第3話 まるでアナタは天から舞い降りた遣いのようにー2


「さて、じゃあ、単刀直入に尋ねるけど、アンタは前世の記憶――つまり、神矢綴だった頃の記憶をどこまで取り戻しているのかしら?」


 ラビィは用意されたお茶を一口飲み、一拍おいてそう言った。

彼女はリビングの椅子に腰掛け、木製のダイニングテーブルを挟んで俺の対岸に座っている。

 俺の両親は俺とラビィを家に二人きりで残して畑仕事に行ってしまった。

 父さんも母さんもいきなり現れたラビィを怪しむどころか平伏するような勢いで歓迎していた。

 それもこれも、彼女が神様の遣いだと自称していることが関係しているのかもしれない。


「……まあ、大体全部思い出した。自分の名前も家の住所も好きだった漫画のタイトルも前世で死んだ瞬間の出来事も全てだ」

「それを聞いて安心したわ。もし、記憶に欠損が起きていたら説明の手間が増えて大変だもの。そういうことなら、私から話すことはアンタがこの世界にやって来た経緯くらいで充分よね?」

「うーん。確かに今の俺はこっちの世界の俺が今まで歩んできたこれまでの人生の記憶も全部持っている訳だから必要ないと言えば間違いではないけど……」

「だったら、一応おさらいしておきましょう。こっちの世界のアンタはツヅリ・ランダース。生まれてから17年間、ずっとこのへんぴな村で暮らして、恋も冒険も経験したことのない冴えない農民。そして、あっちの世界のアンタは神矢綴。女の子は周囲に腐るほどいるくせに17年間、母親以外の女性とはまともに会話すら出来なかった二次元オタク。アンタの説明なんてこれだけでいいでしょう?」

「どっちの世界の俺も酷い言われようだな。というか俺の紹介はたったそれだけで済んでしまうのか……」

「アンタの人生なんて語ることがないくらいに平凡だったということよ。だけど、本題はここから、アンタは前世の世界で17歳という若さでありながら不幸にも心臓発作を起こして死んでしまったわ。そこで色々あって、アンタのことを可哀そうだと思った私が神様にお願いしてアンタをこの世界に転生させてもらったの。二次元オタクだったんだから、異世界転生は知っているわよね?」

「おい、オタクに対する偏見は止めろ。もちろん俺は知っているけど、オタクにも色々種類があるんだぞ。……それより今、お前が俺を転生させたと言ったか?」

「そうよ。本来ならこんなことあり得ないけど、アンタに関しては特別よ」

「ということは俺が今生きているのはお前のおかげなのか。……ありがとな」

「えっ……」


 俺が礼を言うと、ラビィはばつが悪そうな表情で俺から目を逸らす。

 ラビィの様子に俺は少し違和感を覚えたが、その表情は照れ隠しのようにも見えたため、深く気に留めないことにした。


「それにしても、まさか本当に異世界転生が出来るなんて……」

「アンタが転生出来たのは私じゃなくてエロース様のおかげよ。……あっ、エロース様というのは私が仕えている神様の名前ね。愛を司る神様で、慈悲深くてとってもお優しい方よ。それとスタイルが良くてイケメンだわ」

「最後の情報は別にいらないけど、俺みたいな奴を生き返らせてくれたということは悪いイケメンではないんだろうな」

「そうね。アンタと違ってそういう卑屈なことを言わない辺りは凄くイケメンだと思うわ」

「おい、今、俺のことを馬鹿にして……ちょっと待て。俺って異世界転生をしたんだよな?」


 俺は話している途中であることに気づいた。


「そうだけど?」

「だとしたら、今の俺には俺TUEEE的なチート能力が備わっていたりしないのか?」


 異世界転生ものと言えばチート能力。

 転生した時に神様などから与えられた能力や武器で無双するのはお約束だ。


「……そんなに期待で満ちた眼差しを向けられても困るんだけど。アンタにはチート能力なんてないわよ」

「…………えっ?」


 しかし、思ってもいなかったラビィの返答に俺はぽかんと口を開ける。


「異世界転生をそんなに都合の良いものだと思わないで欲しいわ。エロース様からは何も聞かされていないし、私は何も持たされずにこの世界に遣わされたのだから、アンタに渡すような物もないわよ」

「ええ~っ」

「残念そうに言われても仕方がないじゃない。その代わりといってはなんだけど、アンタがこの世界で天寿を全うするまでは私がアンタの従者をしてあげるわ」

「なるほど、そういうパターンか」

「因みに、アンタがロリコンかどうかは知らないけど、私はエロース様一筋だからアンタになんて靡かないわよ。オタクのアンタに分かりやすく言えば、私は攻略不可ヒロインってことね」

「なっ――べ、別にそういうことを期待していた訳じゃないからな! 後、俺がオタクだからって無理にそういう例えをしなくてもいいからな! 気を遣って言っていたとしてもなんか見下されたみたいな気持ちになるんだよ!」

「ふーん。非モテ童貞オタクの割にはちゃんと自分の立場をわきまえているのね。いいことだと思うわ」

「…………メンクイロリクソビッチが」

「何か言った?」

「いや、なんでもない」


 俺が小声で呟いた独り言が聞こえていたのか、ラビィはドスの効いた声で聞き返してきたため、俺は内心震え上がる。


「けれどチートがないというのは結構堪えるな。それだと結局、俺はただの農民じゃないか。この平凡な村で一生農業をしながら第二の人生を終えることになる。これなら元の世界に生き返らせてもらった方がまだ良かったな」

「ん? 非モテ童貞オタクなのにあっちの世界に何か思い残したことでもあったの?」

「非モテ童貞オタクって言うな。……まあ、俺にも色々あるんだよ」

「それって、椎名とかいうあの女のこと?」

「…………どうしてお前がそのことを知っているんだ」


 俺はラビィが椎名さんを知っていたことに驚いて不意に身構える。

 ラビィは警戒する俺の姿を見て、不敵な笑みを浮かべる。


「ふっ、私は愛のキューピットよ。アンタが情けない告白をその子にしていたことくらい知っているわ」

「お前、あれを見ていたのか!」


 相手が神の遣いだとしても第三者に自分の告白シーンを見られていたと思うと恥ずかしくなる。


「一部始終ずっと見ていたわよ。その後、アンタは心臓発作で倒れて死んでしまったのよね」


 ラビィはそう言うと、どうしてか少しだけ申し訳なさそうな顔を見せる。


「ねえ、アンタは本気で元の世界に戻りたいと考えているのかしら?」

「……正直、戻れたら戻りたいけど、告白の答えを聞くのは怖いかもしれない」

「なるほど。アンタが戻りたいと本気で思っているのなら、方法がない訳ではないけどね」

「本当か!?」


 俺は急に立ち上がってテーブルの上に身を乗り出しそうになる。


「……ほ、本当よ。もう一度、エロース様に頼み込んであっちの世界のアンタを生き返らせてあげることも不可能ではないわ。ただし、エロース様が聞き入れてくれたらの話だけどね」

「どうやったらその願いを聞き入れてもらえるんだ!?」

「え、ええっと、多分、この世界の発展に大きく貢献するとか、それくらいのことは必要ね」

「この世界の発展に……大きく……貢献?」


 だが、ラビィから返って来た言葉の持つスケールの大きさに俺は絶望しそうになる。


「そんなもの……ただの農民にどうしろと?」


 世界一美味しいニンジンを作って売り出す?

 きっと、その程度では世界の発展に貢献したことにはならない。

 ニンジンを売って億万長者になり、そこから会社を立ち上げて現代知識で成り上がる?

 まずニンジンで億万長者になれたら誰も苦労はしないし、やり方が回りくどすぎる。

 高校生の俺が知っている程度の現代知識がこの世界でどこまで通用するかも分からない。

 早くも行き詰った俺は椅子に腰を下ろし、悔しくなって両目を瞑り、膝に置いた両手を強く握りしめる。

 しかし、そんな時に思い浮かんだのは椎名さんの顔だった。


『だけど、もう一度椎名さんには会いたいな……』


 俺の心臓が高鳴る。


「ちょ、ちょっと、アンタ何しているのよ!」


 次の瞬間、切迫したようなラビィの声が俺の耳に聞こえてくる。


「…………へっ?」


 俺は我に返り、何故だか自分の両手が妙に熱を帯びていることに気づく。


「燃えてる燃えてる! テーブルが燃えているわ!」

「えっ? テーブル? 燃えてる? …………うわあああっ!」


 俺が目を開けると、こっちの父さんが日曜大工で作り上げたダイニングテーブルが真っ赤な炎に包まれていた。

 俺は慌てて椅子から転げ落ち、その瞬間に突然の発火現象についての答えを知る。


「ツヅリ! アンタの手、火が噴き出しているわよ!」


 火元は俺の両手だった。


「うおおっ! なんだこれ!?」

「まずい! アンタが転んだ時に手を突いたから、床にも火が点き始めたわ!」

「換気換気! ――では間に合わないな! 取り敢えず外に逃げるぞ!」


 俺は玄関ドアを蹴りでこじ開け、ラビィと共に燃え盛る我が家から脱出した。


「し、死ぬかと思ったわ……」


 ラビィは心底疲れ切った様子で呟く。

 俺の両手を包んでいた炎はいつの間にか消えていた。


「火傷もない。それどころか両手自体は熱っぽいくらいにしか感じなかった。どうなっているんだ?」

「さあ、私に聞かれても……」


 ラビィがそう言いかけて何かに気づいたような反応をする。


「待って! ツヅリ、そう言えばアンタ、さっきなんて言ってた?」

「へ? 火傷もない。それどころか両手自体は熱っぽいくらいにしか――」

「違う違う! もっと前! 私がテーブルの引火に気づく直前のところよ!」

「ああ、確か、『もう一度椎名さんに会いたい』と――」


 その直後、俺の両手が再び発火した。


「うわっ! また火が点いたぞ! でもやっぱり大して熱くないし普通に指も動かせる!」

「……理解出来たわ。ツヅリ、よく聞きなさい。アンタは今、魔法を発動したのよ」

「はあ!? 俺は何もしていないぞ!」


 ラビィの言い放った台詞の意味に俺は頭が追い付かず困惑する。


「ちゃんと詠唱をしていたのよ。アンタが今発動したのは『告白魔法』。この世界に存在する魔法の一つよ」

「こ、告白魔法!? なんて大胆な名前の魔法なんだ! 告白の度に手がバーニングしていたら世界中が大炎上してしまうじゃないか!」

「この世界でもごく最近発見されたかなり珍しい魔法なのよ! どうして魔法の心得もないアンタがそんな魔法を使えるの!?」

「…………もしかして、これが俺のチート能力なのか?」


 俺が尋ねるとラビィは眉をひそめていた。


「えっ、何それ私知らないんだけど……」

「いや、だけど、これは凄い魔法なんだろ? 考えられるのはチート能力以外にあり得なくないか? なんだよ、ちゃんとチート能力あるじゃないか。あるならもっと早く教えてくれたら良かったのに」

「だから、私は知らな――」


「ひやあああああっ! あ、あなた! 我が家が! 我が家が!」

「うむ。燃えているな。あれはもう今から消火しても駄目かもしれん。不幸か幸いか、我が家の家財道具には大して金銭的な価値はない。ここは素直に諦めよう」


 ラビィは何か言いかけていたが、農作業が帰って来た両親の台詞に遮られてしまった。

 母さんは悲鳴を上げているが、父さんは自分の家が燃えているにも関わらず淡泊な反応をしていた。


「「あっ……」」


 俺とラビィは同時に言葉を詰まらせて両親と顔を合わせる。

 これはまずい。

 家が燃えている原因を疑われるなら間違いなく俺かラビィのどちらかだろう。

 まあ、火を点けたのは俺のせいに違いないのだが……。


「お父様、お母様、誠に申し上げにくいのですが告白します。この家を燃やしたのは他ならぬツヅリの仕業です。彼は魔法で家に火を放ち、御覧の惨状を引き起こしました。本件につきまして、私は決して何も関わっておりません」


 それはそれとして、俺の隣にいた自称キューピットは責任を逃れるために速攻で俺を犯人として売り渡した。


「なっ……! お前ええええっ! 神聖な存在のくせになんて薄情な奴なんだ!」

「だ、だって、私は悪くないもの! アンタのせいなんだからアンタがちゃんと責任取りなさいよ!」

「なんだとこのクソアマああああッ!」


 俺とクソアマは取っ組み合いの喧嘩を始めようとする。

 しかし、両親は俺たちの喧嘩を止めようともせず両手を合わせてその場に跪いて祈りを捧げるように首を垂れていた。


「父さん? 母さん? 何してるの?」

「ありがたやありがたや。神の御遣いに感謝の祈りを捧げます。ツヅリ、やはりお前は予言通りの子だったのだな……」

「ありがたやありがたや。私たちの息子がこのような大魔法に目覚めるなんて。私は今まで神様のお告げを信じて本当に良かったと感じているわ」

「待てよ。予言とかお告げとか、なんの話をしているんだ」


 俺は恭しくラビィに頭を下げ続ける両親に尋ねる。


「ツヅリ、実はお前がまだ母さんのお腹にいた頃、私たち二人はエロースと名乗る神様から天啓を受けたのだよ。天啓の内容によると、お前は神様からこの世界に転生されたという『予言の大魔法使い』らしい」

「私たちも最初は驚いたわ。だけど、今まで一度も魔法を扱えなかったあなたが急に魔法の才能に覚醒したり、神様の遣いが家を訪ねてきたりしたものだから、予言が本物だと確信したのよ」

「お、俺が『予言の大魔法使い』? どういうことだラビィ!」

「私は何も知らないわよ!? エロース様からそんな話聞かされてなかったもの!」


 ラビィの様子を見る限り、彼女も予言については全く知らないことらしい。


「なあ、二人共、予言についてもっく詳しく教えてくれないか?」

「ああ、構わないぞ。あの予言は一言一句正確に覚えている」


 父さんはそう言って、予言の内容を言葉にする。


 生きとし生ける地上の子らよ。

 我が名はエロース。

 愛を司る神の一柱である。

 汝らに天啓を授ける。

 汝らの子はやがて世界を変革する大魔法使いになるだろう。

一対の白い翼を持つ余の遣いが汝らを訪ねた時、子を魔法都市アンコールへと送り出しなさい。

そして、汝らの子は魔法都市アンコールで運命の女性と出会うだろう。その女性は神に選ばれたもう一人の大魔法使いである。


 予言の内容はそれが全てだった。


「ツヅリ、あなたに渡しておかなくてはならないものがあります」


 母さんは厳かな雰囲気でそう言うと、焼け落ちてすっかり炭の塊と化してしまった我が家に近づく。


「良かった。まだ無事だったわね」


 母さんが家の焼け跡に屈みこんで床の煤を手で払う。

 そこには母さんが漬物作りに使っていた隠し扉があり、母さんは床下から一つの革袋を取り出した。


「はい、ツヅリ。これは私たちが今日のために貯めていたへそくりよ。魔法都市アンコールに行くのならこのお金を使いなさい」


 母さんから手渡された袋の中にはこの世界では一般的な通貨であるプシュケーの白金貨が大量に詰め込まれていた。

 プシュケー白金貨は日本円に換算すると、一枚千円の価値がある。

 詰まっている硬貨の枚数からすれば十万円以上はあるだろう。


「凄いわ! これだけあれば二週間は遊んで暮らせるわね!」

「……父さん、母さん、ありがとう」


 俺が礼を言うと、両親は柔らかな笑顔を浮かべた。

 この二人は前世の俺とはなんの関わりもない人間だ。

 顔だって元日本人の俺とこっちの世界の両親では全然違う。

 なのに、二人は俺のことを17年間、愛情を籠めて育ててくれた。

 予言とかなんとかはよく分からないけれど、俺は冒険の始まりを感じた。


 こうして、俺とラビィは両親と燃えカスになった我が家と別れを告げて、魔法都市アンコールへと旅立つことになったのである。

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