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「これ、ほんとに河本ってやつが書いたもんなのか?」

「というか、私からしたら郵便局経由じゃなく直で届いてることが怖いんだけど、藤乃ちゃんさ、よく中身みようと思ったよね」

 言われてはっとする。

 確かにそうかもしれない。

 けど、気になったのだから。仕方がない。

 あとは、少々の荒事なら私でもなんとかなってしまうというのが素直なところだ。冬馬さんクラスの人相手であれば話は変わるけれど……。


 結局、昨日の封筒の事を卒論執筆中の沙華さんと呑気そうに煙草を吸う依月さんに話した。

 それぞれの反応の違いが見れて、私としては面白いものだ。

 沙華さんは私の事を心配してくれていた。

 沙華さんは私の事を知らないのだから無理はない。そもそも私から言ってないのだから無理もないし、言わなくても問題はない。と思うのは多分独りよがりで周りを信じてない事の裏返しなのかもしれない。

 一方の依月さんは、私の事よりも手紙の意図や河本本人の物なのか。という疑問が先立ったようだ。


「まぁ、河本だと思いますよ。こんな事書かれるような知り合いも友達も、私にはいませんし」


 それを言った瞬間、沙華さんと依月さんの顔が曇った。


「なんかごめんな、悪いこと聞いたわ」

「私は藤乃ちゃんの事好きだから!おちょくってて楽しいし!」


 もしかしなくても馬鹿にされている気がする。別に友達が欲しいとかいうわけじゃない。それに、私のように親を亡くして、一人で育ったような子と仲良くしようとするのは同情だ。可哀想だとか、寂しそうだとか、そういった類の感情だ。

 あの時私があなた私の事可哀想だと思ってるでしょ。私は人の心が読めるから。なんて言っていたらどうだっただろう。きっと気色わるいと言われ、距離を置かれていただろうか。そんなことはないと、引き攣った笑みで取り繕われたのだろうか。

 いずれにしても、いいことはなかったと思う。

 けれど、私は変わった、最近そんな人の感情にブラインドが掛けられたように視えなくなっていたのは、こうやって、私の場所が出来たからだと思う事にする。


「おちょくられるのは嫌ですけど。ここの皆さんの事は、出会ってよかったかなって……」

「なんだそりゃ。おもしれぇな、でもまぁ、ならよかったよ」

「藤乃ちゃんがデレた……。可愛い……尊い、無理なんだけど……」

 冷静に再び煙草に火を付けている依月さんとは対照的に、紗華さんは目が据わっていた。

「紗華さん?なんか変ですけど。どうかしました?」

「いや、藤乃ちゃんが可愛いなぁって」

 そのまま私に向かって一歩ずつ近づいてくる。


 ふわりと沙華さんのシャンプーだか香水の匂いがする。

 少なくともクロエの香水ではない。私が男達からいい子のツラしてお手当を貰っていた時とは違うのだ。

 夜遊びが好きそうな男にウケの良さそうな格好で、望まれるように自身を武装していた時とは絶対に違う。もっと綺麗で力強い、芯のある沙華さんの匂い。

 気がつくと肌に暖かみを感じる。

 見上げると至近距離に沙華さんの顔。


「藤乃ちゃんは大丈夫。きっと私たちが思うより強いから。でも自分が思ってるより弱いんだよ。だから藤乃ちゃんが苦しい時には私達がいるんだよ。頑張りすぎなくてもいい、抱えきれなくなったら、私達が分かって、勝手に分担してあげるよ。わたしもここの人達にそうされて来たから」


 耳元でそう囁かれると共に、頭のてっぺんがむず痒い感覚に侵される。


 そっか、私は今、抱きしめられてるんだ。

 抱きしめられて、頭を撫でられている。

 私の記憶にはない感覚だったからわからなかった。

「じゃあ、もう少しだけ甘えさせてください……」


 私の呟きは沙華に届いていたようで、分かったというように優しい手つきで頭を撫でられる。

 この感覚をいつまでも味わっていたいと思うくらいには心地よかった。


「今度は……私が用意した夏服を着てね」

「あ、それは嫌です」

 グッと腕を伸ばし、少し不服そうな沙華さんを払い除ける。


 遠くで依月さんが笑っているのが見える。今のを見られていたのは少しばかり恥ずかしいけれど、今度、機会があればもっと自分の事を言おうと思う瞬間だった。


「よっしゃ、藤乃。じゃあそろそろ店開けるから看板の下の白熱灯付けといて、お前は?なんか飲んでくか?沙華?」

「うーん、じゃあ、卒論あるし、テキーラで!藤乃ちゃんの分も!」


「わかりました!」と返したら、被せて沙華さんがとんでもないことを言っていた。

 知らないふりをしてそそくさと外に出て、

「お前は卒論書けバカ沙華!」だとか、「依月さんの方が私より馬鹿でしょうが!偏差値的にも!」と言ったあの二人の兄弟喧嘩のようなじゃれあいを聞きながら、

 立て看板の下にある今時珍しい白熱灯のランプを灯す。


 今日も今日とて開店の合図だと言わんばかり眩く、主流のLEDライトより遥かに儚い寿命の白熱灯に少しばかり手を合わせて、立ち上がる。


「やってるかな。今」


 声のする方は振り向くと、目元のクマが深くやつれた顔の谷川さんが立っていた。

「やってますよ。でもお酒は……。谷川さん疲れてるみたいだし」

「いいんだ。今日はお酒飲みたいから」

 どこか覇気のない谷川さんに少し心配になるが、本人の意思を尊重するため、扉を開けた。

「どうぞ」

「ありがと。あと、この前はごめんね」

 そう言い残して、店内へと入っていった。

 別に、そんな気にすることじゃない。

 谷川さんが悪い訳じゃないんだから。悪いのはきっとあの手紙をよこして挑発のような事をする河本なのだから。

 数分で汗が滲み出る夏の頭の外気を振り払うように、私は空調の効いた店内へ戻る事にした。


 谷川さんにもあの封筒の事を相談しようと決意して、私の一日は始まりを告げた。

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