―愛車の血統―

 ここまで色々書いてきましたが、すでに愛車との付き合いも十年を越え……すでに発売から二十三年(Ⅳ型発売時期より)を迎える我がRX‐7。名実ともに旧車の仲間入りです。

 しかし初期型の1991年発表から、最終型――当時最強のRX‐7と呼ばれたSPIRIT Rでのフィナーレを飾るまで11年もモデルを続けられた孤高のピュアスポーツ。それを綱渡りとは言え所有できている今には感慨深いものがあります。


 1991年と言う言葉で忘れてはならない快挙があります。MAZDAに止まらず、現代のTOYOTAが成し遂げるまで伝説として語り継がれた偉業。

 そうです。世界の箱型自動車レースの最高峰と言われる、あのル・マン24時間耐久レースです。


 って、大げさに言いますが……それを知ったのはNHKで放映されていたかのプロジェクトXがキッカケなんですけどね(笑)。けどそれがあったからこそ、ロータリーエンジンの虜になつたのは言うまでもありません。個人的にはどこぞの黄色い峠の走り屋さんよりそっちが上でしたww(もちろん黄色い走り屋さんも大好きですが……)


 当時世界最強を地で行くサウバーメルセデスを追い落とす勢いのMAZDA勢。その時点で史上最強と言えるチャージマツダ787Bに搭載された2616cc 4ローターエンジン。当然レシプロ換算では5200cc相当の総排気量となります。

 そんなレース用に極限までチューンアップされたロータリーの咆哮たるや、フェラーリすらも度肝を抜く高周波サウンド。当時のル・マンでは天使の絶叫とも、狼の咆哮とも言わしめたそれ。今では当たり前のネット動画でしか聞けないそれは、ロータリー好きを虜にします。


 実際の話ですと、そのMAZDAが参戦した年はレギュレーション変更の関係で参戦できなかったと。けれどそこで起きた奇跡……もう一年だけ参加出来るという裁定が下されたと聞き及びます。


 レースの何れにも拘わらず、そこまでの準備が水泡に帰す恐れもあった当時のMAZDA。その最後の晴れ舞台で……奇跡の咆哮がサルテサーキットを包んだのです。


 追い上げを決断した時間はすでにゴール三時間前。ル・マンに於いてはゴールの24時間たった時点で車両がコース上で動いている必要があります。無茶をすれば車両は悲鳴を上げ、例えギリギリまで走行していても23時間59分の時点で停止してしまえばゴールとはみなされない過酷なレースです。


 しかし決断したMAZDA勢に慌てたのは最強を行くザウバーメルセデス。引き離しに掛かろうとするも遂にマシントラブルが襲いピットへの帰還を余儀なくされ……その後追い抜いたチャージマツダ787Bが、テレビカメラの眼前でゴールまでの三時間を独走する――

 こんな劇的な勝利があるのかと言う展開で、ロータリーエンジンは世界最強を会得したのです。


 泣きましたよ、ええ泣きました!それが泣かずにいられますか!

 著名なライター様も言っておられますが「車が生まれた背景に、物語ヒストリーが詰まっている」のがロータリーエンジンとRX‐7と言うピュアスポーツカーなのです!

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