは、空の皿をジッと見つめている。


「おかわり。もらいますか?」

「はぃ……。……──」


 その時。

 マフデトの耳飾りが、短い指向音を鳴らした。彼女の目付きが、ほんの一瞬だけ鋭くなる。


(──……如何した?)


 マフデトの脳に、ハガルから精神感応が送られてきた。ハガルは、素知らぬ顔で紅茶を啜っている。


(──「スー」からの急報です。自治都市スケールガルドにて、強盗事件が発生しました。目撃情報によれば、人間族の犯行である可能性もあるとのことです)

(──案ずることはない。内地には、御主の同期たちがいる。半日もすれば、丸く収まっているじゃろう)


 ハガルは、ソーサーにカップを置いた。


「……それではエイレーネ殿。いつもの通り、お茶請けがなくなるまで、話に華を咲かせるとしようかの」

「はい!」


「……」


 無邪気なエイレーネの隣で、セミラミスは静かな視線をマフデトに向けてくる。


 マフデトは、──何か? という風に、小首を傾げて見せる。

 セミラミスは、──いいえ、別に。という風に、視線を切る。


 幾千の遺骨が眠る墓場の上で、今日も「歓談」というの名の華が咲く。これは、ハガルなりの手向けの花であり、エイレーネなりの哀悼歌。戦争の犠牲者に対する、悔恨と反省の現れに他ならない。ゆえに、茶会の最中には如何なる粗相も持ち込んではならない。荒事は全て「茶会の裏」で始末されるのである。

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