ドジっ子か・・・
私が持ち込んだ荷物は少ない。
数日分の服と、下着、母の形見。
その他に持ち出す物もなかったし、未練も無かった。
私のこぢんまりとした旅行
唯一の所有物を奪われ、いや、親切に運んでくれているのだが……所在無いやら申し訳ないやらで話も弾まない。
さっきのは、
ヒースに傷ついたような顔をさせてしまった。
「当座はこの客間を使ってください。必要なものがありましたら、遠慮なく申し出てくださって結構ですから」
(こちらを見ないのはさすがに大人気ないですよ)
そう思っても、こちらが加害者になったようなものだ。
「はい、お世話になります」
「……」
気まずい沈黙が流れ、耐えられずに口火を切る。
「――あの、ヒースさん、先程は大変失礼を致しました。あなたのことが気に入らないとかじゃないんです……ただ、本当に申し訳なくて」
まぁ、嫌われておいてもいいのだけれど、嫁ぎ先が決まる前に敵が多くなるのも
叔母たちの所在を突き止める必要もあるし、全てを敵にしておくのは避けたい。
――というのは建前で、この人を傷つけたままでいるのは良心が咎める。
「敬称は不要だ、ヒースでいい。その件については気にしないで欲しい……当然のことだ」
やっぱり、割と傷ついた顔していらっしゃいますね。
「いえ、本当に、なんて言ったらいいか。せっかく高額の借金と引換えて頂いたのですから、もっと私をこの家に都合の良い使い方をして頂いた方が良いのです」
私の相手には、金を払って爆弾処理させたいくらいの人を寄越してほしいだけなのに。
「それなのに、あなたのような、将来有望な方と添わせていただくなんて。勿体なくて気が引けて、気が引けて――。ヒースさんなら私のような者でなくとも引く手
この人の良さそうな青年は、驚いた顔でこちらを見ると、くっきりとした眉根を寄せる。
「本気で言っているのか? バロッキーで、その上この目だぞ?」
俺に嫁ぐ女がこの国にいるものか、と自嘲気味につぶやく。
(……そんなの知らないけど)
「君はこの家について何も知らないのか?」
「何も。国境を越えたのも初めてですし。誓約書を見つけたのもつい最近ですから。借金が丸ごと無くなるというのに飛びついただけです」
そういうと、ヒースは困惑したような顔をした。
「――売られて来たのか。気の毒な事だ」
その言い方は癇に障る。
「自分で決めたことです。私にとってここに来る事が最善の選択です。契約書が有効で本当に有難いことです」
もう、気が狂うほど働かなくていいし。
妹達に借金苦を味わわせずに済むし。
人生に幕を下ろすのも私の自由だ。
自由という語感に、場にそぐわない笑みが
誤魔化しついでに、「この目だぞ」の続きを訊いてあげよう。
「その目の色、この国でも珍しいものなんですね」
「バロッキーの……竜の直系にしか現れない形質だ」
「先ほどの皆さんも同じ目だったので、この国では珍しくない目なのかと思っていました」
外見が違うということに気が付いて排除することが自衛だったのは、人も獣だった遥か昔。
文明のある我々にはその違いをねじ伏せる理性や知恵がある。
そうであるべきだと思う。
ただ、自分の知恵や理性だけではどうしようもないところはある。
外見での差別で頼るべきは、それを見る他者の善意や知恵なのだから。
(だって、もう、見た目ばかりは、どうしようもないし)
「この血のせいで、バロッキーには嫁があまり来ない。俺のように形質が濃く現れれば、親にも捨てられる」
後半は自嘲するように、投げやりに言いながら私の鞄を机の上に置く。
机の上には急に飾ったのではない花が花瓶に生けられていた。
見たことのない種類の花と見事な絵付きの花瓶は、ここ外国だと実感させる。
すると、置いた鞄が瓶を掠めたのか、ぐらりと揺れて花瓶が落ちた。
ヒースは花瓶を受け止めようと手を伸ばしたが手袋で滑って、やっぱり花瓶を取り落とした。
なんてことだ。
美しい細工の施された高そうな花瓶だったのに――花瓶は無残に床で砕け散った。
(ドジっ子か……?)
そういえば、さっきも書類をばさばさ落としてたっけ。
手袋をとればいいのに。
気の毒な事に、砕けた破片を手で受け止めてしまったのだろう、ヒースの白い手袋の指の付け根から血が染み出している。
量が多いから動脈を切ったのかもしれない。
今しがたヒースから取り戻した鞄を開けると、ハンカチを取り出し、破片が残っていないのを確認して手袋を
傷は小さいが、血管を傷つけたようだ。
傷の上からハンカチで圧迫する。手首の脈もぎゅっと押さえると血が止まりやすくなるんだ。
亡くなった母がかかった病は、傷が治りにくくなる病気だった。
小さな切り傷でも止血に時間がかかるので、よくこうやって傷を押さえていたっけ。
ヒースは体を強ばらせて、されるままにしている。
手を心臓より高いところに置いた方がいいと告げ、ヒースを椅子に座らせて私は立ち上がる。
「……っ、て……手……血が……」
慌てたように手を引きぬこうとするのを止めて、脈をしっかりと押さえ直す。
「あ、ごめんなさい、じっとしてて。今動くと血が止まらないから。心臓より高い所にあげる方がはやく止まるの。嫌かもしれないけど、もう少し圧迫してるわね」
ヒースの手を両手で掴んでいるので、必然的に距離が近い。
見下ろした
(うーん、ヒースの脈が速くて、なかなか血が止まらないな)
……無理もない、彼にとってはとんだ災難だ。
いきなり結婚相手をに名指しされたり、初対面で即座に断られたり。
その相手の前でのドジっ子披露とか、泣けるわ。
羞恥に
「大丈夫ですか? 気持ち悪くない?」
「すまない……」
耳まで赤くして俯いているのは見ない振りをしてやろう。
しばらくして、ヒースの脈も落ち着いてきたようで、出血も穏やかになってきた。
「もう出血は落ち着いて来たようなので、きちんと消毒をしましょう」
「大丈夫だ、後は自分で出来る」
「一人じゃ指に包帯巻けませんよ。それに、完全に血が止まってるわけじゃないから、動いたらまたやり直しですけど? 私では迷惑でしたら誰か呼んで頼みましょうか?」
「……」
「包帯と消毒のあるところまでついて行きますから、案内してください。傷のところはまだ圧迫してないと」
ヒースは観念したようにそろそろと立ち上がった。
「――案内する」
血で重くなったハンカチごと傷を動かさないように圧迫したまま、ヒースと一緒に別室に移動する。
広間を通ると人影が飛び出してきた。さっきの出迎えられた時に見た顔だ。
絵本に出てくるような王子様のような見た目だが雰囲気がどうにも軽い。
「ヒース、どうしたんだ? わあ、血だらけじゃないか」
「客間の花瓶を落とした。ルミレス、薬箱を持ってきてくれないか?」
ヒースが複雑そうな唸り声で言うと、飛び上がるように青年は姿勢を正した。
「今、持ってくる。待ってろ」
ヒースの苦悩した顔に対してルミレスと呼ばれた青年のなんと生き生きとしたことか。
片目をバチリと瞑って、小走りで部屋から飛び出して行った。
「ハウザー! ハウザーってば、ちょっと、はやく来てみろよ! ヒースがって言うか、ヒースをっ!」
興奮したように、誰かを呼ぶ。
「なんの騒ぎだ? ルミレス、声が大きいぞ、客人が来ているというのに……?!」
足早にやってきたハウザーと呼ばれた青年は目を疑うように一度視線を外して、こちらを二度見した。
やって来た線の細く手足が長い青年は、少し年上に見える。
「ヒースぅ?!」
ヒースの血だらけの手を見て驚いた顔をしている。
すごい出血だけど、皆成人男子の怪我に驚き過ぎじゃないだろうか。
確かに出血は多いけど、小さな浅い傷なのに。
ヒースが額を押さえる。頭痛だろうか。
「ヒースさん、貧血を起こしているかもしれないから、頭を低くして」
肩を押してソファに横になるように促すと、あわあわと首をふる。
「大丈夫だから、包帯をまいてくれ」
これ以上醜態を晒したくないのか、羞恥で顔色がおかしい。
なんだか申し訳ない。プルプルと震えている。
「ごめんなさい。すぐに巻くから」
血を拭き清めると骨張った長い指が現れた。
爪が鉄を磨いたような不思議な色をしている。
……目の色に合っていて綺麗ね。
ヒースはより一層体を強ばらせて目を
「はいはい、痛くない、痛くない」
宥めながら包帯を巻く。
手当てを終えようとした頃、また別の足音が広間に近づいてきた。
「お客様なんですって? もう部屋にお通ししたの? お疲れだろうから今日はゆっくりと……あら、まぁ?! ヒース?!」
小柄で、赤い髪のふっくらとした婦人が、部屋に入ってきたとたん目を見開いた。
「イヴ、おかえり。ヒースってば、花瓶割っちゃったんだって。それで、女の子に手当してもらってる所~!」
ルミレスと呼ばれた青年が楽しげに説明する。
この人、ヒースの心配をしてたはずでは?
「まぁ! まぁ、まぁ、まぁ!」
まったく、ここの人たちはヒースに対して、どれだけ過保護なんだろうか。
「血管が傷ついて血が多く出ましたが、それほど深い傷ではなかったようです。今日このまま無理をしなければ大丈夫なはずです」
薬箱を片付けながら、そう言うと、私とヒースの顔を交互に見て婦人は顔を
「それは大変お世話になりました。うちのヒースはちょっと……抜けている所がありまして。
あなたが手当してくれて本当によかったわ」
その口調だと、ちょっと、じゃないのね。
「いえ、大したことはしておりませんよ。皆さんがご心配なさるような傷ではありませんでしたし」
皆さんの、初めて怪我をしたみたいな反応にはちょっと
「紹介が遅れて申し訳ございません。私は、シュロの商家から参りましたサリと申します。暫くお世話になります」
女性は多分に母性を感じらせる柔和な笑みをうかべて私を歓迎してくれる。
「暫くと言わず、末永く宜しくね。私はイヴ。血は繋がっていないけれど、この子達の母親のようなものよ」
イヴがにこやかに手を差し出す。握られた手は、とても温かかった。
こうして、私の異国での生活が始まった。
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