統合失調症。14歳に罹患して今36歳

高見もや

統合失調症。14歳に罹患して今36歳 短編完結

14歳のころ、統合失調症に罹患した。

原因は学校での人間関係だった。

今は36歳。

障害基礎年金をもらいながら、午前中だけしかやっていないがスーパーの品出しのアルバイトと、空いた時間にクラウドソーシングをして生計をたてている。

妻が一人。子供はいない。公団住宅に居を構え生活している。

 

何一つ無理だと思うことをしていないせいか、一般就労で入ったスーパーのアルバイトも絶賛3年目だ。

33のころ、クローズで入った会社を辞めてから、ずっとスーパーでアルバイトをしている。

年金とスーパーとクラウドソーシングで、自分の収入はそれなりに確保できていて、妻も同額くらいには稼いでくれるので、生活は苦しくはないが、楽でもない状態を維持できている。

 

精神障害の事は妻以外には誰にも言っていない。ただ持病があるとだけ店長には言ったことはある気がする。

ゆえに今の働き方を選んでいるのだと、スーパーの面接で言った気もするが、昔の事なので覚えていない。

 

今日も早朝からスーパーで品出し作業だ。一般就労が全てではない。A型事業所や就労移行支援施設などもあれば、障害者雇用もある。でも自分の性に合っているのは大して難しいことはしない一般就労アルバイトで単純作業の繰り返しだとわかっていた。

過剰にアルバイトに期待はせず、責任を追わせることもない品出しをするだけの仕事。

こう聞くと、責任感をもてと言われそうだけれど、そう思うなら、責任に見合うだけの給与を払い、その立場に見合った職責と雇用を用意すればいいだけの話なのだ。なり手なんていくらでもいる。

 

ただバックヤードからカートを持ってきて、商品を前に出して、たまにお客さんに商品の場所を聞かれる以外、たいして変化のない日々。いつかはこのスーパーも閉店し、また仕事を探す日が来るのだろうが、それはどんな仕事をしていても変わらない。

足元が盤石でどんな状況においてもなくならない仕事なんて、この世には存在しないのだ。

 

レジパートの熊井さんが声をかけてくる。特別、コミュニケーションに興味のない自分に対しても優しく声をかけてくる部類の人だ。もうじき65歳になり年金をもらうと言っていた。同じような立場だが、年金をもらっていることは伝えていない。

「いい年してフラフラしていていいの? 奥さんもいるんでしょ?」

熊井さんの何でもない軽口がツライ。

本来なら働き盛りの年である僕は、スーパーの品出し1日4時間週4日程度の勤務で稼ぐ程度で満足していてはダメではないのか?もっと働くべきではないのか?と暗に問われているのだ。

僕はあいまいな返事をしてその場を離れた。

黙々と品出しをする。時間になったら帰る。それまでにある程度、片付けて置かなければと、プロ意識はないが、最低限、もらっている給与以上の働きは仕様とは思ってはいる。

 

「お疲れ様です」

タイムカードを切り、コートを羽織ると、ちょうど店長の長野さんとすれ違った。表情は暗い。

「ちょっとメンタルがヘラってきててね」

そう長野さんは笑う。笑うのだが、やはりその顔に貼り付いた笑顔は作り物めいている。

「なにかあったんですか?」

聞くべきではないだろうか。そう思わないでもなかったが、極端に個人のことに立ち入るような話でないのならいいのではないか、安易な気持ちで話は進んだ。

 

「内緒にしておいてほしいんだけど、売上が芳しくないんだ。もっとがんばらないと、その・・・やばい」

「ほらさ、僕は正社員だからクビになることはないし、転勤するだけの話だけど、アルバイトさんやパートさん達の人数を減らしたり、最悪、店がね」

「内緒にしてよ。誰にも言わないと思うけど、誰にも言わないでね」

そういうと、長野さんは柳の幽霊みたいに頭を垂れて、そそくさと店に入っていった。

「いらっしゃいませ」

いらっしゃらないのが問題なのだ。

 

 

自転車に乗りアパートに帰ると、ちょうどお昼のチャイムが団地に響いた。

妻はテイクアウト専門のファストフード店で調理師をしている。別に店長ではないが、アルバイトというわけでもない。

地域正社員というやつだ。

 

俺は冷凍食品を冷蔵庫から取り出し、温めると、ゆっくりと瞳を閉じた。

過去のことをどうしても思い出してしまう。

 

大介という少年がいた。同級生だ。

彼とは中学生時代、全くうまく行かず、あの手この手で自分のやることを邪魔してきた。ときには靴をゴミ箱に捨て、ときには、悪口を流布してまわっているようだった。

ある日、俺は自分の体から異臭がすることに気づいた。その異臭のせいで、みんなが煙たがっているのだと気づいてしまった。テレビで俺のことを放送している「気がした」。どこかで自分のことを録画している存在がいる「気がした」

一方でそれがおかしなことであることも自覚していた。

俺は自分の中にある正気な部分と正気でない部分のどちらを信じるべきか悩み苦しみ、少年時代を終えた。

悪臭妄想とテレビ妄想。今なら妄想とはっきり言えるが、そのときはどちらかわからなかった。

中学校にも高校にも行かず、俺は引きこもった。

 

 

そこからずっと統合失調症だ。

高校には行けず、大学入学試験(大検。今で言う高認と同じ制度だ)に合格し、大学に入学。正気と狂気の間をずっとさまよいながら、メンタルクリニックで、異常であることに気づくまで、俺はずっと振り子に揺られるみたいに正気と正気でない状態を行ったり来たり繰り返していた。

以後、地元に戻ることはなく、今に至る。

 

統合失調症になったら、病識を持てるかどうかが大事だ。自分は病気である。

自分の中には事実をしっかりと認識できない部分がある。

自分が誰かに何かを言われたとしても、それが本当に言われたという保証はないのだ。

妄想かもしれない。

かつて自分が妄想を信じたように、俺は自分の記憶や感覚を信じていて生きてはいけないのだ。

すべてを疑え。聞こえたものを疑い、信じた言葉を飲み込み、自分の考えさえ疑い、ただ客観的な事実となりうる現象のみを信じること。

そうやって俺は生きてきたし、これからも生きていくのだ。せいぜいスーパーの品出しくらいしか年齢的にももうできることはない。

そういう確信だけはあった。

 

クラウドソーシングは性に合っていた。

パソコンで打ち込んだ、ディスプレイに表示されるデータだけは疑いようもない客観的な事実であり、現象だ。

打ち込み、表示されているソレはもはや変化を疑う余地はない。メール機能で返ってくる言葉は何度読み返しても変化することはない。

 

そうやってクラウドソーシングで仕事をこなしているうちに、妻が帰宅した。

 

妻はつかれた顔をして、団地のややしけった和室の畳に寝転がった。

 

「おかえり。今日はどうだったの?」

俺はそう問いかける。

「特に変わりないよ。同じような仕事をして、同じような日が過ぎていくだけ」

特に変化はなかった。男女二人の結婚生活で最も求められているのは、その生活の無意味さを共有することだと思う。

お互いが邪魔にならず、時には支え合い、時には痛みを分かち合う。その関係の永続性を期待しつつ、変化のない日々を過ごす。子供がいれば違うのだろうが、子供のいない夫婦に求められるのは、そういったところじゃないだろうか。

妻の愚痴は続いた。アルバイト社員の使えなさや、その人に対する社員からの教育徹底のうまくいっていない具合。

なるべくしてなる結果だと妻は言った。

そういえばと、俺は長野産の青白い顔を思い出した。メンタルがヘラっているとかなんとか。新しい仕事を探すことになるかもしれない可能性も伝えた。

 

「わかったよ。別に二人分の生活費を稼ぐだけだから、問題ないよ。私が妊娠したりして、家計がシングルエンジンになったら困るけどね」

気のない顔をして煙草を探している。

「でも店長さん、大丈夫かな? 結構プレッシャーだと思うよ。店にお金がないと上から結構詰められたりするからね。売上は店長一人で作れるものでもないし、店舗単体で頑張ってもたかが知れてそうね」

「外で煙草吸ってくるね」

妻はベランダに出て、煙草を吸い始めた。

長野さんの顔はまるで、数年前に会社を退職した俺の顔によく似ていた。

押しつぶされそうな顔をしていた。薄っすらと具合が悪そうな心から来る体調不良。家族のこと。生活のこと。店のこと。考えることは山積みなのかもしれない。。。

 

 

翌日、品出しをしていると、レジパートの熊井さんが話しかけてきた。

「またアルバイトの女の子がやめちゃったのよ。寿司コーナーの40くらいの子。いい年してフラフラした子ばっかりね」

「なにか嫌なこと、あったんですかね?」

「店長の長野さんが言うには、親が老齢になったから、介護一本で行くんだって。仕事しながら介護できないから、生活保護を受けて、世話をするしかないんだって」

「あんまり自分の事情を店長に話さないほうが良さそうですね。。。」

「そうねぇ。大丈夫かしら。わたしゃ、若い子が率先して不幸になりに行くみたいで悲しいわ」

「人には事情があるのだから、人それぞれ自由に生きればいいんだと思いますよ」

「まぁ、そうなんだけどねぇ。でもやっぱり介護が必要になるくらいの年になったら、わたしもピンピンコロリでさっさと死ねたらいいなと思いながら生きてるわ。人生は詰んでからのほうが長いのが辛いわね」

俺は黙り込んだ。人生は詰んでからが長い。本当にそうなのだ。

「ちょっとお腹が痛くなってきました。熊井さん、少しトイレいってきます」

「大丈夫? 気をつけてね」

そういって見送ってくれた。

 

従業員用の男性トイレに入る。

男性用個室トイレの鍵が閉まっている。

「入ってますか?」

声をかけるが、反応はない。

ギシギシと紐に吊られた重いものが左右に揺れるような音が聞こえる。

ギシギシ。

ギシギシ。

ギシギシ。

そこで俺は上を見上げた。トイレの換気扇の部分から紐が垂れ下がり、トイレのドアの上部からかすかに薄くなった男性の頭部が見えた。

まさか・・・

「大丈夫ですか?」

返事はない。

俺はすぐに男性トイレを出ると、人を呼んだ。

多分、人が死んでいる。

 

そこから先は大騒ぎになっていて、何が起きたのか、いまいち覚えがない。

一つ言えるのは、店長の長野さんが首を吊ってなくなっていたということだけ。

それ以上の情報は店側からは開示されなかった。

 

「大変なことになったんだよ」

警察やら消防やら店側からの散々、話を聞かれた挙げ句、帰宅したのは午後8時。料理の番は自分だったが、妻には連絡がとれず、この時間になってしまった。

事情を説明すると、妻は息を吐いた。

「生きていれば、知り合いが自殺する事ってまれにあるよ。たいして親しい人じゃなくて良かったじゃない。大変だったね」

他人事みたいにそういった。実際に他人事なのだ。顔すら知らない会話にしか出てこない人の死など人はいちいち気にしたりはしないのだ。

「今日のところはゆっくり休みなよ。ご飯を食べてお風呂に入って、寝れば、ある程度の負荷は抜けていくものだから」

 

夕飯はレトルトのピラフに納豆。風呂に入って寝たが、全然眠れなかった。

長野さんを吊り下げている紐状になったネクタイと少し薄くなった頭部がチラチラとちらついていたことばかりを思い出してしまう。あの扉の後ろで死んでいたのだ。なくなっていたのだ。

 

後日、長野さんの葬儀は、地元の東北で家族葬をすることになったことが店側から告げられた。また後日、新しい店長がやってくるので、それまでの間、副店長が店長代理をすることになったと朝礼で話していた。

 

品出しをしていると、熊井さんが俺に話しかけてきた。

「長野さん、具合悪かったみたいね。死ぬくらいなら仕事をやめればよかったのにね」

「責任感が強かったんじゃないですかね?俺も死んでまで仕事をしたいとは思いませんが、正社員時代は仕事イコール生きている意味くらいに考えているときもありましたよ」

「仕事なんてどうでもいいのにね。仕事がなくなると困るけど、その人がいなくなる方がよっぽど問題だと私は思うけどねぇ」

「そういうものですか?」

「そういうもんよ。息子が死んだら生きていけないけど、店が潰れても次を探すだけよ、そりゃ。」

「企業なんてアテにしちゃだめだよ。生きるために働かせるためにお互い利用してる気持ちでいなきゃやってられないわよ」

「次の店長はどんな人だろうね? 癖のない人だといいけどねぇ」

そういうと熊井さんは休憩を終えて、レジに戻っていった。ちょうどレジ応援の音楽が流れていた。

人間一人の命なんて軽い。他人の命ほど軽いものはなく、家族や恋人の命は地球よりも重い。

 

定時に帰宅すると、俺は妻のスマートホンに電話をかけた。

「生きてる?」

「死んではいない。忙しいからまた後でね」

変なやり取りだな。と思った。

生きてもらいたい人には生きてもらいたい。それだけを強く願うのは、俺が薄情だからだろうか?

俺は首を吊った長野さんを思い出しながら、次の店長が嫌な人間でないことを願った。

 

店長の代わりは長い事来なかった。店長兼務の副店長が以前の二倍の仕事をこなしているようだった。

段々と顔は険しく、浅黒い肌色になっていくのははた目にも分かった。

 

職場の人間とは、仕事以外の付き合いはしない。俺はそう決めている。

パートのおばちゃんたちからよくおもわれていないことは知っていたが、さほど気にしないことにしていた。

最近、目下気になることと言えば、同級生だった大介の姿を見ることが増えた事だった。

 

死んだ目をしている。長身だが太った体。汚い油汚れをしたつなぎを着て、ストロングゼロだけを買って帰る。それが大介だ。

俺の事を目ざとく見つけては声をかけてくるようになった。

そして自慢をしてくる。わかったのは「自動車整備工、20歳から初めて16年目。手取り16万円。週末はラウンドワンでビリヤードとダーツをしている」ことだけだった。

俺は仕事の邪魔だと彼を払いのけ、品出しを続ける。遊びに誘ってくることもあるが無視をする。

品出しの邪魔はしてこないが、無視をすると、ショボイ仕事と言いつつ、帰る。

内心ウンザリしながら、ストロングゼロで中毒死しろと思いつつ、仕事をこなす。

あの時期、あのころ、彼が行っていたのは、親愛のある遊びだったのかもしれないと思う時がある。

俺には傷ついた思い出でしかないが彼にとってはキレイな10代の思い出なのかもしれない。

 

そういえば以前、店長の長野さんの息子は障害があるという話を小耳にはさんだことがあった。

その話に対する回答は「本人が望むままに生きればいい」と考えた気がする。

その答えは長野さんには伝えないままだったが、伝えておけばよかっただろうか。

 

胸の中がざわついた。

俺の中の卑怯者が死人に口なしと言っている気がした。

俺は長野さんの携帯に電話をかけた。つながるかどうかもわからない携帯番号に、

一度だけ仕事帰りに交換した電話番号に電話をかけると、電話は発信音から誰かに着信した旨を伝えてきた。

「はい、長野です」

電話先の女性は警戒しているようだった。

「お世話になります」

そうして俺は突然、電話をした非礼を詫び、それから自分が何者であるかを伝え、自身に詳細は省くものの障害を抱え、不自由をしていることを伝え、店長の息子さんに伝えるか悩んでいる言葉があることを伝えた。

電話先の女性は長野さんの奥さんで警戒しているようだったが、意見の一つとして聞きますけど、といった。

俺は「長野さんに伝えるべきだったのですが、どうしても伝えられなかった。たとえ障害があったとしても、本人が望むままに生きればいいと思っていました」と伝えた。

奥さんはそれだけを聞くと、無言で電話を切った。

 

後日、長野さんを家族葬で荼毘に付した旨を伝える封書が自宅に届いた。

封書に封入されていた手紙には「本人が望むままに生きる事を、私も望むことにしました」とだけ書いてあった。

 

それきり便りはない。

今日も俺は品出しをする。

新しい店長がやって来て、店の空気は変わったが、売り上げは伸びず、年内に閉店することが決まった。

次の仕事を探さないといけないなと思いながら、年だけを重ねることに恐怖を感じる。

俺は漠然とした未来への不安と望むように生きている今をただ愛し、将来いつかはくる全てとの別れを素直に受け入れることを望んだ。

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統合失調症。14歳に罹患して今36歳 高見もや @takashiba335

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