クランブドシティ

カクダケ@

第1話 告白

 高校に入学して早四ヶ月、その時期は夏真っ盛りだった。月城雅久つきしろがくは殺意とも捉えれる日差しを頭上から浴び、ブラシを片手にただ一人プール掃除に勤しんでいた。


「どうして登校そうそうプール掃除なんてやらされなくちゃならねぇんだよ。くっそ、遅刻したくらいで……」


 溜息と共に愚痴をこぼすも、それは夏のジメジメとした空気やセミの騒がしい鳴き声に溶け合わさって消えていった。


「やめだ!」

 雅久はブラシをぶん投げた。あらぬ方向に飛んでいったブラシはフェンスに当たったような音がしたが、そんなの気にも止めず、その場で大の字に仰向けになった。玉のように汗が身体中に湧き出て、そんな気持ち悪い感触と仲良くできない雅久りそんな彼の虚空な目には果てしない青空が広がっていた。


「あー、溶ける……ってバターかよ」


 自分にツッコミを入れる程孤独で暇を持て余していた時、ふと視界の隅──校舎の屋上でフェンス越しに1人の少女が目に入った。


(今日もかよ。凝りねぇ男共だなぁ)


 彼女の名前は小桜一花こざくらいちか。雅久の幼馴染であり、彼が密かに想いを寄せている少女だ。誰もが近寄りづらいほどずば抜けたその美貌から、彼女の存在は他学年他校などと広く知れ渡っている。


 それだけではない。数々の男達を虜にしてきた最大の武器はその愛嬌だ。本人曰く自覚はないそうだが、誰に対しても愛想を振りまくことは心かげているそうだ。その結果骨抜きにされ、一花への告白に至った男達は容赦なく彼女の"ごめんなさい"の前に平伏すのだ。


 しかし、もしかしたらそのあたりまえが今日……打ち砕かれるかもしれない。そう思わせたのは一花の目の前に立っている男だ。


 彼の名前は成瀬大翔。頭脳明晰、文武両道おまけに容姿端麗の三拍子を兼ね備えた完璧の男だ。神は二物を与えずとあるが、しっかりと嘘である。だから彼はもちろん校内一位のイケメンと謳われているのだ。


 そんな彼があの小桜一花に告白だ。誰もが目を見張るその状況。現に雅久は立ち上がり、暑さを忘れてその現場を凝視していた。


 もし雅久に天から与えられる物があるとすれば『視力』だろう。プールから校舎の屋上の人影どころか、人物すら明確に把握してしまう彼は、言ってしまえば人間離れしている。視力検査では2.0という結果を残しているが、それ以上の結果は検査の限界により、自身も未知である。


 手に汗握る状況下、雅久の鼓動はかつてないと言えるほどに早かった。なぜなら雅久は一花にどこまでも熱い想いを寄せているのだ。幼稚園の時から仲睦まじい、そんな一花。日に日に美化してゆく一花。自分とは天と地の差ほどある一花を雅久は好きになってしまったのだ。だから、もしこの告白が容認された暁には、雅久は不登校になるだろう。


 だが、雅久が不登校になる事は避けられた。一花に向かって差し出されていた大翔の右手を彼女は握らずに彼に向かって丁重にお辞儀して、その脇を通り過ぎて行った。


 そんな光景を目にした雅久は途端に気力を滾らせて、今度は心の底からプール掃除に勤しんだ。しばらくして予鈴が雅久の耳に入り、彼は掃除用具を片付けるなり教室へと歩を進めた。




 教室はクーラーが効いていたため、雅久は席に着くなり机に突っ伏せて癒されていた。澄み渡る真夏の青空に目を通してながら雅久はだんだんと……


「わぁ!」

「へぇ!!?」


 微睡んでいた雅久を目覚めさせたのは他の誰でもない小桜一花だった。雅久の反応ぶりにクスクスと笑みを溢していた。


「おはよう。がっちゃん」

「おっ、おはよう」

「ところでびっくりした?」

「あたりまえだろ。心臓止まったわ」

「え? じゃあなんで喋ってるの?」

「それは幻聴だ」

「ひっ」

「お前の耳は腐っている」

「また幻聴がっ」


 耳を塞ぎながら慌てふためく様子の彼女。そんなノリをしてくれる彼女に、雅久は苦笑していた。


 二人は、席は近くないものの、いつになっても幼馴染という距離感は変わらず、今日も彼女は弾んだ口調を変えずに雅久と他愛もない話をしている。


「じゃあね」


 そう言って彼女は女子友達の元へ紛れるように戻っていった。その背を、鼻の下を伸ばしながら雅久は見つめていたのであった。


「お前、惚気るのも大概にしろよ」

「うん、分かってる」


 声をかけてきたのは隣席の晴樹。低身長で、可愛い寄りのイケメンであり、密かにファンの女子がいるのだとか。


 確かに、朝一から一花に声をかけられるのはどの男子であろうと惚気てしまうだろう。しかし雅久の惚気にはもう一つの理由があった。それは彼自身しかできない惚気であり、その気の方が強かった。


「まぁ羨ましいよな。だって一花、お前以外の男子に自分から話しかけないもんな。まぁ、幼馴染ってやつの特権だよな」

「そうなんだよ。その立場に救われているんだよなぁ。幼……馴染みか……」


 雅久は、実は彼女に対する告白のタイミングを伺っていた。しかし彼は告白に至る事を恐れていた。もし告白に失敗して、関係が崩れた時の恐怖である。


 今まで培ってきた彼女との情。それが水の泡となってしまうという消極的な考えが、告白に至らない雅久の理由だ。


 しかし、そのままでは何も始まらないという事は雅久自身、重々承知している。だから近いうちに告白しようという毎度毎度の決意を、いよいよ彼は本気に定めた。






「先、玄関で待ってるね」


 放課後になり、一花はそう雅久に伝えるなり女子友達の群れに添いながら教室を出て行った。彼女と共に帰る事はいつもの習慣である。だが、この日緊張していたのには理由がある。


(ずっと好きでした、付き合ってください)


 告白の練習である。何度もそう壁に向かいながら小さな声で独言していたのである。そう……いよいよ今日、彼は決意を本物にして告白する気でいるのだ。頬を両手でパチンと叩き、掛け声を上げながら一花の元へ行くのであった。


「お待たせ」

「遅いっ」


 少々膨れっ面の一花を横目にした雅久は、靴を履き替えるなり彼女と並進しながら校門を出た。


 電車に乗り、雅久は一花を人混みから守るように両腕で覆って壁に手を置きながら、彼女を胸元に隠した。これは、雅久いつしか行うようになった一花への痴漢対策である。


「ありがと、がっちゃん」


 胸元から上目遣いという雅久にとっての殺人行為を、あの小桜一花が行っているため、雅久は自制心を保つのがやっとだった。駅を10つほど過ぎたあたりで、二人は電車を後にした。


「っでさぁ、あの先生ったらね──」


 いつものように他愛のない話を繰り出す彼女に、雅久は頬を緩めながらも、どうしてそんなに話のネタが尽きないのかと純粋な疑問を浮かべていた。


「一花」

「……何?」


 急に改まったのが意外だったのだろうか、彼女は顔を強張らせてみせた。


「寄りたい所があるんだけど」

「……あっ、なんだ、そんな事? 別にいいけどがっちゃんから誘うなんて珍しいね」


 俺の誘いにインターバルを置いて、彼女はいつもの笑顔な彼女をみせた。もちろん誘った理由は彼の告白である。何事も雰囲気作りなのだ。告白もした事がない童貞の雅久であろうと、場所決めにはうるさいのであった。





「わぁあ! なっつかしぃ! よくこんな所覚えてたねぇ」

「まぁ結構印象深かったからね」

「幼稚園の頃かな? よく一緒に遊んでたもんねぇ」


 そこは帰路から少し外れた高台に位置する公園で、街を一望できる絶景スポットなのだ。果てしなく続く空は、青いという潜在意識を忘れさせるほど真っ赤に焼けていて、街に佇むビル群はまだ早い灯を灯しているのもあった。


 一花は足早に公園の奥へ進み、柵に寄りかかった。そしてその後を追う雅久。夕陽の放つ黄金色の中で、目を輝かせて街を眺望している彼女の横顔に、頬と胸が熱くなってきた。彼は、この絶景より彼女を選んだ。それはどこまでも一途だという事を意味していた。


「どうしたの?」

「あ、いや」


 雅久は拳を握りしめた。この雰囲気が全て告白の相応しい状況を作り出してくれている。


「一花」

「何? がっちゃん」


 いつだってそうだ。彼女は人と話す時、必ず目を合わせてくれる。しっかりと意識を向けてくれているのだ。だから雅久は安心して勇気を出せる。


「ずっと言いたかった事があるんだ」

「……聞かせて」

「俺さ、いち──」


 瞬間、凄まじい悪寒が雅久の身体中を駆け巡った。雅久が照れ臭そうに彼女からほんの僅か目を離した際、彼は事故になりかねない現場を目にしてしまった。そう思わせたのは目前の柵越しの遠くに映る、道路上を走るトラックの運転手の様子だ。ハンドルに顔を突っ伏せている。それが居眠り運転以外の何ものでもない事を雅久は理解した。そしてそのトラックの数十メートル先に位置するスマホを見ながら歩いている女子高生。途端に最悪の事態を雅久は予測した。ほぼ確定に近い予測を。


 雅久はまるで本能の様に柵を飛び越えた。


「えっ! がっちゃん!? 待っ……」


 高台に位置する公園であり、柵越しのその坂は急だった。立つのも無理だろうそんな坂を、彼は後先考えずに重力に伴いながら滑って行く。間に合え、間に合え、そう自分に言い聞かせ、彼はその女子高生の元へ駆けて行く。


「危ないっ!」

「えっ!?」

 

 その女子高生は、声の元──雅久に振り返る余地すら与えられず、ガッチリと抱かれながら彼に飛ばされた。重心を失った彼女は抱きしめられたまま雅久と共にアスファルトの床を転がった。


「ちょっと何するんですかっ! 離し──」


 途端、すぐ後ろで巨大な衝撃音と遅れて聞こえてきた爆発音が二人の鼓膜を揺さぶった。視線をやると、先程のトラックが原型を保たないまま壁に衝突しており、大炎上しているのだ。雅久は、何が起こったのか察した様子の彼女に回していた腕を解き、覆い被さったまま安堵のため息を漏らした。


「怪我はない?」

「……あっ! えっと、ある……じゃなくて! ありがとうございます」


 収まる気配のない炎の熱が二人を温める。彼らの元まで広がってきた黒煙に、雅久は少々むせていた。


「ここは危ないから、早く逃げよう」

「はい」


 彼女の返事までの間はゼロにも等しく、雅久は立ち上がり彼女に右手を差し出した。彼女が右手でその手を掴んだのを確認した彼はその手を強く引っ張り、よろめくように立ち上がった彼女を横目に、そのまま走り出した。


 視界の悪い煙から抜けた所で、雅久の斜め上──高台の公園の方から一花の声が聞こえてきた。


「がっちゃん!」


 柵越しの彼女は目を見開きながらその目を潤ませていた。そんな公園から道路に続く壁とも言える急な坂を見て、雅久は本能のように動いた自分の判断に驚愕するのであった。しかし、その結果が実を結ばせたので、雅久は再び安堵のため息を漏らした。


 瞬間、背後のトラックから二度目の爆発音が響いた。その音に反応して振り返る雅久と隣の少女。その光景は目を見張るものだった。黒煙の中から飛び出してきたのはトラックの黒い残骸。凄まじい速度で二人の元へ放物線を描いてゆく。その光景に呆然としていたのだろうか、その残骸が二人の元へ届く間際に雅久は再び本能を働かせて少女を抱き、そのまま覆い被さるように道路へ倒れた。その後、雅久を襲ったのはかつてないほどの激痛だった。

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