何気ない日常

宰太郎

白いめだか

「ゆーたー、ゆーたー」


 丸山まるやま雄太ゆうたは目を覚ました。


 キャンピングチェアに深く腰を掛けていた彼は、ゆっくりと背筋を伸ばし、まだ夢を見ているような目のまま、大きく伸びをする。


 目を覆うほどの真っ黒な髪。それを左右に揺らし、床に落ちている火のついていない煙草を拾い上げる——どうやら煙草を咥えたまま眠ってしまったらしい。


 雄太は、拾った煙草を再度口に咥えると、先程から自分の名前をしきりに呼びつづける少女の元へ歩き出した。


 ギシギシと軋む古びたウッドデッキ。木の階段を降り、裏庭に設けた小さな池の前に立つ。


 隣には少女がしゃがんでいた。


 彼女は、雄太の家の近所に住んでいる小学生である。名前は光本みつもと彩香さやか。暇さえあれば、こうして雄太の家に遊びに来た。


 彩香は、隣に立った雄太に見向きもせず、代わりに、じーっと池を見つめていた。まんまるとした大きな目は、好奇心旺盛な子供のもので、さらさらに伸ばしたブロンドの髪が、地面すれすれにつきそうだった。


「どうしたんだよ? なんか変なのでもいたか?」


 雄太はぶっきらぼうに、彩香に問いかけた。その声音には、あまり興味が含まれていなかった。


「ううん、でもね、めだかさんが浮いてるの」


「ああ、あいつか」


 彩香の目線の先に、一匹の白いめだかが、力無く水面に浮かんでいた。そのめだかは、体の右半分を上に向けていて、もう動くことはなかった。


「昨日の雨でやられたんだろう。これから梅雨に入ればもっと酷くなるかもな」


「あのめだかさん、一人ぼっちでかわいそうだよ」


 彩香は、立ち上がると、雄太が着ているTシャツの裾を掴んだ。身近な死に直面した少女の心は、どこか寂しさに似た気持ちで溢れていた。


 それは雄太も同じだった。しかし、彼の場合、それは純粋な死に対してではなく、大切なものをなくした時の喪失感に似ていた。


 同時に買った数匹のヒメダカ。その中に一匹だけ、白いめだかがまぎれていた。雄太は、めだかを見分けることができなかった。だから、唯一白かっためだかに、シロという名前をつけた。


 そのめだかが、今日、死んだのだ。


 寄り添う彩香の頭を撫でながら、彼はボーっと池を眺めていた。他のめだか達は追いかけっこをしながら、元気に泳ぎ回っている。


「さてさて」


 彼は、おもむろに、池の縁に刺さったスコップを手に取った。そして、それが元々あった場所に穴を掘り始める。十分な深さまで掘ると、水面に浮かんだめだかをスコップで掬い取り、穴にポイっと投げ入れた。流れ作業のように土を被せる。そして最後にスコップをその横に刺した。


「なむあみだーぶつ、なむあみだーぶつ」


「なむあみだーぶー、なむあみだーぶー」


 隣で合掌する雄太を見上げ、真似をする彩香。それは、見るものを癒すような、微笑ましい光景だった。


「さてと、俺たちにできることはこんなもんさ。それより遅くなったけど、昼ご飯作ってやるから、中に入るぞ」


「やったー! 彩香、カレーがいいー!」


 落ち込んでいた表情がパッと晴れて、少女は楽しそうに小走りで青年の後を追った。

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