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彼女が嫌がっていた豚骨の匂いが食欲をそそる「つばさ屋」の家系ラーメンとやらで腹を満たした後、彼女の家に届いた棚やら、何やらを部屋に整理した時には、日も傾き、春の陽気から、まだ肌寒さが残る春の夜が来る。

「どうだ、案外いいもんだろ?味気ない部屋より、いくらかマシだろ?」

「まぁ……」

「なんだよ、お前嫌いだったのか?豚骨」

「あなたがっ!……別に何でもないです」

朝からずっと、ご機嫌ナナメな家主は、相変わらず、というか、斜めどころか真下に落ちる勢いで不機嫌を加速させている。まぁ、無理もない。

博多が起源の豚骨ラーメンを求めていたのに仕方なく家系ラーメンを初めて食べた俺が満足できるものだったのだ。

あの晩六本木の路地の汚い豚骨ラーメン屋の出汁を取り終えた出がらしの豚骨なり、その他の雑多な残飯の中に落とされて、その匂いを纏わせることになったのはつい最近の話で、当分はあの匂いを嗅ぎたくないのに豚骨の匂いが籠る店内で濃厚なラーメンを食べる意味が分からない。

と、言っているように目尻を尖らせ、俺の瞳を鋭く射抜く気持ちも分かる。

だからこそ、努めて平然に、新品の匂いが残る冷蔵庫の中にある食材を吟味しながら聞いた。

「晩飯、何がいい?」

「別に……。悪いですよ。お金まで出してもらって……」

つまらなそうに、そして明らかに遠慮の色を帯びた声色で、独り言のように呟く藤乃をみて、だんだんと腹が立ってくる。自分に。

無理に押しかけた俺を追い出さずに藤乃は、『まぁ、いいか。』という投げやりな了解なんかじゃなく、こんな至近距離に存在する俺という他人に興味なさげに、けれど、借りてきた猫という言葉そのままの、態度で距離を取る。という二面性を出す。そうさせる自分に、どうしようもなく腹が立つのだ。

だからこそ、せめて、どんな形でも感情を出して欲しいのだ。こんな見た目で、柄にもなく銃器と暗器を仕込んで人を殺すと、狂人になる決意をした真っ直ぐな目をしなければならなかった人生を送る彼女に、

せめて、家の時は心休めて、感情を出してほしいのだ。

だから、俺は性格の悪い揚げ足を取る。

おちょくる事しか人の感情の引き出し方を知らない自分を恥じながら。

「別に、悪いですよ。……なんていう飯。俺はしらねぇんだが、美味いのか?」

「……ほんっと、いい性格してますね。冬馬さん。じゃあ、出汁巻食べたいですっ」

先ほどまでの暗雲と呼べる表情を一変させて、俺を見上げて完璧な外行きの貼り付けたような笑顔を見せる彼女に俺は、悪い笑みを浮かべるこう答えるのだ。

「もう食えねぇって言うまで出汁巻焼いてやる」と。



3個目の出汁巻玉子を焼いたあと、リビングで美味しそうに頬張る藤乃を見て、ある思いが湧く。

人の心は張り詰めた糸の様なものだ。と思う。負荷をかけ続ければいつか切れる。そして、切れた糸は二度と元には戻らない。

人を殺す事を負荷と思わない常人はいない。もし、手をかける事がなんて事ないと思えるのだとしたら、それはもうきっと、切れた糸なのだろう。もう二度正常には戻れないのだ。

だからこそ、家の中では、その糸を緩ませて、いつか切れるであろう糸の寿命を少しでも伸ばすことが出来るなら、最大限せめて藤の花が綺麗に咲く梅雨入り前までは、その糸を切らさないように見守ろうと、

ふんわりと焼き色がつく卵が乗る真新しいフライパンを傾けながら、真新しいソファーの上でちょこんと体育座りしてまだまだ出汁巻玉子を食べれそうな藤乃を見て、そう思うのだ。


あれからさらに三つほど焼いて、少し疼く左手で、吸うハイライトの味は、いつもより甘かった。


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