第15話 まるでアナタは欲に塗れた獣のように―4

 恐怖の炎から放たれた冷気が周囲の地面や木々を凍らせていく。


「さあ、来るなら来い! 俺はまだ戦えるぞ!」


 身体を震わせながらも俺はアランと戦う姿勢を見せる。

 俺の身体が震えている理由は恐怖による緊張か、冷気による悪寒か、どちらなのかは定かではない。

 だが、己の恐怖に立ち向かうと決めたからこそ、俺は恐怖と闘志を両立出来ていた。


「ひいっ! こっちくんな!」


 一方、さっきまで俺を追い詰めていたアランは恐怖の炎に威勢を挫かれ、凍った右脚を引きずって逃げ出した。


「……くっ」


 形勢が逆転したことを悟った俺の左手から恐怖の炎が消える。

 どうやら、恐怖の炎は自身が不利な状況でしか発生しない感情を司っているためか、優勢な状況では維持が難しいようだ。

 俺たちに背を向けて逃げるアランを見た途端、安堵した俺は小さく呻き声を上げて膝を地面に突く。


「ツヅリ君ッ! だ、大丈夫!?」


 シンクが俺に駆け寄り、倒れそうな身体を支えてくれる。


「ああ、問題ない。ちょっと怪我をしただけだ」


 俺は見栄を張って強がってみせるが、本音を言えば身体は限界だった。

 短剣の刃は思っていたよりも深々と刺さっていたらしく、氷で流血を防いではいるものの、だんだんと意識が朦朧としてきた。


「待っていてね……今、私が魔法で治療するから……」


 シンクは俺の隣に座って祈りを捧げるように両手を胸の前で合わせて目を瞑る。


『我は純真なる信仰を持つ者。敬虔なる祈りを以て傷を癒やす。命芽吹く大地となれ』


 シンクの唱えた呪文によって癒やされた傷口は徐々に塞がっていく。

 視線を戻すと、アランは氷によって足が不自由になっていたせいで、今すぐ走れば追いつけるくらいの距離にいた。


「追撃……するのは止めておくか。そこまでする理由もないし、俺も余力は残っていないからな」


 アランを見逃すのは自分でも納得いかないが、ここで調子に乗って下手なことをしてしまえば、今度こそ俺は死んでしまうかもしれない。


「…………先輩、その女は誰ですか?」


 そして、俺はもう一つ、厄介な人物の存在を思い出した。


「先輩が何やら慌てて駆け出して戻ってこなかったものですから、私、心配で来てしまいました。先程、何者かの攻撃を受けてしまったようですが大丈夫ですか?」


 待たせていたルミナがこちらにやって来て、俺の傷口を看る。


「っ……!? いけません! 先輩のその傷はかなり深いものです! 安静にしてください!」

「ぐうっ……そうだな。傷は塞がっているが、身体は疲労でもう一歩も動けそうにない。悪いけど、ルミナ、そこにいるシンクをよろしく……頼……む……」


 俺はそこまで言って、意識を失った。


          @  @ @


「神矢君、あのね、笑わないで聞いて欲しいんだけど……私、叶えたい夢があるんだ」


 俺は夢を見ていた。

 目の前には椎名さんがいる。

 校からの帰り道、空が夕焼けに染まる中、俺と椎名さんは二人で並んで歩いていた。

 この時の記憶は今でも鮮明に憶えている。

 これは俺と椎名さんが出会ってもうすぐ一年経つ頃の出来事だ。

 椎名さんの言う「夢」とは、俺が今揺蕩っている精神世界のことではない。


「実は私、小説家になりたいの」


 椎名さんは恥ずかしそうな様子でそんな告白をする。


「ふーん。別になりたいならなればいいんじゃないか?」


 俺は椎名さんの告白にそっけない返事をする。

 まだこの頃の俺は椎名さんに異性としての好意を抱いておらず、ただ気の合う友達同士の関係だった。

 椎名さんは顔のそばかすが特徴的で、決して美人とは言えない容姿だが、性格が明るく、誰とでも打ち解けることが出来るため、中学、高校を通してクラスの中でも男女を問わず人気のある女の子だった。

 対して、典型的な陰キャの俺は、愛想が悪く、あまり人から好かれることもなく、鬱屈とした感情を常に抱えて生きていた。

 椎名さんとの関係もたまたまオタク趣味で意気投合したからというだけで、当時の俺は寧ろ椎名さんに劣等感を抱いており、どこか冷めた態度で彼女と接していた。

 俺よりも頭が良く、俺にはないコミュ力を持ち、才能と人望を併せ持つ彼女に俺は嫉妬していた。


「笑ったりしないの?」

「する訳ないだろ。……椎名さんだったら、きっと叶えられると思うけどな」


 小説家になることがどれくらい難しいのかはよく分からないが、優等生の椎名さんなら出来ないことでもないだろうと俺は考えていた。


「本当!? じゃあ、ちょっと私の書いた小説を読んでくれない?」

「えっ、今!?」

「次のバスが来るまででいいから!」


 そう言われて、バス停のベンチに座らされた俺は、椎名さんが通学鞄から取り出した原稿用紙の束を渡される。


「…………」

「ど、どうかな?」


 それから、俺が読み終えるまではざっと2時間程度かかった。

 一枚一枚、じっくりと読みながら原稿用紙をめくってワープロで書かれた椎名さんの小説を読破した俺はため息を吐く。


「……まあ、良かったんじゃないかな?」


 それが、椎名さんの小説に対する俺の素直な感想だった。

 彼女の小説は恋物語であり、遠い異国で若い男女が出会って仲良くなり、結ばれるまでの話だった。

 総じて言えば、悪くはなかった。

 描写は上手く、話の流れも丁寧で、物語の内容もラブストーリーとしては王道だった。

 強いて問題点を挙げるとすれば、文章表現がやたらと回りくどく、王道故に話の展開が悪い意味で分かりやすいことだろうか。

 例えるなら、国語の教科書に載っているような話を読まされている感覚だった。

 普段、漫画やラノベばかり読んでいる俺にとっては大して面白みの感じられない内容になっていたが、純文学的に見れば完成度は高いように思えた。


「そう言ってもらえて良かった……。その小説なんだけど、今度、新人賞に応募してみようと思っているんだ」


 椎名さんがスマホを弄って、画面を俺に見せてくる。


「ん? これってラノベの新人賞じゃないか?」


 椎名さんのスマホの画面に表示されていたのは有名なラノベレーベルの新人賞応募ページだった。


「えっ? そうだよ? 私、ラノベ作家になりたいの。だから、ラノベをよく読んでいる神矢君に見せたんだ」

「あ、ああ、そういう……」


 作家や編集者でもない俺に椎名さんが自作小説を読ませてきた理由に納得した。

 だが、純文学としてならともかく、ライトノベルとして、この作品に需要はあるのかと問われたら微妙なところだ。

 展開や登場人物はありきたりで、物語のテンポも悪い。


「正直、自信がなくて他人に見せるのは凄く恥ずかしかったんだ。でも、神矢君に『良かった』って言ってもらえたおかげで、なんだかやる気が湧いてきた! ありがとう!」


 椎名さんが俺に向かってくしゃりと笑う。

 俺はこの小説でラノベの新人賞を戦うのは厳しいだろうと思っていた。

 だが、椎名さんにそんなことを言われたせいで、本当のことを言い出し辛くなった。


 しかし、椎名さんの夢を語るその姿を俺は一瞬だけ格好いいと感じた。

 今思えば、あれが俺の椎名さんに対する恋の始まりだったのかもしれない。


 その時、バス停に一台のバスが到着する。

 小説を読んでいる間にも三台のバスを俺たちは見送ったので、これは四代目のバスだった。


「あっ、バス来ちゃった。それじゃあ、今日はごめんね。また明日!」

「うん。また明日」


 椎名さんはバスに乗り込んで俺の前からいなくなる。


 それから、俺は自分の家に帰るためのバスを待っていると、俺の隣に小学生の女の子がランドセルを膝の上に置いて座った。


 女の子は髪がボサボサで服装も地味だった。

 俺が椎名さんの小説を読んでいる間に日はすっかりと暮れており、小学生が下校するにはあまりにも遅い時間帯である。

 恐らくは塾の帰りなのだろう。

 バスがやって来ると女の子は俺と帰る方向が一緒のようで、ランドセルを背負って俺よりも先にバスへ乗り込もうとする。

 けれども、女の子はランドセルを背負った拍子にスカートのポケットから何かを落とした。


「おい、落とし物だぞ」


 俺は落ちた物を拾い上げる。

 それは四つ折りにされた算数のテストの答案用紙だった。

 テスト用紙には「愛璃瑠未那」という名前と10点という悲惨な点数が書かれていた。


「あ、すみません! ありがとうございます!」


 女の子はぺこりと俺に頭を下げる。

 しかし、頭を下げ過ぎて、留め具の外れていたランドセルから勢いよく教科書やプリントが地面に散らばった。


「ああっ! あああああっ!」


 女の子は慌てて散らばった荷物をかき集め始める。


「大丈夫かよ」


 俺も女の子の荷物を拾い集めて彼女に手渡す。


「これと、さっきの答案用紙で最後だな」

「ありがとうございます」


 女の子は俺の手にそれぞれ握られていた荷物と答案用紙を受け取ろうとするが、答案用紙の方は手に取る直前に少し躊躇いがあった。


「……このテスト、見てしまいましたか?」

「あー、悪い。わざとじゃなかったんだ」


 俺が謝ると女の子は悲しそうな表情を見せる。


「これ、お母さんに見せたら絶対叱られてしまうんです」

「だよな。だって10点だもんな」

「だから、拾ってくれない方が良かったかなって……。ごめんなさい。拾ってくれたのに」

「なるほど、分からなくもないぜ。俺もテストで悪い点を取ったときは迷わず紙ヒコーキにして近所の川に投げ捨てているし」

「ええっ……捨てたりなんてしたら余計に叱られてしまいますよ。うちの親はテストの日付とかもしっかり憶えている人ですから」

「相当厳しい親御さんなんだな」


 俺は女の子の持っているテスト用紙を見つめて、あることを閃いた。


「なあ、ちょっと俺にその答案貸してみ」

「い、いいですけど、どうしたんですか?」


 俺は自分の筆箱から取り出した赤ボールペンで女の子の答案用紙の点数に横線を一つ加えて70点にする。

 更に回答欄のチェック印を丁寧に丸へと書き換える。


「へへっ、工作完了」

「凄い……筆跡も全然違和感がないです」

「残りは回答欄の答えに消しゴムをかけて、正しい答えに書き換えれば終わりだな」

「なんというか……ずる賢いですね」

「褒めるなよ。照れるだろ」

「いえ、褒めてません」


 俺もたまに使う手だ。

 中学生の俺がやった場合、どうせ三者面談の時にはバレるのだが、小学生のテスト如きで学校の教師や塾の講師はわざわざ具体的な点数の話なんて持ち出してくることはないだろう。


「……だけど、ありがとうございます。これで、今日は叱られなくて済みます」


 悪知恵で喜ばれても素直に喜べはしないが、気分は悪くなかった。


 ――その日を境に俺は度々椎名さんの小説をバス停で読むことになり、その度に愛璃瑠未那ことルミナとは同じバスで帰ることになるのだった。

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