第14話:世界一の実力者
それから、帰宅したアロイスとヘンドラーだったが、時刻は既に十四時を回っていた。
「すみません、午前中いっぱいで終わるとは言っておいて時間が掛かってしまいました」
食卓に腰掛けるナナと祖母にアロイスは謝罪する。
するとナナ、続いて祖母は言った。
「いえっ、ぜんぜん気にしないで下さい」
「そうさね。別に何でもないさね。だけど……ふふっ、アタシはすっかりお腹がすいたさねぇ」
わざとらしく言って笑う祖母。だが、それが祖母の心遣いであり、気に病むことなくアロイスも笑って、勘弁して下さいよと、笑うことが出来た。
「うんにゃ、それじゃ下ごしらえは終わってるからすぐ出来るさね。準備するから待ってておくれ」
そう言った祖母は食卓から立ち上がろうとする。
が、アロイスは「待って下さい」とそれを止めた。
「あ、待って下さい。その前に酒蔵の話だけしちゃいましょう」
「……ん、そうかい」
祖母は席に座り直し、アロイスとヘンドラ―も対面に腰を下ろす。
そしてヘンドラ―はまず、テーブルに両手を乗せ、体を前のめりにし、軽く頭を下げて言った。
「ほんま時間かけてスンマセン。せやけど、充分な成果は持って参りました」
今回の依頼は、ほぼ個人的な私用のような業務であったが、どんな内容でも商談は商談であると考えているヘンドラーは消費者間との取引である『BtoC』を意識して話す。
「ワイが調べた結果について色々と事細かに説明するのも良いんですが、専門的な話になりますし、分かり易く酒が売れた際における、支出計算後の純益についてだけ触れさせてもらいます」
ヘンドラ―は懐から魔石プレートを取り出して机に置き、プレート盤面を見せながら、ナナと祖母側が分かりやすいようにプレゼンした。
「単純に言いますね。あの酒、ワイに任せてもらえれば純益2,000万ゴールドは叩き出せます」
その金額を聞いた瞬間、二人は驚くを通り越し、唖然として口をあんぐり開いた。
「にせん、まん……」
ナナがボケっとして呟く。
「本来なら、アロイスが考えていた通り数百万程度でしか売れませんでしょう。けど、ワイは商人ですから、商人として捌かせて貰いますから、そのくらいは儲けは出せますよ」
ヘンドラ―は自信満々に言った。
「どうでしょ。2,000万で捌きますか」
「……ちょ、ちょっと待って下さい」
一度は売ると決意したとはいえ、普段聞きなれない金額が出てきた事にナナの思考は停止した。祖母も珍しく引きつった顔を見せ、ヘンドラ―に尋ねた。
「本当に2,000万なんかで売れるのかい」
「間違いなく売れると思ってもろて結構です」
「そ、そうなのかい。突拍子ない金額、途方もないね。2,000万かい……」
普通に生活している彼女たちが馴染みのない金額を前にして、緊張に唇を乾かした。
「あれだけ保存状態が良い貴重な酒は確実に売れますね。ワイに酒を預ける信用が無いんやったら、アロイスの知り合いの手前、サービスさせて頂いて2,000万を先払いしてから酒を販売用の倉庫に運ばせてもらうんで、その辺は安心して下さい」
ヘンドラ―は営業スマイル満面で言う。まぁ、この男に任せておけば間違いない。
アロイスは(これで彼女たちに少しはお礼が出来ただろう)と、安心した。……が、ヘンドラーは何を思ったのか、その安心を切り裂くように、とんでもない事を口にする。
「しかしですな、そのまま売っても良いのですか、ナナちゃんとお婆さん二人にご相談があります」
接続詞で繋げたヘンドラ―は営業スマイルを崩し、少し不敵な笑みを見せて言った。
「正直なところ、ワイはこれだけの酒、普通に捌くには勿体ないと思っております」
ん……。 どうした。そんな話は聞いていないぞ。慌ててアロイスは、
「何を言ってるんだお前」と、声をかける。
「なはは、アロイス。俺はあの酒を元手にもっと儲けを増やせる算段を考えついたんや」
「おい、変な賭けとかに出るワケじゃないだろうな。売れるなら売れる値段だけでいいぞ」
「なーに、確実な儲け話や」
舌なめずりをするヘンドラー。
「なはは……実はな。酒蔵で酒を捌いた時の純益計算は1時間で終わってたんや。だけど、計算しながら面白いこと思いついてな。そっちを夢中になって構想を練ってたんや」
アロイスは彼の台詞にぎくりとした。
何を隠そう、この男が『面白いこと』といって面白かった例がないからだ。
この男は、何を言うつもりだ。
アロイスは「いや、変な話はいらないぞ」と断りを入れるも、ヘンドラ―は魔石プレートを手元に引き寄せ、保存してたデータのうち、地下で見せられた計算式とは違う別の利益率などが書かれた数値と文言をアロイスらに見せる。そこには、内容が良く分からない専門的な用語が羅列していた。
「なんじゃこりゃ。何て書いてあるんだよ」
アロイスが眉をひそめて尋ねる。
「商人用語やな。何書いてあるか分からんやろ」
「全く。どういう意味だ。面白いことってこの意味の分からん文字の羅列か?」
「……いやいや。これはワイが金儲けの為に出した算段やで。つまり、この盤面の意味は……」
ヘンドラーは咳払いして言った。
「アロイス、お前『酒場』をやれや」
……と。
「……はっ?」
急に、とんでもない事を言い出したヘンドラ―にアロイスは目を丸くした。
「簡単やろ。お前は料理も作れるし酒の知識もある。世界を駆け巡って来た冒険者として話術だって長けてる。部隊長として、誰かを惹き寄せる魅力だってあって……むぐむぐ」
ぺらぺらと得意げにしゃべるヘンドラ―だが、アロイスは慌ててその口を閉じさせた。
「お前、ちょっと待て。色々と待て」
だがヘンドラ―は、アロイスの抑止を弾き、また喋り始める。
「なはは、ええやろ別に。なあ婆さん、ナナちゃんも、アロイスって男がこの町に酒場開いたら面白いと思わへん?」
その言葉にナナは、
「楽しそうだとは思いますけど」と反応した。
「せやろ。そう思うやろ。だってさ、アロイスー……」
笑いながらアロイスの方を向くヘンドラ―だが、その顔面にアロイスの優しい右手チョップがゴツッ!と音を立てた。
「あいだっ!?」
「ンな話があるか。酒場はやらん。酒は普通に売って、それでお終いだ」
「せ、せやかてお前も面白い思わへんか。田舎町で酒場経営、のんびりとした日常とか魅力的やろ」
「あん。お前、そんな日常なんか……」
自分が田舎町で酒場経営。その姿を想像したアロイスは、ちょっとばかり面白そうだなと考えてしまった。
「……面白い、だろうけど」
「ほーらやっぱりな、魅力感じてるやん」
ヘンドラーはアロイスの胸板に軽く裏拳をぶつけ、言った。
「婆さんやナナに頭を下げて、あの酒を用いて酒場を経営する許可を貰おうや」
酒場経営を持ちかけるヘンドラー。しかしアロイスは首を横に振る。
「いや、酒は普通に売って二人に金を渡すだけで充分だ。酒場なんかする気はない」
今度は逆に、アロイスが人差し指でヘンドラ―の額を突いて言った。
「何でや。別に悪い話じゃないやろ」
「いきなりの話で乗れる訳が無いだろ。そもそも2,000万という金はしっかり二人に残したいんだ」
ヘンドラーはそれを聞いて「なるほど」と、少し考え込む。
「だから、酒場なんかやる気はない。お前の儲け話に俺やナナたちを巻き込むな、分かったな」
人差し指で念を押すが、ヘンドラーは手をポンと鳴らして閃いたように言った。
「なら、お前が酒を買ってどっかで酒場やろうや。2,000万くらい銀行いったらポンと出せるやろ」
この男は本当に何を言ってるのか。
「そりゃ買えるかもしれんけどな、そうじゃなくて……」
アロイスはヘンドラーの説得に応じることは無いと返事を交わす。が、その返しが不味かった。その台詞の中で、あまり言いたくなかった事実のピースを漏らしてしまっていたのだ。
「……凄い!アロイスさん、2,000万を簡単に出せるんですか?」
「えっ」
そのピースとは、アロイスが金を持った人間であるということ。実力者であったということだ。
「アロイスさん、もしかしなくても凄い方だと思ってましたけど、やっぱり凄い人だったんですか!」
「ん、あ…いや……」
たじろぐアロイス。本当は、そのことについて話す気も無かったため、良い切り返しが出てこなかった。
また、更にヘンドラーは余計なことまで言ってしまう。
「なんや教えて貰ってないの。こいつ世界一の冒険団クロイツの総部隊長やで」
「えぇっ!?せ、世界一の冒険団の部隊長ですかっ!?」
ナナは立ち上がって身を乗り出す。祖母は比較的反応は静かだったが、それでも目を見開いていた辺り驚いていたようだ。
(ヘ、ヘンドラーめ……! )
な、何てことをバラしてくれたもんだ。
こんなこと、話すつもりはなかったというのに。
「アロイスさん、今の話って本当なんですか!? 」
それを知ったナナは、当然アロイスに尋ねる。
「ま、まぁ本当ではあるんだが……」
アロイスは言い辛そうに答えた。
「そんな大事なこと、お話して頂いても良かったのに……」
「す、すまん。言うようなタイミングが無かったっていうのもあるんだけども」
アロイスは、鼻の頭を人差し指で掻きつつ言う。
「そもそも、自慢することじゃなかっただろうしなぁ」
今の自分は、あくまでも元冒険者。昔の肩書に意味なんかないと考えていた。
「全然凄いことだと思いますよ。自慢して頂いても、凄く感心してたと思います!」
しかしナナは、アロイスの真実に褒めの言葉を連呼する。対しアロイスは苦笑いして言った。
「ハハ……有難う。だけどね、確かに過去っていうのは大事だけど、俺は今を生きることや、未来に向かって進むほうが大事だと思ってるんだ。過去の栄光に縋ったって何も意味はないんじゃないかな。今の俺は、元冒険者アロイス・ミュール。それだけだと考えているから、昔の偉かった事なんて話すこともなかったんだ」
過去より今。今より未来。時々振り返ることはあっても、過去の栄光を振りかざしたりはしない。そもそも、少しばかりの力を見せびらかすのは好きじゃない。
「アロイスさん……」
すると、アロイスの言葉を聞いてナナは一瞬思い耽けた。
「過去より未来、ですか」
この上なく共感できる言葉だった。彼女もまた、忘れてはいけない過去を持ちながら、未来に歩みを進める一人であるから。
……と、その脇でヘンドラ―は自分たちの話を聞きながら、また明るい感じで話に割り込んだ。
「いやはや、ええ話や。でもナナちゃん、このアロイスって凄いで奴やろ。だからさぁ……」
この男は、まだ何か言うつもりか。余計な事を言われては敵わないと、アロイスは大きく手のひらを拡げ、ヘンドラ―の額を強めに掴んだ。
「お前はもう、変なこと言うんじゃない。ちょっと本気で黙っておけ! 」
「あだだァっ!? な、何でやぁっ! 」
「何でやも何もない。いいから変なことは言うな! 」
強い握力でギチギチと額の骨を締め付け、これ以上変な真似はするなと忠告する。
ヘンドラ―は痛みに悶ながら「分かった分かった!」と連呼した。
「いや。お前は分かってない。絶対に余計な話するつもりだろ」
「あだだだぁーっ!わ、分かった! すまんかった、もう何も言わへんから離してや! 」
「だったら、最初から調子の良いことばっか言うんじゃないっての」
アロイスがため息を吐いてその手を離すと、ヘンドラ―は激痛に頭を抑えながら床をゴロゴロ転がった。
(やれやれ……)
この
……なんて、思ったりしていた時。
黙っていた祖母がゆっくりと腰を上げて、のそのそとアロイスに近づき、左肩をポンっと叩いて話しかけた。
「なぁアロイスさん」
「あ、はい……」
アロイスが返事をすると、祖母は此方を見つめ、相変わらず深い皺の笑みを浮かべて言った。
「正直驚いたけど、能ある鷹は爪を隠すってやつかね」
「え? い、いや……」
「謙遜することはないさ。私らは話を聞いて凄いと思った。それはもう変えようのない事実だよ」
「は、はい……」
祖母は微笑ながら喋り続ける。
そして祖母が「だけど」と、続けて言った言葉に、アロイスは心を打たれることになる。
「……だけど、アンタは立派な冒険者であったのに自慢をしないで、気持ちの良い性格で私らを楽しませてくれた。アンタが過去に縛られないっていうのなら、"私ら"はアンタを出会った時と一緒で只の元冒険者、空から落ちてきた流浪人さんとして見たいんだけど、いいかい」
祖母の台詞は優しく、心が温かくなる言葉だった。
「いいかい」とは訊かれたが、勿論そんな事は言われるまでもなく。変に持ち上げられるより、以前と同じように扱ってくれたほうが嬉しいに決まってる。
「……俺は空から落ちてきた、二人に世話を焼かせる流浪人です。また、畑仕事や家事などをお手伝いさせて頂けますか」
アロイスが言うと、祖母は「そうさねぇ」と、考えて答えた。
「今日の夕方からまた、道具の手入れをお願いしていいかい」
「お婆さん……! 」
祖母の優しさに溢れ続ける言葉。たまらなく嬉しさがこみ上げる。
「ナナも夕方に一緒に畑に出な。手入れの仕方、アロイスさんにやり方を教えてあげるさね」
祖母が言うと、ナナは「うん!」と元気よく返事した。
「アロイスさん、私が教えますね。任せて下さい! 」
「ナナ……。ああ、是非お願いするよ。下手な所とか合ったらビシバシ扱いてくれるかな」
「ふふ、任せて下さい。厳しく行きますからね♪ 」
ガッツポーズを見せたナナに、アロイスに思わず笑みが零れる。また、それを見たナナと祖母も笑い、三人は声を出して笑い合った。
(こ、この二人は……)
アロイスは彼女らの態度に、何て気兼ねなく喋ってくれるんだと嬉しくなった。
……こんなに温かい気持ちになれるなんて。
二人に出会えて良かったと、そう思えた。
(
このまま黙り続けるより、自分がどういう存在か知って貰えてスッキリした気がする。
(結果オーライって事にはしといてやるか。ま、それでも俺のタイミングで話が出来たほうが良かったんだけども……? )
たまたま結果がついてきただけで、余計な事をしたには違いない。アロイスがその犯人を見下ろしていると、彼は三人が笑い合って一段落したタイミングで、ようやく立ち上がった。
「あー、イタタ。アロイスはホンマ乱暴やな……」
「お前が余計なことばかり言うからだ」
立ち上がってヘンドラーを、アロイスはギロリと目を光らせて睨んだ。
「ひっ、その目ぇ止めろや」
「じゃあもう余計なことは言うんじゃないぞ」
「分かった分かった。それは分かったて。だ、け、ど、な……」
ヘンドラ―はゴホンッ、咳払いして言った。
「酒場の話は受けて貰うで、アロイスッ!」
腰に手を携え、人差し指でアロイスを差し、ポーズを取って言う。
アロイスは呆れ返り、首をガクリと項垂らせた。
「……まだ言うか、お前」
この男は、本気で商魂逞しいと思った。どんな状況でも、自分の信念を折り曲げる気がないというか、負ける気がないというか。
しかし、そんな熱い思いを伝えられても、酒場をやるという話は受ける気にはならない。
「さっきも言ったが、俺は酒場なんてしないからな」
アロイスは再三に渡って拒否を続ける。が、ヘンドラ―は決して退かない。
「嫌や。こんな儲けの話、みすみす逃すわけないやろ。なぁ二人とも、アロイスに酒を売って、この町で酒場をやらせるって話、乗ってくれません?」
ヘンドラ―は的を変え、白い歯を見せた満面の営業スマイルで、ナナと祖母に言った。
「うーん……」
「そうは言われてもねぇ……」
だが、二人は首を傾げる。
アロイスは「ほらみろ」と突っ込むが、ヘンドラ―はそれを無視してナナに話しかけた。
「ナナちゃん、さっきアロイスが酒場やったら面白そう言うてたやろ」
「それは言いましたけど……」
「なら、一緒に推薦しようや。なっ」
「う、うーん……」
ナナは唸り、少し間を置いて言った。
「確かにアロイスさんが酒場をやるって話は、聞いただけで面白そうだなっては思います」
「おっ、やっぱりやないか!」
ヘンドラ―は喜び、手をパンッ!と鳴らしてナナを指差す。
ところがナナは「でも……」と、間接した。
「アロイスさんが嫌だというなら私はアロイスさんの意見を尊重したいです」
「……へっ」
「やっぱり大事なのは本人の気持ちだと思いますから」
「そ、そんなこと言うて……」
至極真っ当な意見だった。
アロイスは「そうだな」と頷くが、ナナの話はそれで終わらなかった。
「でも、アロイスさん」
「……うん?」
今度はナナは、アロイスを見つめて言った。
「正直に言えば私はアロイスさんが見つけてくれたお酒だから、アロイスさんが買ってくれるなら嬉しいとは思ってます。それでアロイスさんが本当に酒場を開くなら、きっと楽しい酒場になって皆も幸せになれると思いますし……」
ナナは、両手を胸の前で握り、まるで祈るように言った。
その様子と言葉に、アロイスの心は僅かに脈打つ。
すると、ヘンドラ―はその反応を見た途端、これ見よがしに「はいはい!」と両手を何度も叩いて元気良く喋り始めた。
「なるほどなるほど。要約すると、酒を見つけたアロイスが酒場を経営して誰かを幸せにして欲しいと、そういう意味やねナナちゃん!」
ナナは「えっ、そこまでは」と否定しようとするが、ヘンドラ―はクルクルと床をスケートのように滑り回って、アロイスに肩に腕を乗せて密着して、言った。
「聞きましたか、アロイスさん!」
「……聞こえてるよ」
「そんな彼女の願いは、酒場を開いて欲しいですよ。どうです、聞いてあげるつもりはありませんか」
「お、お前なぁ」
そんな推しを強く言われても、「はいやります」なんて言えるわけない。
「そんな簡単に決められる話じゃないだろうが。そもそも俺が経営に乗り出したとしても、素人に上手く行くはずがない。経営に必要な知識はないんだぞ」
そう言い、アロイスは近づいたヘンドラ―を両手で押して突き放す。しかしヘンドラーは親指で我が身を指して自身の塊のようにして豪語した。
「ワイがいますね。経営指南、サポートは任せてくれればええやろ? 」
……この男は商人でありプロだった。
だが、頷くわけにはいかないアロイスも意地になって反論する。
「あの酒蔵だけじゃ必要な酒も足りないだろ。酒場を開くのは高い酒だけじゃ無理だ」
「ワイがいますね」
「酒場で客に出す食べ物はどうする。安い卸売の伝手もないんだぞ」
「ワイがいますね」
「建物の建築費用だって直ぐに用意出来ないぞ」
「ワイがいますね」
「……お前」
な、何ということでしょう。
全てにおいて『ワイがいますね』だけで片付けられる。
商いに関し何をぶつけても無駄だ。なら、助けを求めるなら、この人しかいない。
「じゃ、じゃあお婆さん! 自分が貴方の息子さんの酒を使って酒場を開くなんて話、有り得ないですよねぇ」
愛想笑いしてアロイスは祖母に同意を求めた。
きっと彼女なら「そうさね」と言ってくれると思った。が、返ってきた言葉は想定外なものだった。
「別に構わないさね」
それを聞いたアロイスはズルリ、椅子から床に転げ落ちた。
「何ですって……」
アロイスは起き上がり、テーブルから顔を半分だけ覗かせて言った。
「別に酒場経営を薦めるわけじゃないけどね、アロイスさん言ってたじゃないかい」
「な、何をです?」
「田舎生活がしたいって。それを踏まえて、アロイスさんがこの町に根を下ろすは悪い話になるかね」
「それは悪い話じゃないですけど……」
社交辞令や空世辞じゃなく、それは本心から思う。
大自然の中、空から見えた景色に感動を覚えたし、まだ行ってみたい場所もある。過ごし易い良い町だと知っている。それに、もう既にこの町には慣れ親しみ始めている自分がいる。
「むしろ俺は、この町が好きになってるくらいです」
それを正直に伝えると、祖母は。
「それなら…」
と、笑みを浮かべて言った。
「アロイスさん、こんな言い方したら拒否する事を億劫にしてしまうかもしれないけど言わせて欲しいよ。アンタがこの町を気に入ってくれたのなら、少しばかり根を下ろすのも悪くないと思うさね。でも、アロイスさん自身どうしたいのかだけが重要だよ」
祖母から放たれる優しい言葉。
するとナナも「そうです!」口を開いた。
「そ、そうですよ。お酒だってアロイスさんが見つけてくれなかったら、ずっと気づけず朽ちていたと思います。ですから、アロイスさんがやりたいようにやるのが一番だと思います」
アロイスは二人の台詞に「二人とも…」と呟く。
そして最後、心が揺れ動いているアロイスに、ヘンドラ―はその腕を強く掴んで言った。
「アロイス、二人がこう言ってるんやで。でもな、ワイが誘っておいてアレやが、二人の話を聞いてて分かったわ。やっぱり、自分がやりたいことをやることが一番や。無理やり誘ってるわけやし、嫌ならワイも諦める。せやけど、酒場やるならワイが本気でバックアップするってのは約束する」
ここにきて、急に弱気な発言するヘンドラーだったが、これも作戦だった。
これぞヘンドラ―流、押して駄目なら少しばかり引いてみろ作戦である。
人の心理は不思議なもので、あれほど押された事に対し急に引かれると、引かれた事に何故か惹かれてしまう面がある。しかも昔からの付き合いがあるヘンドラ―だからこそ、この状況に必ずアロイスが食い付くだろうと読んでの言動だった。
「……っ」
ここまで言われては、否定し続けた酒場経営について嫌でも想像してしまう。
俺はこの町で酒場を経営するというのか。経営なんて出来るのか、と。
(誰がたまたま落ちてきた町で、どうして酒場を開く話なんてされると思う。そもそもはヘンドラ―が余計な事を言わなければ……。っと言っても正直なところ、田舎で酒場を開く生活ってのは、どこか憧れる所もあるんだよな……)
やりたい気持ちはゼロじゃない。それに自分には頼もしいバックが居る。これ以上の心強い味方はいないだろう。となれば、やらない理由はないのだが……。
(ふむ……)
アロイスはヘンドラ―を向いて言った。
「お前、例えば俺が酒場を開くとしてどんな経営方法を考えているんだ」
その問いにヘンドラ―は、直ぐさま答えた。
「優秀な酒蔵と、アロイスの元冒険者という肩書を活かすつもりや。あ、部隊長という事じゃなくて『元冒険者』ということな。ワイが元冒険者のイメージで世界中の酒を集めて酒蔵に詰めるから、それで色んな酒を売れるようにする。あとはアロイスが渓流で釣った魚とか、この町の産物も日替わりで活かしたりって考えとる。どや、面白そうやろ」
なるほど。良く考えられている。悔しいが惹かれてしまう。面白そうだ、楽しいだろうと想像が尽く。
それにしてもこの男ヘンドラ―、本気で酒場をやらせるつもりでいるようだ。
「く、悔しいけど面白そうだ。だけどもな……」
イマイチ踏み切れないアロイスは、様々な質問を投げつけようとする。
しかしヘンドラ―は「待てや」、アロイスの両肩を掴んで言った。
「この地に落っこちたアロイスは、ナナちゃんらと出会った。ワイも来て、興味ある事に手を出すチャンスを得たというのに、元冒険者がそんな億劫でええんか。行く宛もないんなら、ちょっとは冒険者時代と同じように興味を持った事には挑戦してみたらどうや」
その言葉に、アロイスは「うっ」と声を漏らす。
こいつ、上手く心を燃やすような事を言ってくれる。
「……じゃあ、俺が店をやると言ったら、どこに店を建てるつもりだ」
アロイスは小さな声で訊く。
と、ヘンドラ―は「あの廃屋と土地を使おうや」と答えた。
「おい、それはだめだ。ナナと婆ちゃんの思い出の場所だぞ、そんな使えると思うか」
アロイスは否定するが、ヘンドラ―は祖母に「ええですよね」と聞くと、祖母はさっきと同じで軽い感じに頷いた。
「構わないさね、使えるなら使っていいよ」
呆気ない回答に、再びアロイスはずるりと床に転んだ。
「え、ちょ。思い出の土地ですよ、そんな軽く決めていいんですか」
「別に良いよ。使い道もない土地だし使っておくれよ」
「つ、使っておくれって。ナナも、そんなん軽い感じでいいのか」
ナナは「全然良いと思います」と答えた。
「ンな馬鹿な。本気で俺が店をやる流れじゃないの、これ……」
唖然とするアロイスの隣、ヘンドラ―はニヤリとほくそ笑み、ぽんぽん肩を叩いた。
「結局お前の運命はこうなることに決まってたんやで」
「……おい、おいおい。本気かよ」
「本気や。それとも何だ、ここまで色々話をして断るんか?」
「ずりぃぞ、お前……」
今さら断れない流れだ。それに自分自身、無理にでも断ろうと思えば断れたと思うが、いよいよ反論しない辺り、きっと、そういう事なんだろう。
「分かったよ。分かった、どうせ俺は行く宛なし、根なし人間だ。ちょっとばかし元冒険者の酒場店ってのをやらせて貰おうか……ね」
ついに観念したアロイスは、大きく項垂れるが、その瞳の奥は、どこかやる気に満ち溢れていた。
そして、ついに了承を得たヘンドラーは「っしゃ、オラァアッ!」と、大声でガッツポーズをすると、テーブルに置いていた魔石プレートを引き寄せ、物凄い速度で何かの計算を始める。専門用語ばかりで何を目的とするのか理解できなかったが、それを書きながらヘンドラ―のブツブツとした独り言で模索している事だけは分かった。
「この町の工務店に建築は依頼。食い物の店も多かったし、自給する店があるなら、卸売の一部の依頼もして地元貢献に携われる。そうすりゃ地元民の客も来てくれるだろうし……」
ふん。ヘンドラ―なりに地元に活気を沸かせる考えは持っていたんだなと少し感心した。
しかしアロイスは、算段するヘンドラ―の頭に手を乗せ、一応の忠告はした。
「ヘンドラ―。言っとくが、俺がここで店を開いたって、俺の名前を使って周知すんなよ」
「えっ、何でや。お前が店を開いたって書けば有名人やし客もがっぽがっぽやろ」
「いつかバレる事だろうけど、最初は大人しくやりたいんだ」
「せやけど」
ヘンドラーはどうしてもスタートダッシュを決めたかったらしいが、アロイスは真剣な表情で、
「この話を受けないなら俺は店はやらない」
と、絶対的な意見を伝えた。
その勢いに圧倒されたヘンドラ―。渋々とはいえ了承して頷く他はなかった。
「それと、ナナとお婆さん」
ついでにナナと祖母にも伝えることがあり、アロイスは二人に話しかける。
「酒場をやる以上、土地使用料と自分が買い取る酒代は絶対に受け取ってもらいます」
「……別に気にする事はないんだけどね。酒代だって、売れたお金から差し引くだけで」
「いえ、そういう事を疎かにしてはいけませんから」
そう言うと、アロイスは手のひらを拡げ『五』本の指を祖母に向けた。
「あまり高値で言っても二人は受け取ってくれないでしょう。毎月土地の使用料の他、売上の5割は受け取って下さい。売上がない場合でも、絶対に土地使用料は受け取って貰います」
土地使用料に加えて、それに売上の5割とは。
マージンを受け取る側にとって良い意味での衝撃的な価格付け。
ナナと祖母は「貰うには高過ぎる」と、首を横に振った。
「では、この話は受けられません。これは絶対だと考えていますから」
「本当にそんなに高値はいらないんだよ。私らの優しさとして受け取ってくれないかい」
「それは出来ません。今度は私から二人に御礼をしたいのです」
「そうは言ってもねぇ……」
本来ならナナたちにとって、棚からぼたもちと言うべき案件だ。ただ、欲のない二人が受け取るにはあまりにも受け入れる事が出来ない額だった。
「んん、うーん。じゃあ、こうしたらどうだい」
祖母は、思いついた案を提案した。
「ナナが、アロイスさんの酒場でお手伝いするってのはどうだい」
「え、私?私は全然良いけど……」
対してアロイスは「いやいや」と、断りを入れる。
「一人で大丈夫ですよ。お手伝いまでされては……」
「ナナはずっと畑仕事ばかりで社会経験が無いんさ。だからアロイスさんの場所で社会経験させてくれないかい」
「あぁ、そう仰られると。しかしですね……」
大事なのはナナの気持ちだ。
アロイスは本当に自分と仕事をしたいのか尋ねた。
するとナナは二つ返事で「はいっ、大丈夫です」と答えた。
「大変な仕事になるかもしれないぞ。本当に良いのか」
「私は構いません。だけどアロイスさんが、私が居てご迷惑なら……」
「い、いや。ナナと仕事出来るならこれほど嬉しい事は無いよ。ナナが良いなら大歓迎だ」
本当のことだ。ナナと仕事が出来るなら嬉しい他ない。
ナナは彼の台詞を聞いて「あう……」と、少し顔を赤くした。
「ではナナにお手伝いして頂きます。そしたらお金は受け取って頂けますね」
「……うんにゃ、もう一つ在るよ」
「っと、他に何かありましたか」
受け入れられることは受け入れる。お金を受け取ってもらうのなら、祖母のお願いは聞いてあげたいと思うが―……。
「アロイスさん、どうせ住む場所がないなら家に居候しな」
「……へっ? 」
予期せぬ言葉である。
一瞬ばかり頭が白くなるアロイスは、ついでに隣のナナまでも呆気に取られた。
「……この家に居候しろと」
「一週間もいたら、後はずっと居ても一緒さね。どうだい」
「た、滞在するのと、先に見えない居候は大分違いますよ。普通に住むって事ですよ?」
「そうだよ」
「そうだよって……」
「別に良いじゃないか。ナナだって喜ぶし、女二人で住むよりよっぽど安心だよ」
いつもならナナは「お婆ちゃん! 」と声を上げるはずが、この時ばかりは何故か沈黙し、アロイスを見つめていた。
「確かに俺はこの家とお二人は大好きですけど、居候といえばまるで家族と一緒ですよ」
「好きなのかい。なら決まりさね。汚くて狭い家だけど、それでも良いかい」
「狭くて汚いって……そんな事はありませんよ。温かくて良いお家です。ですけど……」
「くどいさね!」
「えぇっ!?」
祖母はテーブルをバンと叩いた。
「新しい家族のパーティをするよ! 腹も減ったし、ナナ、料理の準備さねっ! 」
かなり無理矢理に、アロイスの断る隙も与えないよう詰めて言った。
「う、うんっ。お婆ちゃん! 」
「アロイスさん、お酒も飲むだろ。今日の酒は美味しくなるよ! 」
アロイスが「あ、あの……」と戸惑っている間、祖母は返事も聞かず、ナナを押してキッチンに消えて行った。残されたアロイスとヘンドラ―は彼女たち圧倒され、ストンと椅子に腰を下ろすと、一瞬の間の後で思わず笑ってしまった。
「ぷっ……なははっ! 」
「ククッ……ハハハッ! 」
大声で笑い合う二人は、肩を叩き合う。
「ワイが誘っておいてアレやけど、中々大変な家族が出来たようやな」
「ああ、出会って短いけど優しい二人だよ。だけど、こんなトントン拍子で良いのかどうか」
「なーに、運命なんか一瞬で変わるっていうのは、俺もお前もよーく知ってるやろ」
「……それは嫌っていうほどに知ってるよ」
彼の言う通り、運命が変わるなんて一瞬の出来事だ。
特に生死を切り抜ける冒険者に身を置いていた自分は、自分が体験するだけじゃなく、他人についても、あらゆる生に関する運命の切り替わりを目の当たりにしてきた。
「……まっ、こうなっちまった以上は腹を決めろや」
拳を突き出すヘンドラー。アロイスは同じように拳を構えて言った。
「覚悟は決めるさ。バックアップを全力で頼むぞ」
「当たり前やろ、任せとけ。ワイも儲けるつもりやから、着服するんやないぞ」
「こっちの台詞だっつーの」
ごつんっ。拳をぶつけ合う二人。
この瞬間、拳の音はアロイスの『酒場計画』が始まったのだ。
「頼むぜ、相棒」
「任せろや、相棒」
この日、4月10日。
やがては世界を巻き込む酒場店主『アロイス・ミュール』の新たな人生が始まったのである。
そして、次の日には、腕利きのヘンドラ―は計画を形とするべく足早に行動を開始する。
むろん一件の酒場を建てる事は容易ではなく、様々な問題も発生したが、ヘンドラ―とアロイスを主軸に、ナナ、祖母、加えて商店通りの住民たちにも協力を仰ぎ、酒場は早急に形を成していった。
特に問題視していたゴブリン工務店の店主カパリについてだが、実際のところ、文句を垂れつつも本気で仕事に従事してくれた事が大きかった。
やがて、1ヶ月後。
光指す丘の下、彼女たちの思い出の土地に建った新天地にて、いよいよアロイスの新たな挑戦が幕を開けるのだった。
…………
……
…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます