いいか、戦争はこうするんだ

ガジュマル

第1話 プロローグ

 爽やかな日が差し込む窓際、コーヒーの香ばしく、透明感のある匂いが漂うカフェに一人の男がやってきた。軍服は着崩れ、ひげを生やし、葉の硝煙を漂わせたその姿は、お世辞にもここに来るような部類の人間には見えない。


 男は周りの怪訝な目を気にすることなく、店内にづかづかと踏み入る。そして、生意気にも一番良い窓際の席に腰を下ろした。


 男はコーヒーを注文し、ふと顔を上げると、目の前に一人の老人がいた。


 服は着飾ることなく、それでいて清潔さを感じさせる。いかにも、朝のコーヒーハウスにモーニングを食べにくる叔父様というたたずまいであった。


「ひとつ付き合ってくれませんかな?」


 男が見ると老人はチェスボードをさした。


「なんでそんなこと・・・」


 男はさも迷惑そうに答える。


「まあ、いいじゃありませんか。お宅も待ち人がいるのでしょう?私もちょうど暇を持て余していたところなんです。」

「どうしてお前が人を待っていると決めるんだ。俺はお前のようなイギリスかぶれの奴が嫌いなんだ。何でも知った風な口をきく。」

「あなたはここに来るような人ではないでしょう?」

「余計なお世話だね。」


 男は我慢していた葉巻をくわえる。しかし、気でも違えたのであろう。男はらしくもなく承諾した。


 老人が盤上を整理する中、男は火をつける。焦げた葉巻の独特なにおいは、たちまちかぐわしい紅茶のにおいをかき消した。きつめの葉巻の中でも、なかなかにハードな方であった。


「軍人さんですかな?」

「ほかにどう見えるのだ?」

「口が裂けても言えませんよ。」

「紅茶でも飲んだらどうだ。」


 お互い駒を動かす。


「では、お待ちの人も?」

「ああ。歴代まれにみる女将校さまだ。」


 男は煙をふかし、微笑しながら言った。


「へえ、珍しいものですな。」

「ああ。恨み募った女志願兵ならほかの国でもたまに見かけるのだが、女将校となるとそうはいない。聞けばワントソン大将のお嬢様だそうだ。「この国に生まれたからには祖国のために戦場で死ぬのが合衆国国民の務めです」などと言って特別に入れてもらったらしい。」

「では、さぞ男勝りなのでしょう。並みの精神では訓練は乗り越えられないですからな。」


「まったくだ。」


 男は苦虫を噛み潰したかのような顔をし、コーヒーを飲み干す。乱雑にカップを置くと男は殴りつけるような口調で話し始めた。


「上官の俺に対して生意気な口はきくし、命令にだって全然言うことを聞かない。そのくせ、俺の立案したプランにはすぐに口出しする。あいつが大将殿の娘じゃなかったら、始末書を書いて海にでも沈めるところだ。」


 男は吐き出し切ると一息ついて葉巻をふかす。


「話があるからと呼びだしたら、ここで集まろうといったのも奴さ。」

「そうですか。」


 レコードから奏でられるノイズ交じりのレコードのクラシックに混じり、駒の音は淡々と響き続ける。


「位はいくつで?」

「中佐だ。あいつは少佐だったか。」


 着々と遊戯はクライマックスへと向かう。戦場を駆け巡る大胆不敵な騎士は、王座でふんぞりかえる傲慢な王を見据えた。


「チェック」


「爺さん、なかなかうまいな。」


 男は素直に感嘆の声を漏らす。彼が何のよどみもない称賛を口にするのはこれまた珍しい事であった。受けたのも彼自身チェスにいくらかの覚えがあったからで、そんな自分に宣言をする老人の腕に驚いたのであろう。


「暇な私にはこれぐらいの趣味しかないものでね。」

「そりゃあとんだ出来レースにつかまったな。」


 いくらかの思考の末、彼はまたうち始める。


「最近軍部の方が騒がしいようですが、何かありましたかな?」

「ああ。試作中だった・・・何だったか。そうそう、原子爆弾とかいう兵器を無くしたらしい。」

「無くした?盗まれたのではなく?」

「ああ。相当研究費をつぎ込んでいたからな。警備は万全だった。ほんとに、どうやったらあんなドデカい鉄の塊を無くせるんだ・・・」

「実際に見たんですか?」

「もともと、完成すればウチが投下する予定だったんだ」

「ということは、空軍の方ですか。」

「ああ、そのせいで本部は大慌て。せっかく戦況の主導権を握れるところだったのに、今は国民に知られないように記録から何まで隠蔽するのに躍起になってる。」

「お気の毒に。」


「チェックだ。」


 男は老人の顔色をちらとうかがい、次の手を待つ。老人は少し顔を曇らせた。


「あなたもなかなかで。」

「待ち人を待たせるわけにはいかない。いくら小生意気な娘といえども。」


 老人がキングを動かす。


「チェックだ。」

「チェックだ。」

「チェックだ。」


 一手ごとに放たれるチェック。そのたびに、老人は焦燥を感じ、手を止める。


 老人は静かに笑った。それは何かをたくらんだ顔でも、狂喜でもない。勝手にこみ上げる、乾いた嘲笑であった。男はその笑みを知る。


「頭の働く爺さんだ。」


 二人は考えない。先程とは比べようもないテンポで盤面は変化する。


「チェスってのは手のひらの小さな戦争だよ。」

「Porn《ポーン》は歩兵、Knight《ナイト》は爆撃機。撤退は許されず、前からも後ろからも弾丸は飛んでくる。祖国の為なら居残り、特攻。見殺しにしてきた兵士は数知れず、それでも陣地は動かずじまい。這いずり、殺し、幾千の戦場を駆け巡ったQueen《ベテラン》さえも頭がなけりゃ同じ死体だ。」


「まったく、面白くないよ。」


 男はどこか、寂しげだった。


「チェックメイトだ。」


 刹那の静寂、そののちに喧騒けんそうは甦る。相変わらず街道では小鳥がさえずり、店内には濃厚な紅茶の香りがする。朝日はチェスボードを照らし、周りの客たちは優雅に過ごしていた。


 そんな中、その盤だけは、現実を見ていた。







「いやはや、見事ですよ。」

「老人相手に勝ってもうれしくないがな。」

「はは。」


 老人は少し落胆する。男は少し不可解に思った。


「ですがよかった。」

「何がだ?」



「私の目に狂いはなかった。」 

「・・・どういうことだ?」

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