第1話:空から落ちてきた男
【 M.C2080年4月2日 】
その日、イーストフィールズ領に属する田舎町『カントリータウン』は、春の暖かな陽気に包まれていた。
ぽかぽかと気持ちのいい天気の下、畑仕事に勤しむ女の子が一人。
彼女の名は『ナナ・ネーブル』。
カントリータウンで祖母と二人暮らしの女の子だ。
黒猫のワンポイント刺繍がされた桃色のツナギを土に汚し、祖母と畑仕事に勤しんいた。
「お婆ちゃん、かぼちゃの種は全部植え終わったよ」
白猫の髪留めでサイドに結ったオレンジ色の髪を柔らかく揺らす。
潤み虹彩帯びる赤茶色の大きい瞳を輝かせて、気持ちの良い笑顔で祖母に言った。
「はいよ、ご苦労さんねぇ」
祖母も優しい笑顔を浮かべてナナに答える。
「うん。私のやることは終わっちゃったけど、他に手伝うことはない? 」
「今日はこれで終わりさね。先に家に帰っておき。婆ちゃんは植えた苗の見回りしてから帰るさね」
祖母は腰を押さえながら畑の見回りに向かおうとする。
年の所為か随分と歩くのも辛そうだが、大丈夫だろうか。
「……お婆ちゃん、あまり無理しないでね。腰も痛いんでしょ」
「ふふっ、婆ちゃんは元気さね。大丈夫大丈夫」
祖母は細い腕を振り上げて笑顔を見せる。
気張る祖母の姿にナナも思わず「ふふっ」と笑みを溢した。
「分かった。じゃあ先に帰るけど……そろそろお昼だよね」
ナナは土で汚れた袖を捲り腕時計を見ると、時刻は十一時を過ぎたところだった。
「お婆ちゃん、家でお昼ご飯作って待ってるから早く帰って来てね」
そう言って近くの物置に向かうと畑道具を仕舞い、畑隙間の砂利道に出る。
少し遠くになった祖母に「先帰ってるねー」と大声でもう一度伝えてから、ようやく帰路についた。
(家に着いて十一時半くらいかあ。お昼ご飯、何にしようかなあ)
昨晩の余りものを煮物にでもしようか。
それとも商店街に出てオススメ品でも見てみようかな。
(あと、卵焼きとかも食べたいな……甘いやつとか! )
そんな事を考えながら、広がる青空の下で砂利道をゆっくり歩く。
それにしても今日はとってもいい天気だなぁ。
明日も晴れてくれるだろうか。
あっ、そうだそうだ。
晴れてるうちに洗濯物も干さなきゃいけなかった。
(明日は燃えないごみの日だし)
祖母との二人暮らしは家事と畑仕事に追われる日々。
見方によっては大変かもしれない生活だと思うだろう。
しかし、ナナにとってはこれが当たり前。
ひがな一日が幸せな日常だった。
きっと今日も明日も何も変わらない。
こんな日常が続いていくんだと考えていた。
だけど、まさか――。
彼女の運命の歯車が既に動き始めていた事なんて知らずに。
しかもそれが『空から落ちてくる』なんて想像に出来なかっただろう。
それは、ナナが仰ぐ気持ちの良い青空の"果て"で起こっていた。
「すぅ、すぅ……」
その男は、飛行船の空路すら超えた超上空において、飛翔する翼竜の背で寝息を立てている。
ただ、気持ちよさそうに居眠りする様とは裏腹に、男の傍には竜の血に濡れた大剣が置かれ、白シャツはこれも返り血を浴びてドス黒く染まった姿は中々に禍々しい。
「むにゃむにゃ……」
捲れたシャツから見える腹筋を片手でポリポリ掻く。
時折「そのハンバーグは俺のだぞ」なんて威厳もない寝言も呟くが、彼こそ紛れもなく世界一の冒険団クロイツ元部隊長『アロイス・ミュール』本人である。
「ぐぅ……ぐぅ……」
竜の巣ダンジョンを攻略後、冒険団を去ると仲間に伝えて早一日。
彼は竜の背に座して旅していたが、眠気に襲われて目を閉じたのが数分前、既に心地よい夢の中にいた。
だが、その浅はかな居眠り行為こそアロイスにとって運命転じる事由になるとは思わなかっただろう。
"グルッ……?"
ふとアロイスが眠っている事に翼竜が気づく。
"……グォッ! "
翼竜は少し体を揺さぶり、耳貫く声で叫んでみる。
だが、アロイスが置きそうな気配はない。
すると、それを見た翼竜は"グルルゥ"と不適な笑みを浮かべた。
とどのつまり、次の行動が決まったようなものだった。
「グルォオアアッ!! 」
翼竜は雄叫びを上げ、その場で捻るように一回転する。
結果。
当然の話、アロイスは手綱を持ってるわけでもなく、ただ横になってた体は空中へと投げ飛ばされた。
「……んっ? 」
さすがのアロイスも目を覚ます。
だが、目覚めた時には既に翼竜の姿は遠く粒のように小さくなっていた。
「あらっ!? 」
まさに時すでに遅し。
投げ出された体は地面に向かって急降下し始めている。
普通なら慌てふためく場面であろうが、そこは流石に一流の冒険者だった。
焦ることなく頬をパンパン叩いて意識を覚醒させた。
「おっしゃ、目が覚めたけど……不味いなこりゃ! 」
グングンと落下し続ける体。
いずれ激突すれば最悪の結末は必須。
引退した直後に落下死なんて洒落にもならない。
(ったく、まだ死ぬには早すぎるだろうよ! )
この状況でも諦めはしない。
きっと、何か方法があるはずだと考える。
が、その時。
死を目前にして、ふと視界に拡がる光景に気づき、目が奪われる。
「おおっ……!」
感嘆した。
それは、空に限り望める世界の美しさ。
太陽の下で芽吹く緑色の山々が光に散らされ煌めく。
木々、湖、そして町という人の営み遠望して、気持ちが高揚した。
空からの景色は何より映え、アートのように只管に華麗である。
「俺はこんな青く美しい星を駆けて冒険を成してきたんだ……ははっ、笑いしか出ないな」
自分が、この麗しき世界に生まれ落ちたことを感謝しよう。
「ハハッ。ハーッハッハッハッハッ! 」
感謝感動のあまり、大口を開いて笑う。
だが、その表情はすぐに冷静な表情へと変化する。
「大地に感謝するのは良いんだけど、このままじゃ俺ってば死んじまうなぁ」
感動する間にも地面は迫り、決して遠くない場所まで落下してきている。
ただ、アロイス・ミュールに限り未だ臆さず。
それどころか、
"何か助かる方法はなかったかな"
と、空中で胡坐を組んで考え始めるのだから神経が図太いというか。
「昔にこんな出来事があった気がするんだよなぁ……」
もう地面まで一キロという距離が無い。
恐らく十秒満たず地面に激突するだろうというのに、なおアロイスは冷静であった。
(そういや昔、洞窟のダンジョンで落下事故に巻き込まれた時に仲間が硬化術をかけてくれて助かったことがあったな)
地面まで五百メートルを切る。
未だ動きはない。
(俺ってば魔法苦手だし、うる覚えだけどしゃあないわな。見様見真似でやってみるか)
地面まで二百メートル。
アロイスは胡坐を崩してうつ伏せ姿勢になる。
四肢を大きく広げて、強化魔法を体に取り込むイメージを思い出すが――。
「……むうっ、何の感覚も来ないな!?」
当然の話だった。魔法とは叡智の結晶である。
簡単なこそなれば冒険者で習得しているものも多いだろう。
だが、硬化術といえば、魔法真理を見出した者が習得出来るようなレベルの違う魔法なのだ。
「ありゃあ、こりゃしくったわ」
地面まで百メートル
こうなったら覚悟を決める他はないんじゃないか。
(いや、待て……まだ)
まだ、まだだ。
俺は"最期"を迎えるまで諦めたりはしない。
「……もう一度だ。硬化術よ来いッ。俺の体、死にたくないんだろッ!!」
最早、魔法でも何でもない単になる気合い込めである。
普通なら奇跡など起きるはずもなかろうが、そこは世界一の部隊長となったアロイスである。
他の冒険者たちとは、ワケが違ったらしい……。
「おっ!? 」
本来成し得る筈のない硬化術が、激突寸前で発動した。
それはアロイスの体に刻まれた"冒険"と云う生死と隣合わせの経験による奇跡の賜物であった。
「きたきたきた、耐えてくれよ俺の体ぁっ!! 」
地面寸前、衝撃に耐えるため両手を交差して守る構えを作る。
後は生きている事を願うだけ――…。
そして、次の瞬間。
ドゴオオオォォォンッ!!
大地を揺るがすほどの衝撃音。
また、落下した場所は農地の一角の腐葉土置き場。
衝突の衝撃で柔らかい土が舞い上がり、辺りを視界を失うくらいの土煙が包み込む。
まさに、とてつもない威力で降ってきたアロイスミサイル。
不幸中の幸いは落下地点に誰もいなかったことだろう。
ただし、例の彼女『ナナ・ネーブル』を除いてのお話ではあるが。
「な、何いまの……」
少し先の道を歩いていたナナは、空から降ってくるアロイスの姿を落下する最後まで見てしまったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます