血の価値

 早めに仕事が終わったので、帰りはアルノが本館まで送ってくれることになった。

 陽が傾き、来るときは少し薄暗かった木々の輪郭を眩しい夕日が溶かす。


「今日は助かった」


 素っ気ない語調でアルノが言う。

 アルノは素直にお礼が言える良い人ですよ。


「私も割と充実した時間を過ごせました。ここへ来てから手持ち無沙汰で……」


 まぁ、それもあるが、何より頭を休めるのに役に立った。

 長年、仕事をする時は不安を追い出して目の前の事だけに集中するのが習慣になっていた。

 今思えば、何も考えないで心を無にする時間であった。

 しかしここに来てから仕事をしない自由な時間が私を疲れさせていたようだ。

 色々な出来事での感情的な疲れを、書類作りは一時的に取り去ってくれた。

 働く事から解放されたいと思っていたのに、なんとも皮肉な事だ。


 私とアルノの長く伸びた影の先に長身の人影が歩いてくるのが見える。


「あ、ヒース」


 ヒースはとっくに私達が来ることが見えていたようで、小走りに近づいて来た。

 段々と見慣れてきたヒースの端正な顔に頬が緩む。


「やぁ、アル、書類は大丈夫なのか?」

「ああ、サリが手伝いをしてくれてな。早めに終わったので送ってきた」


 少し堅い雰囲気のアルノだが、ヒースには砕けた口調になる。


「そうか、サリはアルの仕事が手伝えるのか」


 ふふん、驚いた?褒めてもいいけど。


「まぁ、ちょっとした算盤仕事だけよ」

「いや、立派なものだった」


 うわぁ、実際に褒められると嬉しい。

 金額ばかり気にして評価なんて考えたこと無かったけれど、ちゃんと仕事が出来る人に認められるのって自尊心が満たされる。

 かっと血の巡りが良くなった。


「私、今まで誰かと一緒に仕事した事がなかったので、楽しかったです」


 ヒースは少し目を伏せて微笑む。


「アルノは一人で仕事をすることがほとんどだったから、驚いたよ。そうか、うん。よかったな、アル」


 ヒースは満足そうな深い深い微笑みをうかべた。


「まて、ヒース。そうじゃない」


 それに対してアルノは盛大に眉根を寄せて慌てた。

 ああ、そうだ。

 すっかり忘れていたけど、今日は仕事しに行ったんじゃ無くて、婚約者候補として顔合わせに行ったんだった。

 ヒースとしてはそっちが聞きたいはずだ。


「あのね、アルノは私と結婚して軟禁とか、する気がないんですって」


 少しくらいの意趣返しは許されるはずだ。虐められたし。


「それは蒸し返すな」


 いえ、蒸し返しますけど?


「軟禁?」


 ヒースはすごく怪訝な顔をしている。

 ヒースの為なら婦女軟禁も厭わないって言ってたんですよ、この人。


「ヒース、申し訳ないがトムズさんにこの件は別をあたるようにいってくれ」

「しかし……お前が誰かと協力して仕事するなんて、初めてじゃないか」


 ヒースは納得がいかない様子だ。


「初めてじゃないだろう、お前と私はよく一緒の仕事へ行くじゃないか」

「俺を勘定に入れるな。それに、お前の仕事と俺の仕事が同じ内容だった事があるかよ」

「分野が違うからな。並行作業でも一緒は一緒だろう」


 うん、二人は仲良し。


「仕事場に滅多に人を入れない奴が何を言う。こんなチャンスを……。お前が苦にならず一緒に働ける女性なんて、この先現れないからな! 今サリと結婚を決めないでどうするんだ! ルミレスの目に留まった後じゃどうにもならないぞ。だいたい、サリの何が気に入らないって言うんだ」


 うーん、最初はヒースと仲良いところが気に入らないって言ってた。

 それはさて置き、どうやらヒースは私とアルノが結婚すればいいと思っているようだ。


「サリには何の問題もない。特に人に言う事でもないのでお前にも話した事もなかったが、私は昔から誰とも結婚するつもりがない。それだけだ」


 そう言うと苦い笑いを浮かべる。


「わかるだろう」

「…………ああ」


 そして辛気臭く沈黙が落ちる。

 うーん、そうか、二人とも「わかる」のか。

 わかっちゃうのかぁ。

 同じではないにしろ「わかる」傷をもっているから、相手の幸せに対して思う所があるのだろう。

 片方の幸せに自分の幸せを投影するような幸せ。

 もちろんそんな愛だってあるけれど。

 この件は別に譲り合うようなものじゃないんだよなぁ。

 重くなった空気を払拭するようにアルノは軽く話しを再開させた。


「妻は必要ないが、私の仕事の手伝いが出来る助手を雇うという話なら是非協力してもらいたい」

「?!」


「忙しい時だけでもいい。サリを雇えないかトムズさんに聞いておいてくれないか。給金は私が出す」

「それは構わないが……」


 これは、小銭を稼ぐチャンス到来かしら。

 一文無しから脱却できるかもしれない。


「ただし、ルミレスの嫁にはするな。あいつが自分の物を仕事だからといって融通をきかすとは思えん」


 ルミレスもやっかいそうでいいわね。

 いい事を思いついた、とでも言うようにアルノは饒舌に続ける。


「ミスティも無いな。おそらく幼すぎてサリには合わん。あれの相手をするのは苦労するだろうから、もしミスティがサリを望めばサリが気の毒だ」


 なぬ、ミスティ、苦労しそうなのね。

 望むところだわ。


「ほらな、消去法でもお前が妥当だ。お前の妻なら仕事も頼みやすい。どうにかしろよ」


 おっと、黙って聞いていたら、私を押し付け合う話だった。


「待てよアル、だって俺は……」


 その先はもう聞きたくなかった。


 二人とも似たようなものだ。

 幸せになる資格が無いとか、結婚は無理とか、つまらない事を考えているんでしょうけど。

 ヒースが自分が愛されないのを当然だと言ってのけるのは、もう一度だって聞きたく無い。


「違うわ、ヒース」


 私はヒースの言葉を遮るようにして持論をぶちまけた。


「ヒースは善良すぎるからだし、アルノは仕事も出来て身内思いだからこちらから辞退するのよ。竜の血がどうのこうの言うのはもうやめて。竜の血はこの結婚には加点にはなっても減点対象には成り得ないわ。紛れもなくあなた達は結婚するなら好条件の人達で、私の夫になるには利が勝ちすぎるのよ。お釣りが来ちゃう」


 一気に喋り切ったので実は息が切れてるけど、なんとか平静を装う。

 黙って聞いていれば不幸自慢が始まる所だった。


「サリ、君は知らないんだ、俺がどれほど……」


 まだ言うなら、また遮ってやるわ。


「私がバロッキーの一員として居座るために契約書に反しないギリギリのラインは、一族で一番ダメそうな人に嫁ぐことだと思っているの。いくらトムズさんが釣り合いが取れなくても構わないって言っても、私は商人として誓約書の重みをよく分かってる。黙って好条件を受け入れたら、商人として大切な物が吹き飛んでしまうわ。あったかどうかわからないけど、祖父の良心とかもね」

「だ……」


 口を開けた途端に言いかぶせてやる!


「だからヒースがいくらダメぶっても駄目よ。あなた自身に国を動かすほどの価値があるのに、安売りしては駄目だと思うの」

「ヒース、もう黙れ」


 アルノは口を押さえて肩を震わせて笑っている。

 アルノだって他人事じゃないのに。


「いい?あなた達は妥協で私を選んだりしないで、自由に選んだ素敵なお嫁さんと幸せに暮らした方がいいわ。この国が貴方達を拒絶するなら私が責任を持ってシュロから相応しい花嫁を探してきてあげる。すぐに集まると思うし、アルノにだって結婚したくなるくらいの美姫を見繕うわ。もちろん合意の上での取引よ。私、どちらかが損するような取引は嫌なの。ちゃんと両得にする」


 それから華麗にこの世から退散するけどね。


「う……とりあえずサリの言い分はわかった。だが、どこかから花嫁を探してくる話は遠慮させてくれ」

「私も今は必要ない」


 二人とも顔を変な色にしているが、やっと私の聞きたくない話はやめてくれたようでほっとする。


「どこで情報を堰き止めているのか分からないけれど、この国の外にはあなた達みたいな綺麗な顔が好みの婦女子も、バロッキーと繋がりを持ちたがる商家も引く手数多よ。見合いツアーの仕事を立ち上げようかしら。儲かるわ」


 本気で段取りを考え始めた私に向けて、苦虫を噛んだような顔をされた。

 半分くらい本気ですけど。


「サリ、落ち着け。わかった竜の血の事でこの件に何か意見するのはやめるから、変な事業を起こさないでくれ」

「そう?じゃあ、その手袋を外してこちらに渡してくれる?」


 ヒースの左手に残った白い手袋を指差す。


「いや、これは……。これを見て騒ぎが起きたら面倒だから」


 しどろもどろになって言うが、私は許さない。


「どこで? ここでは必要ないじゃない」

「だが、なぁ、アル……?」

 

 すがるように視線でアルノに助けを求めるが「確かに必要ないな」と素気無く頷かれる。


「必要ないところでは手袋はいらないでしょ」


 近づいてヒースのしなやかな手首を捕まえると、ヒースは固く動きを止める。

 それをいいことに手袋を抜き取ってしまう。


「ほら。みて」


 その手を目の高さまで引き上げる。


「太陽の下でこそこの爪は輝くのではなくって?」


 黒いばかりだと思っていた爪は日に透けると血よりも紅い美しい赤が沈んでいたのが分かる。

 夕日を浴びて赤く染まるヒースの頬よりもさらに赤い赤。


「これなら書類も花瓶も落とさないでしょ」


 ここの皆がヒースの事が好きなのがなんとなくよく分かる。

 なんとなく肩入れしたくなってしまうのだ。

 どうにかしてあげたくなるような……構いたいような……。


「あ、私に見られるの嫌だった?……それとも、ヒースの事を騙した女のことがまだひっかかる?」

「は?!いや、そんなことは……誰が……アルノか?アル、お前しゃべったのか?」


 バタバタと答えに窮して、キッとアルノの方を睨む。


「最初はアレと同類が来たのかとおもってな。少々きつく当たって怒らせた」


 アルノは肩をすくめて見せる。


「余計な事を……」

「ごめんなさい。聞かれたくない事だったのでしょう」

「いや、そうじゃない。アルノが嫌な当たり方をしたんじゃないかって」

「あー、そうねぇ。まぁ、ヒースに近づくな、くらいの事は言われたかしらねぇ?」


 わかりやすく赤面するヒース。

 誤解、誤解だから。


「アル! サリになんて事を!」

「いや、それに関してはちゃんと謝った。全て私の早とちりだ」

「ほら、見て、私たちちゃんと普通に仲良しですから」


 手袋を取り去ったヒースの手をとり、商人の握手をする。

 少し冷えた指先を触ると硬質の爪に当る。


「爪、感触が違うのね。部屋の中では真っ黒にみえたけど、今は赤鉄鉱と柘榴石のいい所どりみたい」


 宝石を鑑定するみたいに角度を変え目を眇めて観察する。


「……綺麗ね」


 視線をあげると困りきった顔のヒースと目が合った。

 さすがにこの距離は気まずい。


「……と、いうように、シュロでは貴方達は何の嫌悪感も持たれないということよ」


 誤魔化して手を離す。

 しまった、ヒースは人に触られ慣れていないのに。


「本当に、杞憂だったようだな」


 アルノは本館に向けて歩き出す。

 今日のスープはなんだろう?

 アルノの後を追いかけて私も食堂へ向かった。

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