3

「強すぎる……」

「お姉さんこんなビリヤードうまいなら先に行ってくださいよ」

 私の前で共に球を撞いた男の人達が肩を落として、そう口にした。

「いやぁ、たまたま今日は調子良かっただけですから」


 沙華さんが急に言い出して、沙華さんの後輩の大岐さんと永江さんと3ゲームほど、やったが、結果はどれも圧勝だった。

 手玉を思った様に操れて、目付けにも狂いが少なく最小のミスで撞く事が出来た結果なだけだが素直にうれしいものがある。


 ここに入ってからひと月ほど、私はあることに気づいてしまった。

 それは、駅から徒歩10分圏内、近くの大学からも15分圏内という好立地にも関わらず、このお店にはあまりお客さんが来ないということだ。

 

 たまに沙華さんの後輩やその知り合いの人たちが団体で利用したり、もともと自前のビリヤード用具を持っているような人が利用する以外は新しいお客さんはめったに来ない。

 それなのに私にあんな時給払っておいて、よくやっていけるなとは思うが、着たくもないメイド服の次は、無理やり着せ替えられたアイドルがステージを沸かす時に来ているようなフリルのついた短いスカート衣装を着せられている私からしたら、お店の心配なんか二の次なのが正直なところだ。


 しかしながら、誰も来ないおかげでビリヤードがうまくなり、今の様に急に一戦交える事になったとしても、一プールバーの店員として恥をかくようなことが無くなったのはなんとも皮肉めいた事だとは思う。

 そして、私にビリヤードを教えてくれたあの人にまた会える時にふふんっと鼻を鳴らせるくらいには上手くなりたいとは最近思う様になったのは、今までろくな目標を持った事の無い私にとって、一つここにきてよかったことなのかもしれない。

 まったく。……早く帰ってこないと私もっとうまくなっちゃいますよ。ね、冬馬さん。


「悔しいけど、俺じゃ勝てそうにないし……。お姉さん、連絡先はいいから、せめて名前だけでも!……ってお姉さん?聞いてる?」

「……えっ?ああっ、はい!多賀野江 藤乃です!」

 不意に名前を聞かれて、反射的に答えたあとにハッとする。

 そしてどこか、してやったり。と、満足気な表情を浮かべる永江さんと目がばっちり合った。

「たがのえって変わった苗字ですね。出身は?年齢は?今学生?あ、歳は失礼か!」

「おい!永江、お前初対面で、そんな質問攻めにするとか失礼だろ……」

 矢継ぎ早に質問が飛んでくるのに思わず苦笑い。なんというか、いい意味では素直なんだろうなと思う。

 今の私には余計ではあるけど。


「まずはそちらが名乗ったらどうなんですか?私、苗字しか知らないんですけど。あんまり興味もないですけど」

 私のすこし尖った言い回しを聞いて、大岐さんは「そら見たことか」という苦い表情を浮かべ、永江さんをけん制するような目線を投げる。

「そっか!ごめんね!忘れてた。俺は永江颯太、橋大社学の二年。出身は川崎で実家暮らし。浪人してるから歳は今年21!」

 この人の、こんな図々しさが!なんともうらやましい。

 私のこのイラついたような仕草と嫌味のある言葉に対してここまで、無反応を突き通せるのはある意味才能だと思う。

 事実、永江さんの後ろにいる大岐さんは申し訳なさげに眉を下げ、こちらに片手を立ててごめんとジェスチャーをする。

 そんな大岐さんを見て「はぁ……」っと一つ、ため息をつく。

 なんというか、優しいんだろうけど、いろんな人に振り回されそうな性格をなのが透けて見えるようだ。


「あぁ、21歳なんですね。大岐さんは?」

「ああ……。俺は大岐要。橋大3年法学部。出身は長野。自分は21になるんだけど、まだ20なんだよ。誕生日10月だから」

「同い年なんですね。お二人とも」

「そうそう、こいつと同い年ってのもなんか嫌なんだけど、まぁこればっかりはね」

「ふふっ、ですね」

 肩をすくめて、苦笑いを浮かべる大岐さんにつられて私の頬も緩む。

 歳は同じにも関わらず、永江さんは大岐さんには敬語で接するあたり、学年が違うというのも大学ならではの光景なのだろう。なんというかちょっとうらやましく思う。

「ちょっと、俺の時と反応違うの、なんで、なんで……」

「そりぁ、お前。第一印象の違いだろ」

「じゃあ、俺黙ってます。可愛い子に嫌われたくないし」

 もう遅い気がするが、そんな肩を落す仕草を見せる永江さんの肩を叩いて諭すように話す大岐さん。

 なんというかやっぱり口では少し冷たいけど、大岐さんも永江さんの事を嫌いには慣れないのだろうと思う。


「っと、そうだ、そいや多賀野江さんは今年いくつなの?」

「藤乃でいいです。ここに来るお客さんもみんなそう呼ぶので」

「そっか、じゃあ藤乃さんかな」


 自分で言っておいて初対面の人に名前を呼ばれるとむず痒く感じてしまうのはなぜなのだろうか。それを悟られないように意識して目尻をキュッと引き上げる。


「で、歳ですよね。今年で二十歳になりました」

「そうなの?鹿角さんと同じ学年なのかな。……何月生まれ?」

「4月です」

「そうなんだ」

「ええ」

「今学生?ここらだと、櫛女か、明央とか?それとも国立で東京教育?あとは都立大?あ、体育大もあるし、音大もあるし……。それとも綾部調理専門?とかの専門系?」


 大岐さんの中ではきっと、同世代の人はみんな進学していると思っているのだろう。

 それが普通なのだろう。

 彼が育った環境と現在地からすれば、自分のように進学していない人種は存在は知っているけれど近くにいるとは思いもよらないのだろう。

 私にとっての特別は、大岐さんたちには普通の事だという事。

 そんなこと分かっていることだ。そして、私はその道を選ばなかった。選べなかったんじゃない。選ばなかったんだということ。それだけの事だ。


「いや、学生じゃないんですよ。私は、全然……。ただのフリーターってやつですからっ」

「あ、あぁっ!そうなんだ……」

 ああ、この表情だ。大岐さんのこの表情。

 馬鹿にするわけでもなく、かと言って好意的に捉えられているとは言い難い表情。困惑と後悔の感情が滲む表情だ。

 大岐さんのような人たちには今までも同じような事を思われてきた。

 だから今さら感情を読もうという気にすらならない。気にしたところで私にはなんの得もないことは分かっている。

 けれど魚の小骨みたいな存在感で私の心に居座る感情は拭い去れない。


「そいやさ!さっきから気になってたけど……」

「なんですか?」

 私と大岐さんがいたたまれない雰囲気に包まれていると、先ほどまで凹んでいた永江さんが私の事をじっと見つめる。なんというか気分は良くない。なぜかは言わないけれど。お客さんだし、一応。


「そういう服趣味なの?橘先輩は普通の恰好なのに、藤乃ちゃんはなんというかそういう、アイドルみたいじゃん?」

「これはっ、沙華さんが無理矢理……」

「あぁ、それは災難……。でも似合ってるよ!地下アイドルみたい!」


 それは褒めているのだろうか。もっとも、陽の目の無い世界で生きているという点では地下アイドルみたいな気もするけれど、永江さんのは多分天然だ。

 でも、気まずい雰囲気を察知して話題を捻じ曲げた努力が見える。

 この人も大岐さんとは違った意味で損な性格の人だ。


 でも、その天然のような計算のおかげで束の間の居心地の悪さが消えたと思えばありがたいと思っていた時。

 僅かにドアの軋む音。その数秒後。


「やってる?」

 いつも通りくたびれたワイシャツにスラックス姿で、持ち手の革が使い込まれて色褪せたビジネスバッグを片手に携えた常連さんが、ドア越しに顔をのぞかせていた。


「谷川さん、いらっしゃいませ!」

「あ、あれ?衣替え?」

「いや、これは沙華さんが……」

「ああ、なるほど……。元がいいから似合ってるよ」


 困惑したように、私の頭の先からつま先までを視線を二往復させながらも沙華さんの名前を出した途端に、納得した様子の谷川さん。

 口から出まかせをこぼすくらいなら黙っておいてほしい。

 そりゃ私だって着たくないよ、と言いたい。メイド服すら慣れたとはいえ未だに嫌なのに。


「そいや、沙華ちゃんは?」

「あそこに……」


 店に置かれている3台のビリヤード台の内一番奥に据えられた台で鹿角さんに付きっ切りで教えているところを人差し指で指し示す。


「熱心だね。沙華ちゃん」

 鹿角さんに実践を交えて熱のこもったレクチャーを施す紗華さんを遠目に谷川さんは一番手前のカウンター席に腰掛けた。


「今日はアードベッグにしようかな。ストレートでお願い」

 分かりました。と伝え、アードベッグという私にとっては、まだ大人の味のするきつめの漢方薬のような臭いのウイスキーのボトルを探す。

 オーナーの私物のお酒も含めて、無数に置かれたボトルの中から目当てのボトルを探し、テイスティンググラスに30mlほど、シングルの量を注ぎ、谷川さんの前へコースターと共に差し出す。


「チェイサーも今お出ししますね」

 今度はロンググラスに氷を少し入れ、水を注いで、先ほど同様、コースターと共に差し出す。

「ありがとう。藤乃ちゃん。なんか……見た目があれだけど様になってきたね」

「あはは……。ありがとうございます」

「じゃあ、いただきます」


 ゆっくりとウイスキーの入ったグラスを傾けて、人心地ついた様子だった。

 どこかいつもの余裕が感じられない表情でウイスキーを味わう谷川さん。

 たぶん、河本達を追い詰めるネタの裏取りが難航しているのだろう。

 よく来ているはずなのにどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。


「そいやさ、ごめん!全然、ウラ取れなくて。もう少しだけ時間ちょうだい!」


 案の定、予想通りの事で悩んでいた谷川さんのパンっと両手を合わせて拝むように謝罪の言葉を口にする谷川さんの珍しい姿に思わず笑いをこらえきれなくなる。

「ふふっ、別にいいですよ。私、もう5年以上は待ってますから。今更待つのは慣れてます」

 私の言葉に困ったように口角を上げて愛想笑いをする谷川さんを見てさらに愛想笑いで返した時だ。


「あぁ、就活だりいよ!働きたくないぃ!」

 いつの間にやら少しお酒が回って、へべれけ気味スイッチの入ったの様子の大岐さんが七菜香さんと永江さん相手に働きたくないと、三人でテーブルを囲ってくだ巻いていた。案外、大岐さんは下戸らしいかった。

「まあでも、私やだよ?旦那さんがヒモなのは」

「そうそう。先輩、今は勤労という名の推定40年の懲役刑を科せられる前のモラトリアムなんだから!だから、納会終わったらちゃんとOB訪問とかして、七菜香と

 ちゃんと結婚の話もするために内定取ってくださいよ!」

「てめぇに七菜香って呼ぶ権利はねぇだろ何様だよ!」

「うっさい!バカ!別に要さんのものじゃないですから!いい加減お酒弱いんだから、ほらお水飲む!」


「なんというか、あれはあれで大変そうですね。大学生って……」

 そうやって、話を振ると、先ほどまでどこか覇気の消えた谷川さんの気配が変わっていた。

「そうかそうか……。これなら」

 そこにいたのは、いつも通りに目をぎらつかせ、常に貪欲にネタを探す記者の谷川さんの本来の姿だ。

 ああ、これは、またぶっ飛んだことになる。と予感が働き、私の危機察知力がたまに嫌になる。

「紗華ちゃん!ちょっと!君の力が必要だ!」


 大きな声で名前を呼ばれた紗華さんが、キューを抱えてこれでもかと嫌悪感を滲ませた表情をしているのが見え、察した。

 ああ、これは無茶苦茶なアイデアを思いついた悪い谷川さんが出たのだと。


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